第四十六話 真犯人
卯月と甲斐田が、異変の起きた世怜音女学院へ突入する――その数十分前。
学院内の使われていない空き教室に、四人の少女が集まっていた。
「……これで大体まとまったかな」
北小路が机いっぱいに広げられた資料を眺める。
「結構聞きましたね……」
リゼも椅子に座りながら、一枚一枚資料を確認していた。
この三日間で四人は東堂コハクと来栖夏芽への監視を続ける一方で、他の生徒や教職員についても調査をあくまで日常会話の延長として生徒たちから学院についての話を聞いて回ったのだ。
「それにしても、すごい情報量……」
アンジュが机に突っ伏す。
「もう私、誰が誰と仲良くて、どの先生が人気でどの先生の宿題が多いのかまで覚えちゃったよ」
「それも潜入調査の成果ですよ」
「絶対いらない情報混じってるでしょ」
「でも楽しかったー!」
相羽ういはが笑う。
「みんな色々教えてくれたね!」
「相羽さん、途中から普通に友達作ってませんでした?」
「潜入するなら馴染まないと!」
そんな三人を横目にヒスイだけは資料をじっと見つめていた。
「……やっぱり変だ」
「ヒスイさん?」
リゼが反応する。
「何か見つけました?」
「見つけたっていうか……」
ヒスイは一枚の紙を取り出す。
そこには、世怜音女学院に所属する教職員たちの名前が記されていた。
「この人」
ヒスイが一つの名前を指差した。
「文乃貂先生」
「……文乃先生?」
アンジュが首を傾げる。
「技術の先生だよ」
ヒスイが答える。
「その人がどうかしたの?」
「誰も話してない」
相羽が瞬きをする。
「誰も?」
「この三日間、生徒たちに色んな先生の話を聞いたよね?」
「うん」
「夏芽先生の話も出たし。体育の先生の話も、担任の愚痴も、好きな先生の話も嫌いな先生の話も出た」
ヒスイは文乃貂の名前を指で叩く。
「でも、この人の名前だけ誰の口からも出てない」
「…………」
リゼの表情が変わった。
「偶然……では?」
「私も最初はそう思った」
ヒスイは首を振る。
「でも一年間ここにいる私ですら、この写真を見るまで忘れてたほど印象に残ってない」
「それは……」
「授業を受けたこともあるし廊下ですれ違ったこともある。一度くらい話したことだってあるはずなのに」
ヒスイは眉をひそめた。
「写真を見ずに顔を思い出そうとすると、ぼやける」
アンジュも身体を起こした。
「逆に怪しすぎない?」
「ですよね」
リゼも頷く。
人と接すれば、何かしらの印象が残るが――何もない。
存在しているはずなのに誰の記憶にも引っ掛からない。
「直接話してみよっか」
相羽が立ち上がった。
「ですね」
リゼも続く。
「文乃先生が普通の人なら、それでいいですし」
「じゃ、行ってみよう」
アンジュも立ち上がる。
「技術の先生だから技術室にいると思う」
ヒスイが言う。
「私はここに残って今までの情報を整理しておくから。何かあったらすぐ連絡して」
「分かった!」
相羽が答える。
三人は空き教室を後にした。
◇
校舎の一角にあった技術室は放課後ということもあり静まり返っていた。
「ここですね」
リゼが扉を見る。
「……なんか急に緊張してきた」
アンジュが呟く。
「コハクさんと夏芽先生の時とは状況が違うからね」
「まあ、話聞くだけだよ!」
相羽がいつも通りの調子で扉へ手をかける。
「失礼しまーす!」
勢いよく扉を開けるも教室の中は薄暗かったが、
「…………」
教室の一番奥に一人の女性が座っていた。
いかにも教員らしい落ち着いた服装の人物は三人をじっと見る。
彼女に驚く様子はなくむしろ最初から三人が来ることを知っていたようだった。
「待ってたぞ」
「……!」
三人の足が止まった。
相羽の表情から笑顔が消える。
「待ってた?」
「そうだ」
女性は立ち上がる。
「エニカラの潜入調査員どもが」
三人は目を見開く。
「どうして……」
リゼが呟く。
「私たちの名前を?」
「文乃先生」
相羽が一歩前へ出る。
「ちょっと聞きたいことが――」
