第2話 : 氷の瞳と、色が灯った眼
もぞり、と体を動かすと、ふわりと柔らかくて比較的上質な布が肌を撫でた。
「ん……。ここ、どこだ?」
眠気の残る頭が少しずつはっきりしてくる。
まぶたを擦りながら、まだ眠いという体を無視して身体を起こすと、そこは見慣れない部屋だった。
窓の外はまだ暗く、自分が眠ってからさほど時間がたっていない事がわかる。
電気は付いておらず、代わりに蝋燭の炎がぼんやりと揺れる。部屋は少しだけ薄暗く、心地が良い。
…なんだか眠くなる。もうちょっと、寝てたい。
妙に安心できる部屋だ。だからか、眠気を誘う。
起きなきゃダメだと叱責する自分と、もう少し寝てもいいだろと唆す自分が口論し始めた。
…起き……お、起きなきゃ……すやぁ。
「はっ……寝ちゃダメだ! 気を抜いたら…だめ。ふわぁ……」
そんなふうに、ゆるゆると起き上がった頭で、少し前のことを思い出してみる。
そもそも自分はあの牢獄から抜け出したくてここまできたんだ。見掛け倒しな人間を気絶させた後に道で寝たのは覚えている。
でも、その後が何も思い出せない。
…誰かに運ばれた…?そんなに簡単に?
意識が無くなる直前、体が浮いた感覚がした。だけど、普段なら他人に触れられればすぐに目が覚めるはずなのに、気づいたらここにいた。
自分の体重は決して軽い方ではない。運んでくるのには大変苦労したと思う。
「……拾われたのか?誰に?……そういえばあそこに女の子がいたか。……でも、何のために?」
そんな事を混乱する頭でぶつぶつと呟いていると、不意にガチャッとドアが開く音がした。
寝ていたら外れてしまっていたフードを、咄嗟に目深く被り直す。
ドアが開いた音とともに、部屋に外の光が差し込んだ。反射的に手で目元を覆う。
「あっ、起きたんだね!」
眩しさに目を細めながら、少しずつ視界を開く。
そこに立っていたのは、艶のある白銀の髪に、氷のような青い瞳を持つ少女。まるで、幻想から出てきたような、儚げで可愛らしい姿だった。
あの地獄のような場所から必死で逃げて、男達と戦った後に見ると、それがさらに強調されるような気がした。
「うわっ、わっ!」
顔が近い。鼻先が触れそうな距離で、彼女は自分の前髪をそっとかき上げてきた。
目元が晒され、彼女の瞳と真正面からぶつかる。
自分の眼に、鮮明な色が灯った。
「んふふ……!やっぱり、思った通り。かわいい」
「?いや、自分は男だし、別に可愛くない」
「独り言だから、気にしなくていいって。こっちの話だから」
ふわっと笑って、少女は部屋の椅子に腰を下ろした。どこか馴れ馴れしいようでいて、不快感は不思議とない。
おそらくさっき男達に囲まれていた少女だと思うのだが、さっきの悲痛な雰囲気とは全くもって違い、少々混乱する。
「ここは宿だよ。仲間と一緒に借りてるの。私たち、人外や魔獣を捕まえる仕事してるんだ!……さっきは本当にありがとう。君が助けてくれなかったら流石にマズかったよ」
同い年くらいに見える彼女が、そんな危険そうな仕事をしているとは思わず、驚いた。
細身だし、戦闘向きではないように思うんだが。
「傷は手当てしておいたからね!私、得意なんだー!こういうの」
彼女の言葉を聞いて自分の体を見てみると、確かに包帯が巻かれていた。
得意と本人が言っていたこともあって、手慣れてるのか緩みや傷が出ているところはなく、ちゃんと綺麗に巻かれている。丁寧で、傷口の痛みも和らいでいた。
「……ありがとう。ところで……さっき、男たちが“売れる”って言ってたのは、どういうことだ?……あっ、いや、聞くことではないな」
"売れる"というその言葉は、あの状況の中でも特に印象的だった。
それは、彼奴らの行動があまりにも雑で荒かったからだ。
あの感じは生きていても生きていなくても持ち帰ればいいとでもいうかの様にみえた。
人身売買は、基本的に殺さないように連れて行かれる、と知人から聞いた事があったのだ。
「……あー、うん。それはね……。“突然変異”って、聞いたことある?」
彼女は自分の手を撫でながら、少しだけ声を落とした。
「私はね、少しずつ体が結晶化していくの」
たしか、そんな言葉を研究所で聞いたことがあったはずだ。
“特別実験体”と呼ばれる存在が、その症状を抱えている、と。
……確か、目が宝石みたいに変化した突然変異だったか。
深く知ろうとも思わなかった。噂以上のことは、何も知らない。
「……何でそんなこと、教えてくれるんだ?まだ会って一日も経ってないのに」
「だって君、“私と似たような子”でしょ?女のカン、舐めちゃダメだよ〜?」
彼女は悪戯っぽく笑った。どこか含みのあるその表情に、妙な親近感を覚える。
自分の疑問をぼかした上で流す。
