私の後悔
おまけです。本編の捕捉として結構重要な話なのでよければ読んでください。
胸の底で、さらさらと何かがこぼれ落ちていく音がしている。心は不思議なほど静かなのに、確実に何かが損なわれていく感覚。
過ぎる時間とともに、私の熱は奪われ、代わりに冷たい何かが身体の内側から満ちていく。
それが満ちた時、いったい私はどうなるのだろう。
そんなことを他人事のように思った。
聖なる光を拒む深い闇が支配するネクロヤオル城。
光を吸い込むような暗がりの中、主である私のために玉座だけが淡く照らされている。
深い闇の中灯る明かりはどこかほの暗い。それが、この玉座をどこか物寂しく感じさせた。
私の膝の上で丸くなって眠っていた黒猫――まだ歯も生え揃わない、愛しい私の子が目を覚まし、心配そうに見上げてくる。
私は微笑み、柔らかな毛並みをそっと撫でた。
愛しい我が子は安心したように喉を鳴らし、甘えるように身を預けてくる。
私はその温もりを確かめるように毛を撫でながら、ある人の訪れを待った。
やがて、遠くから小さな足音が響いた。
力のない、影が歩いてくるような足取り。少しでも己を消そうとする彼の癖は私の知る彼そのもので懐かしさと同時に胸の奥が少し痛んだ。
足音が止まり、彼は姿を現す。
「……来たのね」
私は微笑んで迎える。
「先生」
そう呼ばれた彼――黒淵深志は苦しそうに眉を寄せた。
彼は何かを言おうとしては躊躇い、口を閉ざす。
不器用であっても、いつも私のために言葉を尽くそうとしていた彼は出すべき言葉を決めかねて、声にならない何かを訴えかける。
しばらく言葉のない時間が流れ、私は笑みを漏らした。
「皮肉なものね」
私は柔らかい声で言った。
「私を救った先生が今度は勇者を育てて、そして命の奪い合いをさせようとするなんて」
その言葉に、彼の表情はさらに歪む。
「悲しかったな。言ったよね、私を信じてって。先生とは戦いたくなかったから約束したのに――」
そう言って、私は再び笑った。
「なんてね。嘘だよ。先生らしいなって思っただけ。私は気にしてないよ。許してあげる」
しかし彼は申し訳なさでいっぱいになったように顔をうつむけた。
それが嬉しくて、悲しくて、痛々しくて、私は愛しさを感じた。
何をしに来たのか、聞くまでもない。
勇者アレスの活躍で、私たちの勢力は追い詰められている。
その状況で、私と会おうとする。とすると、自ずと話の方向性には想像がついた。
少しして、私は口を開いた。
「……先生は、私が勝てないとそう思っているんですか?」
短い沈黙ののち、彼は答えた。
「……ああ」
「……そう」
私はゆっくり頷き、微笑んだ。
「負けるのね、私たちは」
納得の響きを伴って、私は静かに呟いた。
「そんなこと……!」
「ライラ」
傍らに控えていた、私が最も信頼するライラが思わず声を上げる。
私は小さく手を上げて制した。
ライラは悲しげに目を伏せて引き下がる。
ごめんなさいと彼女に小さく謝り、私は呟く。
「近いうちに勇者たちが私たちの前に現れて、最悪の魔王として私は殺される、そういうことね……」
その呟きに彼は拳を握り締め、深い息とともに、「ああ」と答える。
「降伏しよう」
その提案に、私は思わず目を見開いた。
彼は続ける。
「これ以上の戦いは無意味で……無益だ。なら、ここで手打ちとしよう。今は生き伸びることが一番だ。お前の夢は――故郷に戻るのは、その後でいい」
努めて淡々と告げる声とは裏腹に、俯いた彼の拳は震えるほど固く握りしめられていた。
「そのためにできることなら俺は……なんでもする。まだ……間に合う。その、はずだ……!」
抑え込んだ感情が声の端々に滲む。必死な思いが伝わって、だからこそ嬉しくて。
けれど私は静かに首を振る。
「無理よ」
彼は悲しげに目を伏せる。
その姿に、私もまた静かに言葉を重ねた。