「説明は不要」
その言葉と同時に空気が変わった。
「……え?」
アンジュが周囲を見る。
技術室の中心から黒い靄のようなものが広がり始める。
「何これ!?」
「外へ!」
リゼが振り返る。しかし。
「開かない!」
アンジュが扉へ手をかけるがびくともしない。
「この感じ……結界!」
リゼがヘルエスタセイバーを抜く。
「二人とも下がって!」
相羽が前へ出る。
アンジュも近くの壁へ手を触れ、いつでも『錬金術』を発動できる体勢になる。
「文乃先生」
相羽が睨みつける。
「あなたは何者?」
「何者、か」
女性は笑いながら。
「確かに」
ゆっくりと両腕を広げた。
「この姿で話すのも無粋じゃな」
口調が代わり一陣の風が吹いた。
「――ッ!」
リゼが目を細める。
彼女の服装が一瞬の内に変化して、教員らしい地味な衣服が消えて代わりに現れたのは――巫女装束を思わせる衣装。
さらに髪の間から二つの耳が伸びる。
「……狐?」
アンジュが呟く。
明らかに人間のものではなく、何となく狐を思わせる耳。
その姿を見た瞬間、相羽の目が僅かに見開かれた。
「……まさか」
「ほう?」
女性が相羽を見る。
「我を知っておるか?」
「直接は見たこと無いけど」
相羽は三年前の記憶を思い返す。
剣持が自身に憑依している神様について話していたことがあった。
「神……?」
女性は笑った。
「いかにも」
そして。
「文乃貂という名は、この学院で暮らすための仮初めの名に過ぎぬ」
一歩前へ出る。
「我が名は――フミ」
黒い結界の中でその姿が異様な存在感を放っていた。
「そして――神である」
フミは堂々と言い放った。
一瞬の沈黙の中アンジュがリゼを見てリゼも見返した。
「……神?」
「神らしいね」
「自称とかじゃなく?」
「聞こえておるぞ」
フミが僅かに眉をひそめる。
「疑うならば好きにせい。もっとも」
その身体から何かが溢れ出した。
「――!」
三人の本能が警鐘を鳴らす。
圧。それ以外に表現する言葉がない。
ただ立っているだけなのに目の前の存在が、自分たちとは根本的に違うことだけは理解できた。
「……本物っぽいね」
相羽が呟く。
「ですね……」
リゼの額を汗が伝う。
フミはそんな三人を眺める。
「もっとも、おぬしらは我に触れることすらできないだろうがな」
「何……?」
アンジュが睨む。
「生徒たちが先生のことを覚えてなかったのもあんたの仕業?」
「我の仕業じゃ」
あっさりと認めた。
「人の世で静かに暮らすには、目立たぬに限るのでな」
「認識を操作してた……?」
「そのようなものだ」
「じゃあ!」
リゼが問いかける。
「東堂コハクさんと来栖夏芽先生から感じられていた力は!?」
「ああ」
フミは少し考えまるで大したことではないように答えた。
「あれも我じゃ」
「……!」
「我の力を少しばかり付与させておいた」
「どうしてそんなことを!」
「決まっておろう」
フミが笑う。
「そなたらの目を逸らすためじゃ」
北小路ヒスイ。いや、エニカラが東堂コハクと来栖夏芽を疑っていた理由。
全てこの神によって仕組まれてた罠だったのだ。
「一年前からヒスイさんに気づいていたんですか?」
「当然じゃ」
「だったらどうして……」
「何もしなかったのか?」
フミは首を傾げる。
「我はただ、この学院で平穏に暮らしたかっただけだからな」
「……え?」
「生徒たちと過ごし、授業をして時折教師らしく叱り、平穏な日々を送る」
その声には先ほどまでとは少し違う穏やかな感情があった。
「我にとっては、それで十分だった」
リゼは剣を構えながらも困惑する。
「なら、エニカラと敵対する理由なんて――」
「なかった」
フミが答える。
「北小路ヒスイが我を探ろうとも、東堂と来栖へ意識を向けさせておけばよい」
「…………」
「クヲンが学院周辺に集まってきたことも、我の望みではない」
「あなたの力に引き寄せられていた……?」
「おそらくな」
つまりフミ自身にもクヲンを呼び寄せる意図はなかった。
