7話目 お屋敷
「ぽやぽやが増量した…」
「心配して過保護になったのだろう」
御遣い様の愛ぐし子テオバルトの屋敷に保護されて来た翌日、ノーラは自分の周囲にぽやぽや光る精霊たちが今までの何倍もいることに気づいた。
テオバルトは達観した顔である。
「はっ!?テオバルト様のそれも心配されて!?ジン君も!?」
「俺はともかく、ジンのは好かれているだけだな」
ジン君、いい子だから…天然の精霊の愛ぐし子だった。
テオバルトのほうは顔良し家柄良しで、さらに御遣い様の愛ぐし子という最強の肩書き持ちなのだ。
殺意を向けた人間がいてもおかしくはない。
「納得したのなら勉強をしなさい。今は何を習っている?」
「グラ…グラ、グラ…大神殿の名前を書けるように教えてもらってた…」
「…書く前に覚えたらどうだ?」
「百万回書けば覚えるハズだからって…!」
書きながら覚える作戦なのだ。
昨日はジンに間違いを指摘されたところで事件が起きたので、一回しか書いていなかった。
覚えられている訳がなかった。
ノーラは屋敷のメイドさんに世話をしてもらいながらも、真面目に「グラン・グラダ」と書いて練習をしていた。
「ぐらん…ぐらだ…具だくさんサラダ…」
「ノーラ様、そういう事を考えていらっしゃるから覚えられないのでは?」
「だ、だって!似てたから!」
「似てませんよ」
なんて会話もしたが、真面目に練習をしていたのだ。ノーラ基準では。
集中力がないのは、前世の『あたし』もぼんやりノーラも同じだった。ノーラもすぐにぼや〜とあらぬところを眺めてしまう。
余計な連想をして脱線する『あたし』とどちらがマシなのか。
あんまり変わらない気がしたものだ。
ところでメイドのオバサンのメリダと、若いメイドのマイシャがノーラの世話係になったらしいが、メリダは厳しいがマイシャは貧民め、という顔で見下して来る。
メリダがいなくなるとマイシャが途端に態度を変えたので、ノーラはすかさずメリダに告げ口しておいた。
即座にマイシャはノーラの世話係から外されたが、貧民の世話などしなくて良くなったと喜べば良いのに、ノーラを射殺しそうな眼で睨んでいた。
ぽやぽや精霊たちがざざっとマイシャから離れたので、そういう事である。怖い。
「あたしが黙って耐える、そんな殊勝な子どもに見えたのだろうか…」
「見る目がないにも程がありますよ」
メリダもけっこう言うほうだった。
テオバルトがまだ独身なので、ツテを辿ってメイドになりたがる娘は多いとか。もちろん親も娘をテオバルトの嫁に据えたいので強引に押し付けて来る。
断れなくて受け入れているが、人柄は言うまでもない。
そんなメイドが他にも10人くらいいるらしいから、この屋敷も安全ではなかった。
大神殿よりマシなだけで。
貧民街出身の人間の扱いが、予想の何倍も厳しい世界だった。
「まあ、旦那様が引き受けた神官見習いに無礼を働いたのです。良い口実になりました」
「ここを出た後、お前のせいでぇ!!とか刃物持って襲って来ないよね…」
「……適切に対処しておきますよ」
マイシャはクビ確定らしいが、逆恨みも怖い。貧民ならためらいなく殺せる人種なのだ。
メリダたちは視えていないから分かっていない気がするので、テオバルトに訴えておこうと固く誓ったノーラだった。
ノーラは前世の公侯伯子男という貴族の爵位は知っていたが、この世界の身分制度は全く知らない。
王族と貴族と庶民と貧民に分けられているらしい、と判断しただけだ。
なので王太子が御遣い様の愛ぐし子の屋敷に気さくに現れる事が、普通の事かおかしな事か分からなかった。
屋敷の使用人たちは「いつもの事」という顔で対応しているけど。
呼ばれたので応接室に入ったノーラは、王太子を見て固まってしまった。
挨拶の正しいやり方も知らないのに。
「な、なんて言えば良いの?フレンドリーに『やあ、先日ぶり!』って言ったらいけない事くらいしか分かんない!」
