6話目 殺意
この世界の宗教は○○教という呼び方はしないらしい。
グランダル王国の周辺だけの常識かもしれないが、御遣い様が視える者がけっこうな人数存在して、他の宗教がないから必要がなかったようである。
代わりに宗派は多く分かれているそうで、総本山のあるグリド・グリズド教国が最大宗派で、グランダル王国は異なる派閥だった。
それでも総本山が上位に位置するらしく、グラン・グラダ大神殿で何か起きると介入する口実になる可能性が生じる。
過去に色々な事件が起きたようで、グラン・グラダ大神殿の神官たちには国民に対する執行権はほとんど与えられていないそうだ。
信者の前に国民である、という建前で王家が裁量する形になっている。
王太子イグレオンがわざわざ現れたのも、やっぱり面倒臭い理由があったからだった。
「御遣い様が視えると嘘をついた者を総本山に連行して行くだけなら気にするほどの話ではなかったのだが、他の神官たちにあらぬ罪を被せて教国に連れ去ろうとし始めた事があってな」
「この国の神官を奪って弱体化させるとか、そういう?」
「いちゃもんを付ける前振りだろうな」
ノーラは老神官から話を聞いている所だ。
固有名詞は覚えられなくても、話は理解できた。
中身がオバサン…オネーサンだから。
「貴族以外は神官になれない国もあって、そこはみるみる神官がいなくなってしまったそうだ。御遣い様の御座す場所には貴族しか入れないとした国など、御遣い様がお還りになってしまったし…」
「神様の所に帰っちゃったんだー…」
減る一方に聞こえるが、別の地に御遣い様が降臨した話もあった。
愛想を尽かした御遣い様が引っ越したという話である。
御遣い様に嫌われた!と国民たちも逃げ出して滅んだ国の話もあった。
気をつけないといけない事は良く分かる。
信仰とはかくも大切なものなのだ。
ノーラには信心がないので、なくても大丈夫かな?とぽやぽや精霊たちを窺ってしまう。
嫌われている様子はなかったものだ。
ノーラは「御遣い様」の次に「グラン・グラダ」という単語の書き取りを始めることになった。
「百万回書けば覚える!ハズ」という神官たちの判断だ。
本当に覚えられるのかな…とノーラは懐疑的な気分だ。
5歳児の脳みそならスポンジのように吸収するという言説も疑わしいくらいである。
「御遣い様」は見本を見なくても書けるようになったのだが。
ノーラがジンに「ここ違う」と間違いを指摘されて見本と見比べていると、荒々しい足音が近づいて来たと思えば乱暴に扉が開かれた。
教室内にいた子どもたちが全員、びっくりして犯人たちを見ている。
いや、犯人ひとりとお供が三人だった。
「貧民街の下等生物が神官見習いになっただと!?ふざけるな!」
原始人が来た。
とか暢気に思っていられる状況ではなかった。
見た事のないガキ、つまりノーラが貧民街の下等生物だと判断したようで、すごい形相で迫って来たのだ。ノーラは怖くて固まってしまって動けなかった。
相手は15歳くらいでまだ子どもと言える体格だったが、ノーラは5歳児なのである。
原始人の手がノーラに届く前にお供たちが止めたが、止めるならここに来る前にして欲しかった。
そして騒ぎに気づいて神官たちが駆けつけたが、だいぶ遅い。
ノーラは心の中で前世の『あたし』が大人として抗議していたが、実際には「ふえぇ…ふえっ…」としゃくり上げながら泣き出しただけである。
貧民街のゴロツキたちだって幼児に暴力など振るわなかったのだ。
いたずら小僧はともかく、ぼんやりした女児には乱暴なことはしなかった。
そんな今さらな気づきはどうでも良いのだが、お供や神官たちに止められて、原始人がさらに怒り狂っている。
ノーラにつられて泣き出す子もいたし、ジンやお姉さん的な子たちがなだめていた。
ノーラの所には神官が1人来て、ノーラをなだめつつちょっとびくびくしていた。
荒事と無縁な神官なのだろう。
ノーラも泣き止みたかったのだが、なかなか治まってくれない。前世の『あたし』より5歳児のノーラが全面に出ている感じだった。