しかし、少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
「…別に、私は君の事について無理に聞き出そうとは思ってないよ。それに、君はまだ私のこと警戒してるしね」
静かに、独り言を呟くように言った。
確かに、警戒はしていた。勝手に連れて来られたのに眠り続けていたというのが自分にとっては信じ難い。
だが、そんな警戒心がほんの少しだけ薄れたのも事実だった。
その理由が、もしかしたら"似たもの同士"だからなのかもしれない。
「でも本当、助かったよ。あの人たち、こっちでは魔法無しでも強いって噂だったから」
暗い雰囲気を明るくしようとわざわざ明るめの声を出してくれる。
「…あれで?強い?」
自分には到底そうは思えなかった。あの雑な動き。あんな攻撃、魔物達からしたら殺してもらっていいですと言ってるようなものだ。
あれで実戦を生き残れるとは、自分は到底思えない。
「まあ、一般人視点での話だけどね。魔法が使えなくなる薬を使って集団リンチに持ち込む手口なんだって」
眉をひそめる彼女の顔が、まるで別人のように鋭く、冷たく見えた。
最近はそんな事件が多発してきていて、多くの人の不安が募っていたらしい。
「あそこに置いてきちゃったけど、もうすぐ上の人たちが動くって噂だったし、時間の問題だったと思うけどね」
「最近はそんな事件があるんだな……」
「そうだよ。だから、あんなとこで寝始めて本当にびっくりしたんだよ?」
初対面だけど、白髪の少女はとても話しやすかった。話す彼女の口調はずっと柔らかい。緊張が少しずつ解けていくのを、自分でも感じる。
こちらに敵意を向けようともせず、ただ友達とお喋りをするように話すからだ。
表面の下に嫌味をこめてこないし、話しながら攻撃されることもない。ただ普通に話してくれる。それだけでも随分と気楽に過ごせた。
「さて、お話はこの辺にして……この宿は風呂付きの部屋だから、お風呂入ってきたら?私の残り湯で悪いけど……。疲れてるでしょ?」
「え、お風呂?でも、そんなの迷惑だろ」
「んー?迷惑なんて思ってないよ。ほら、頬も髪も汚れてるし」
ゾワッ
全身に、嫌な感覚が走る。
自分は思わず後ずさった。脳が「危険」と警告している。何度も感じた事があるこの感覚は、正直言って、大嫌いだ。
「あっ、わかった。お風呂苦手なんだ?逃げないで、怖いものなんて何もないよ?」
…急所がガラ空きだから、正直怖い。
研究所でも風呂の時間はあった。
でも自分はその時に……。
…考えるのはやめよう。思い出すほどいい思い出でもない。
「……本当に、大丈夫だから」
風呂は苦手だ。あんまり好きじゃないし、人のお風呂を使うのも好きじゃない。
ジリジリとまるで獲物を狩るかのように壁際へと追い詰められいてく。さっきまで事件に巻き込まれそうになっていた少女とは思えないくらいギラついた目で見てくる。
「そんなふうに汚れてたらこっちが落ち着かないの。血の匂いもするし……。こっちの都合だけど、私血の匂い苦手なの!いいから入ってきてね」
「……頼むから、本当に離れてくれ。女の子に暴力を振るいたくない……!」
「でもなぁ……。私の仲間も嫌がっちゃうから。少しシャワー浴びてくるだけでもいいから!ねっ?」
…ダメだ、全くもって聞く耳を持ってくれない。
確かに迷惑をかけるのは自分の本意じゃない。でも、お風呂に入るのはもっと嫌だ。
物理的距離をこれ以上縮められると危なさそうだから手を掴んで押し返すことを試みる。
が、力が入らない。
「……なんでっ。力が入らない……っ!?」
押し返すどころか、その場に踏みとどまるのがやっとだった。こんなに華奢な少女を押しのけられないなんて、自分の力が急激に落ちている証拠だ。
パニックで頭が真っ白になって、いやな汗がでてきた。
焦りが胸を締めつける。
「あれ? あの人たちの時みたいな力、出ないんだね。なんでだろ?」
不思議そうな顔をしているからこの子の仕業では無さそうだ。
この子を助けた時でさえ自分にとって全く力が出せない状態だと思っていたのにこれ以上力が弱くなったら自分の身ですら守ることがままならなくなる。
今まで経験したことがないような危険を察知して、全身が警戒体制に入る。
ガチャッ
場違いなほど軽いドアの開閉音が、なぜか心臓を跳ねさせた。
「イロナちゃん?なんか変な音がしたけど、どうしたの?……って、えっ!?」
入ってきたのは、また別の少女。年は同じくらいだろうか。ぱちっと目を見開いたまま、まるで石像のように固まってしまう。
「た、大変!レ、レシー! !イロナちゃんが、知らない男の子襲ってる!!?」
「ちょっ、ヴェールちゃん誤解だからぁぁ!!」
状況が、ますますややこしい方向に転がっていく気しかしなかった。