「オレはそれで構わんが」
「子供の教育に悪いので黙っていて下さい」
ノーラを連れて来た老執事は「大神殿でお会いになられたと聞いていたので、神官たちが教えたものと…!」とちょっと言い訳していたが、廊下にノーラを連れて引っ込んで、付け焼き刃な挨拶の仕方を教えてくれた。
王族に対する時だけ使う敬礼で、軽く握った右手を心臓の上に当てて「この命は国に、王家にお預け致します」という意味合いで敬意を示しているとか。
そういえば大神殿で周囲の真似をした時にやったな、と思い出した。でも正しいやり方も意味も知らなかったのは事実だ。
自国の王族以外にやると自ら奴隷だと言うようなものなので、気をつけなくてはならないらしい。
そんなに珍しい動作でもないので、知らずにやらかしそうで怖い話だった。
挨拶の口上は省略された。
グラン・グラダすら覚えられていない子なので。
ノーラも長文は無理だと思う。
王太子イグレオンに促されて、ノーラは仕方がないので応接室に入ってソファに座った。
テオバルトの隣の席である。
大人たちは紅茶だがノーラの飲み物はジュースだった。でもソファに座っていると5歳児の手は届かないので、飾りなのかもしれない。
「例の阿呆は、予想通り御遣い様から敬遠されて怒り狂っているらしいな」
「自らの行いを振り返って反省できない時点で終わっていますから」
「御遣い様に対して暴言を吐き出し始めたらしいからな」
イグレオンとテオバルトが「信仰ってなんだろう」という話をしている。
信心のないノーラより酷い。
もちろん例の阿呆はノーラを殺そうとした神官見習いの貴族の坊々の事だろう。
他にノーラに聞かせる話はないはずだ。
「実はどこかの貴族の落し胤という事に出来ないか?面倒臭くなって来たんだが」
「お父さんがどこの出身なのかは知らないけど、ぼんやりのんびりした人だったよ。ババアはただのゴミカス」
「…ババアは貴族っぽいな」
「殿下」
確かに…!と思ってしまったが、ノーラを捨てた毒女が貴族だったとか、考えたくもない可能性だ。
奴は底辺で良い(捨てられた恨み)。
ちなみに父はノーラに良く似た人だった。
だから稼ぎがアレで……
「そうだった!ババアが金づるって顔して図々しく現れたらどうしてくれるの!?」
「…大神殿側で対処するだろう。きっと」
「神官見習いの家族に支払われるものはない。見習い本人が家族に渡すならともかく」
神官見習いが収入を得られるようになるのは、見習い卒業が近づいて来た辺りらしい。
聖典の写本作りなどで小遣い稼ぎが出来るそうだ。
大神殿にも下働きの人たちが雇われているので、彼らの仕事を奪うような小遣い稼ぎは出来ないらしい。
ノーラには10年くらい縁のなさそうな話だった。
でも神官見習いの間は大神殿が生活費などを負担して育ててくれるのだ。ノーラにしてみれば、ありがたい話である。
「あ、助けてもらった上にお金まで払ってもらったのにお礼を言ってなかった!ありがとうございます、テオバルト様」
「確認が取れるまでの数日分だ。たいした額じゃない」
「今もお世話になってるし…」
助けられてばかりなのでお礼くらいは言いたい。ノーラには他に返せるものがないのだ。
前世の知識で知識チートが出来るほど賢くなかったオノレが情けない。
「…5歳だったか?年よりしっかりしているな。うちのガキどもは、口は達者だが中身がないぞ」
「…ノーラ、大神殿の名前は覚えたか?」
「え!?グ…グラン・グラダ大神殿!」
「この国の名前は?」
「……グラなんとか王国……」
一度は覚えたはずなのに、グラグラ言われて分からなくなったのだ。
商店街のオバサンに聞いた時は覚えられたのに!
頭を抱えるノーラに、王太子も「これから勉強をすれば良い」と優しく言ったが、何かを悟ってしまったようだった。