同一人物ではあっても、やはり違うのだ。
普段は『あたし』が前に出ていても、のんびりさんなノーラは気にしていないだけなのだろう。
気を抜くとぼんやりしているのも、この身体がノーラのものだからなのかもしれない。
泣いているノーラの周りに、心配そうにぽやぽやたちが集まって来た。ノーラも充分、ぽやぽやたちに好かれているようだ。
泣いているので原始人の喚き散らす声は聞こえど何も見えないようなものだったので、『あたし』はそんな考察をしながら終わるのを待ったのだった。
原始人の名前に興味はなかったが、貴族の出身らしい。
異国の教訓話を聞いていないのか、理解力が原始人レベルなのか、神官とは選ばれた者のみがなるべき役目だ、と思い込んでいる害悪だった。
本当は商人出身の者も、職人や農民の子が神官になるのも許せないという思考の持ち主だ。
貧民街の孤児は我慢の限界になったという事である。
あれこそが、ノーラが神官見習いどころか御遣い様の愛ぐし子と知ったら殺しに来る過激派のひとりだった。
あれは迷わずノーラを殺すだろう。
同じ人間だと思っていないから。
「ぽやぽやたちが原始人を嫌う瞬間を見た…」
「ぽやぽや?ああ、精霊のことか。愛ぐし子どころか、神官に殺意を向けるとそうなる」
大神殿は危険なので、ノーラはテオバルトの屋敷に避難して来ていた。
博愛主義の愛ぐし子様が幼児を心配して、一時的に預かるという設定である。
信者たちが「さすが愛ぐし子様!」「なんとお優しい!」と感動していいたものだ。
ノーラはお貴族様並みのお屋敷にぽっかーんとさせられたが。
というか、名前が立派なのもテオバルトが貴族の出だからだった。
庶民ならノーラやジンのように短い名前が多いのだ。
「殺意…じゃあ両親が神官なのに養子に出されたあの子も…」
「……ああ、あれは仕方がないと俺も思ったが、精霊たちにはそこまで伝わらないようだからな」
両親だという神官たちは、お高くとまったほうの神官だった。
見習いを卒業しても、中身は変わらないのである。
神官になれないのに神殿で育てるのは子供にも良くないから──みたいな理由ではなく、出来損ないなどいらん、という人の心がない話だったのだ。
ジンに向かって「出来損ない」と言っていたのは、自分が両親から言われたせいかもしれない。
同じ年頃のジンが神官見習いなので、憎まずにはいられなかったのだろう。
そんなふうに想像して同情は出来るが、一度会っただけのノーラの妄想である。
「神官以外の人間相手なら、殺意を向けても気にしないの?」
「そのようだな。神官に嫉妬に満ちた目を向けていても、殺意にまで至っていなければ気にしないし」
殺意の定義は思ったより厳しいらしい。
ぶっ殺してやる!と怒りのままに思っても、多分実行する気がないのなら殺意判定にならないのだろう。
ノーラの中の『あたし』だって、ものすごく怒った時には心の中で死ねとかぶっ殺すとか、物騒なことを考えてしまうものだ。
でも怒りを吐き出すための思考なので、本気で殺す気はない。
余程の聖人でもなければ、そんな怒りを抱えた事くらいはあるだろう。
…つまり原始人は、本気でノーラを殺そうと考えたのだ。
今さら震えが走る。
「で、でも、あいつは御遣い様は視える神官見習いなんだよね?」
「御遣い様も精霊たちと同じ反応になるだろう。どうしようもない」
ますます怖くなって来た。
神官であることがアイデンティティだったのに、御遣い様に嫌われていることに気づいた時、どんな反応をすることか。
原因がノーラだと気づくとは思えないが、八つ当たりをしそうである。
そう、殺意を向けた相手に。
「怖い…!」
「あれの親も面倒臭いからな…」
あんな思想を持つ子供を育てた連中だ。
それは同類の原始人しかいないだろう。
大神殿に戻りたくなくて仕方がないノーラだった。
テオバルトは普段の一人称は『私』ですが、プライベートだと『俺』になります