ただ、神というあまりにも強大な存在が学院にいたが故にクヲンは集まっていたのだ。
「なら!」
リゼが声を上げる。
「私たちが話し合えば――」
「遅い」
フミの声が冷たくなる。
「え?」
「我は警告していたつもりだったのだ」
黒い靄が揺らめく。
「我から目を逸らせ、と」
「…………」
「それでもそなたらは最終的に我を見つけた」
フミは三人を見渡す。
「ならば」
笑み。
「それなりの対応が必要であろう?」
「相羽さん!」
「分かってる!」
そう言い終わる前に相羽がその場から消えた。
「――ッ!」
一瞬でフミとの距離を詰める。
「先手必勝!」
拳を握り、そのままフミの顔面へ。
「はぁぁぁぁっ!」
相羽のまともに受ければ人間などひとたまりもない一撃が直撃した。
衝撃が技術室全体を揺らす。
「やった!?」
アンジュが叫ぶが、
「……え?」
相羽が固まった。
フミはその場から一歩も動いていなかった。
「そんな……」
相羽の拳を片手で受け止めていたのだ。
「悪くないな」
フミが言う。
「人の身としてはな」
「――ッ!」
次の瞬間。
「相羽さん!?」
相羽の身体が吹き飛んだ。
「ぐっ!」
床へ叩きつけられる。
「相羽さん!」
「行くよリゼ!」
アンジュが壁へ手を触れる。
「錬金!」
壁が分解し再構築され無数の刃へ姿を変える。
「行けぇ!」
一斉にフミへ飛ぶと同時に。
「はぁぁっ!」
リゼがヘルエスタセイバーを構えて突進する。
前方と側面からの攻撃だったが、
「遅い」
フミが指を動かしただけで。
「え?」
アンジュの身体が止まる。
「動け……ない……!」
続いて。
「なっ!?」
リゼも剣を振り上げた状態で完全に停止した。
「身体が……!」
「人の身で神に挑むとは」
フミはゆっくりと二人の間を歩く。
「勇敢なのか無謀なのか我には判断がつかぬな」
「くっ……!」
リゼは必死に身体を動かそうとするが指一本動かない。
アンジュも同じだった。
「これが……神の力……?」
あまりにも無力だった。
「……やば」
倒れている相羽が何とか身体を起こす。
「これはちょっと……強すぎるかも……」
「相羽さん……!」
フミが三人を見る。
「安心せよ」
「……?」
「殺すつもりはない」
フミは淡々と言う。
「我は争いを好んでいるわけではない」
「だったら……!」
「ただし」
フミの目が鋭くなる。
「我の正体を知った以上、今まで通りというわけにはいかぬ」
「…………」
黒い結界がさらに濃くなる。
「さて」
フミが三人へ手を向ける。
「どうしたものかのう」
動けないから逃げることもできない。
リゼは歯を食いしばった。
――こんなのどうすれば。
その時、微かにひびが入るような音が聞こえた。
「……?」
フミが眉をひそめる。
黒い結界の一部に白いものが広がっていく。
「氷……?」
アンジュが呟いた次の瞬間、黒い結界の一部が凍結し砕け散った。
「――!」
フミが初めて驚いた表情を見せる。
「ったく……!」
一人の少年が右手に冷気を帯びながら飛び込んできた。
「女子校って入るだけでこんな苦労すんのか?」
「コウさん!?」
リゼの目が見開かれる。
「ウズコウ君!」
アンジュも声を上げる。
そして。
「間に合った……!」
その後ろから甲斐田晴も飛び込んでくる。
「甲斐田!」
相羽が笑った。
卯月は周囲を確認すると、倒れている相羽に動きを封じられたリゼとアンジュ。
そして、教室の中心に立つ狐の耳を持った女。
「……誰?」
卯月が尋ねる。
「神じゃ」
「…………」
卯月は数秒黙った。
「いや情報量多すぎない?」
「コウ!」
甲斐田が叫ぶ。
「今それ言ってる場合じゃない!」
「分かってますよ!」
卯月が右手を構える冷気が溢れ、足元へ氷が広がっていく。
フミはその少年を静かに見つめた。
「ふん」
そして僅かに笑う。
「まだ来るか」
神と言う圧倒的な力を前に。
卯月コウにとってのエニカラ隊員として初めてとなる、本当の戦いが始まろうとしていた。