「人類は私たちを許さない。何をしてもしなくても、私たちの存在を絶対に認めない。私たちが魔の存在である限り変わらない。いつか必ず、私たちを滅ぼそうとする」
膝の上で甘える子をそっと撫でながら、私は穏やかに続ける。
「それに私たちは殺しすぎた。それと同じくらい私の子供たちも……殺されてきた。もう誰にも止められない」
顔を上げ、彼の悲しみに歪む瞳をまっすぐ見つめる。
「これは、人類と私たちの戦い」
言葉を区切り、静かに告げる。
「どちらかが生きて、どちらかが滅ぶ、そういう戦い」
人類が拒絶し、私が始めた避けられない戦い。幾度となく自問自答した末に辿り着いた答えを私は言葉にする。
「共存なんてありえない。それに――今更、もう引き返せない」
人類に殺された私の子たち。皆、私を愛し、信じて戦った、かけがえのない子たち。私のために命を賭した子供たちの犠牲を私の命惜しさで無下にするなんて、できるはずもない。
苦しげに聞いていた彼は、やがて意を決したように口を開いた。
「――なら、逃げよう」
私は驚き、息を呑む。
「降伏が無理でもいい。戦い続けるのもいい。だけど、ここにいればいつかは殺される。今は身を隠して、力を蓄えるんだ」
彼はらしくもないことを早口で言う。
「敵対するしかないのは分った。だけど今は引こう。勝つために今は逃げるんだ。そしていつか、人類に反撃しよう。別に人類を滅ぼそうっていうんじゃない。故郷に戻るためだ。今度はもっと穏便にできるかもしれない。魔物の脅威を知った今なら話し合いにも応じてくれるだろう」
いつになく必死に彼は言う。その表情に、その様子に私は少し驚いて、そして微笑んだ。
「逃げる――いいわね。でも――」
私は問う。
「この子たちをおいて?」
彼の表情が苦しそうに歪む。
「……いや、できる限り連れて――」
「でも……全員は無理よね?」
彼は何度か言い返そうとして、やがて諦めたように頷いた。
「……ああ」
「じゃあ、できない。私はここに残る。この子たちの居場所を守るために」
彼は力なく項垂れ、かすれた声で言った。
「どうしても……戦う。そういうのか……」
「ええ」
私は静かに頷く。
「言ったでしょう、先生。私が勝つまで戦う。これはそういう戦いなの」
「…………」
彼は言葉を失い、長い沈黙が落ちた。
やがて、ぽつりと漏らす。
「君は……変わった」
続けて、絞り出すように言う。
「昔は違った。強い意志を持つようになった。俺の言葉が届かないくらいの覚悟を、持つようになった……」
私は天井を見上げ、静かに答えた。
「それは私も大人になったからかな」
そして彼に視線を戻し、微笑む。
「転生して七年。それだけ経てば誰だって変わるよ。それに――」
膝元で眠る子、傍らに控えるライラたちへ視線を向ける。
「この子たちのためだから」
ふっと笑みを漏らし、言う。
「先生は変わらないね」
続けて、優しく告げる。
「間違っている私を、それでも助けようとしてくれている」
懐かしい記憶が胸に浮かぶ。
「本当の意味で否定しない。私のことをわかろうとしてくれている。この世界の誰よりも」
感謝を込めて、愛おしさをいっぱいにして私は言った。
「あなたに出会えて私は幸せだった」
「……!」
先生が耐えきれず顔を抑える。その頬をうっすらと涙が伝って落ちていく。
「だけど、ごめんなさい。先生。私は悪い生徒だから、あなたのいうことを聞けません」
「…………そう、か……」
「ありがとう、先生。こんな時でも会えてよかった」
彼は帰っていった。未練を残すような足取りで、ただ、それでも去るしかないという思いで、闇に溶けるようにネクロヤオルを後にした。
姿を消してから私は彼の立っていた場所へ手を伸ばす。その消えた背中に縋りたくなりそうな気持で。
流れそうな涙をこらえ、私は胸を抑えた。
そしてそれから幾日も経たないある日、彼ら――勇者たちがついに私の前に姿を現した。
『ああ、あなたが勇者ね』
遠目で見たことはあったが、直接顔を合わせるのは初めてだった。
