第四十一話 終戦
地面が僅かに沈み込み、周囲の空気が重くなる。
エニカラのリーダーとして、仲間を傷つけられた一人の人間として。
本気で怒りを露わにしていた。
叶はそんなチャイカを観察するように目を細める。
「怖いなぁ…でも」
叶は倒れている剣持へ視線を向けた。
「今はその子を助けた方がいいんじゃない?」
「余計なお世話」
「そう?」
叶は黒い箱を軽く持ち上げる。
チャイカはそれを見て、さらに表情を険しくする。
「それを返せば、剣持は元に戻るのか?」
「さあ」
叶は首を傾げる。
「試したことがないから分からない」
「あなたね……」
チャイカの声が低くなる。
次の瞬間、凄まじい速度で叶との距離を詰め、拳が振り抜かれる。
直撃すれば、人間の身体など簡単に吹き飛ぶほどの一撃。
しかし、チャイカの拳が叶へ届く寸前。
叶の目の前に、黒い亀裂が走って空間そのものが裂ける。
裂け目の向こうには、荒野とは全く異なる暗い空間が広がっていた。
異空間へ繋がるゲート。叶は葛葉を背負いながらその中へ一歩後退する。
チャイカの拳が空を切った。
「逃げるのか?」
チャイカが睨みつけると叶はゲートの縁へ立ったまま笑う。
「逃げるんじゃないよ、目的を達成したから帰るだけ」
「私と戦うのが怖いのか」
挑発するような言葉に叶は表情を変えなかった。
「まだチャイカさんとは戦う時じゃないんだ。それに……」
叶は黒い箱へ視線を落とす。
「せっかく手に入れたものを、すぐに危険へ晒す必要はないからね」
「随分と慎重なのね」
「慎重だから、今日の今日までゲーマーズは残ってるんだよ」
チャイカは再び踏み込もうとする。
しかし、叶は既にゲートの奥へ身体を移していた。
「それじゃあ、またね」
「待ちなさい!」
チャイカが手を伸ばす。
叶は最後に倒れている剣持を見た。
「剣持君にも伝えておいて。目が覚めることがあったら、また会おうって」
黒い亀裂が閉じていく。
「叶!」
チャイカが叫ぶ。
だが、その声が叶に届くことは無くゲートは完全に消滅した。
残されたのは倒れた剣持。そして、何も取り戻せなかったチャイカだけだった。
「……」
チャイカは暫く、叶が消えた場所を睨み続けるが追跡する手段はない。
ゲートがどこへ繋がっていたのかも分からない。
チャイカは拳を強く握る。
「してやられたわね」
表面的に見れば、エニカラは目的を果たしているように見えた。
だが、本当の標的だった剣持を守れず伏見を奪われた。
それだけで、この戦いの勝敗は明らかだった。
エニカラの敗北。チャイカはそれを認めざるを得なかった。
「……今は」
チャイカは剣持の元へ駆け寄り首元へ指を当て、脈を確認する。
弱いが、まだ残っている。
「まだ死なせないわよ」
チャイカは剣持の身体を慎重に抱き上げる。
「伏見もは取り戻すだから、それまで勝手に死ぬんじゃないわよ」
返事はない。
剣持の身体は、力なくチャイカの腕へ預けられていた。
一瞬だけ迷った後、チャイカは通信機を取り出した。
「こちらチャイカ、剣持を発見したが意識なし、呼吸と脈拍は極めて微弱。大至急、医療班を寄越して」
通信の向こうから慌ただしい返事が聞こえる。
雲一つない青空があまりにも静かで先ほどまでの死闘が嘘だったかのようだった。
「叶」
チャイカは小さく名前を呟く。
「次は逃がさない」
◇
それから数日後。
エニカラ本部、医療区画の白い廊下には、消毒液の匂いが漂っていた。
夕陽リリは、一人で病室の前に立っていた。
制服ではなくエニカラから用意された簡素な入院着と腕や額には包帯が巻かれている。
身体はまだ重く、目の奥にも鈍い痛みが残っている。