たった四人。誰一人転生者はいない。なのに、その力は油断ならないほど強い。
そして納得した。先生が目をかけてきたその理由を。
誰かのために戦うというその使命感。まっすぐで、輝かしいそのあり方。
あまりにも眩しかった。
だけど――人間だ。私たちの敵でしかない。
彼らから向けられる嫌悪と恐れの視線。見慣れた感情。たとえどれほど優れた勇者だとしても、自分は恐怖の対象でしかないことを改めて知る。
私は無意味だと知りつつもあえて言葉を発してみた。
『私の声は聞こえるかしら。と言っても無駄でしょうね。どうせあなたたちも皆と変わらず、何も聞かず、剣を向け殺そうとするのでしょう。私の敵である勇者ならば当然のこと』
そして笑いかける。
『私を殺したくて仕方のない顔をしている。なんて嫌な目、嫌な顔。私が何をしようとしなくとも、これまで私の子を殺してきたように、あなたたちは私を殺すつもりなのでしょう。どこまでも相容れない敵として』
迷いなく言う。
『ならやっぱり――死ね』
勇者たちとの戦いは熾烈を極めた。
しかし、私たちの子供は勇者たちの奇跡的な連携を前に、一人、また一人と倒れていく。
そして、最後、私の最も愛するライラが悲しい悲鳴とともに命を失った。
子供たちを失い一人となった私も、隙をついた勇者の一撃で致命傷を負う。
――ああ。
言いようのない後悔と怒りが私を突き動かす。
勇者――彼らはどこまでも正しく、そして、何も知らずただ正義のため私たちを殺そうとする。自分たちは幸せになって、なぜ私たちは悪として惨めに死ななければならない。それがどうしようもなく許せなかった。
血を失い、ふらつく体。しかし、私は最後の力を振り絞って、魔法を放つ。
だが、その一撃も勇者たちに跳ね返され、気が付けば私は地面に倒れていた。
意識を取り戻し、起き上がろうとするも、力が入らない。ふと息をした瞬間に、激痛が走り私は大量の血を吐き出した。
――――限界、か……。
私は自分の死が目の前であることを悟る。
首をゆっくり動かしてあたりを見渡す。映るのは戦いの余波で崩壊した魔王城。そして人間に忌み嫌われ孤独だった私を愛してくれた子どもたち――彼らが血を流し、無念の表情で死に絶えた姿だった。
その無残な光景に私は今までの怒りの感情が一瞬で消え失せる。代わりに止めようのない悲しさがあふれ出して、涙となって流れ出す。
『どうしてこんなことになっちゃったのかな……』
流れ落ちる涙が、地面を濡らす。
力が失われていくのを感じる。気が付けば自分の身体が色を失い、崩れようとしていた。
『私はただこの子たちと一緒に幸せに生きたかっただけなのに……』
押し寄せる後悔。
勝てないことは分かっていた。それでも止まれなかった。止まるわけにはいかなかったから。
だけど、本当にこれでよかったのか。この結末を本当に私は望んでいたのか。
最後に思い浮かんだのは彼の横顔。しかし、なぜか、どんな表情をしているか分からなかった。
『……ごめんなさい、先生』
届かない言葉をそれでも言い残す。それを最後に何かの繋がりがパリンと断たれた音が静かに響いた。
白井綾香の目線で語らせていただきました。彼女の最期の話です。
改めて悲劇ですね。
今回、グレイブと最後に会話するシーンを入れたくて入れました。そこで会話しますが、彼女は最後まで玉座に座っています。というのは彼女が魔王だからです。一人の少女、白井綾香であれば、最後の方立ち上がって、グレイブと近い距離で何らかのアクションを起こしてもよかったですが、書いているうちに違うなと思ってやめました。
この話で書いているように人は変わります。正しいのか間違っているのか別としてというところが、なんとも言えないところですね。
ちなみに、「何かの繋がりがパリンと断たれた音が静かに響いた」という最後のシーンは契約の魔法です。この魔法の効果が切れたことでグレイブは彼女の死を知り、本編へと移ります。