それでも、夕陽は自分の病室にいることができなかった。
目の前の扉。その向こうには、家長むぎが眠っている。
あの日、家長は一命を取り留めた。
しかし、今も意識は戻っていない。
夕陽は扉を開けると規則正しい機械音が病室に鳴り響いていた。
ベッドの上には家長が横たわっていた。
顔色はまだ悪く、身体の至る所に管が繋がれている。
夕陽はベッドの隣へ置かれた椅子へ座る。
「家長」
呼びかけるが返事はない。
「また来たよ」
夕陽は家長の手を握る。
温かい。
弱いながらも、確かに生きている印。それだけが唯一の救いだった。
『もう少し時間が必要みたい』
頭の中から山神の声が響く。
夕陽は小さく頷く。
「分かってる」
『生命力は安定してるからすぐに目を覚まさなくても、焦らなくて大丈夫だよ』
「……うん」
夕陽は小さく返事をしながらあの日のことを思い出す。
◇
数日前、夕陽は医療区画の病室で目を覚ました。
身体を起こそうとすると、全身へ激痛が走った。
「……っ」
「動かない方がいい」
傍にいた社が止める。
夕陽は朦朧とする意識のまま周囲を見た。
「家長は……?」
最初に出たのは、その名前だった。
社は少しだけ表情を緩める。
「手術は成功したからまだ意識は戻ってないが、一命をとりとめた」
夕陽は目を閉じ、身体から力が抜ける。
「よかった……」
その安堵に浸れたのは、ほんの僅かな時間だけだった。
社は何かを言おうとしているが、言葉を選んでいた。
夕陽はその様子へ気づく。
「何?」
社は黙る。
「まだ何かあるんでしょ」
「……剣持が見つかった」
夕陽の呼吸が止まる。
「剣持が?」
「ああ」
「チャイカが保護した」
「じゃあ、無事なの?」
社は答えなかった。
その沈黙だけで夕陽は最悪の想像をした。
「死んだの?」
「死んではいない」
社は焦ってすぐに否定する。
「だが」
一度言葉を切る。
「意識不明の重体だ」
夕陽の目が見開かれる。
「どうして……」
「剣持の中にいた伏見が、何らかの方法で引き剥がされた。」
社の拳が強く握られる。
「伏見を失った影響で、剣持は仮死状態に近い。今も治療を続けてるが、目を覚ますかどうかは現状分からない」
夕陽は何も言えなかった。
耳鳴りがして周囲の音が遠ざかっていく。
家長は重傷、剣持が意識不明。
一日の中で大切な友人を二人も失いかけた。
「会える?」
「今は集中治療室だ」
「少し離れた場所から見るだけなら」
夕陽は身体を起こそうとする。
「だから、まだ動くなって」
「連れていって」
「夕陽」
「お願い」
その声に社はそれ以上止めることができなかった。
車椅子へ乗せられた夕陽は、剣持が眠る集中治療室の前へ連れていかれた。
透明なガラスの向こうで何台もの医療機器に囲まれ剣持は眠っていた。
顔色は青白く、胸が動いているのかもここからでは分からない。
「剣持……」
夕陽はガラスへ手を当てる。
返事はない。
いつもなら夕陽が近づけば剣持は面倒そうな顔をして何か皮肉を言う。
あるいは、無理をしてでも大丈夫だと笑う。
だが今は何もない。
夕陽は、ただガラス越しに剣持を見つめ続けた。
社は少し離れた場所に立っている。
「ゲーマーズの目的は、最初から伏見だった。学校襲撃も全部、剣持を孤立させるための作戦だった」
夕陽の手が震える。
「全部……?」
「ああ」
社は答える。
「俺たちは負けた」
その言葉が。
夕陽の胸の奥へ深く突き刺さった。
◇
現在、家長の病室。
夕陽は握っていた家長の手へ、僅かに力を込める。
あの日から夕陽は泣いていない。
家長が倒れた時は、涙が止まらなかった。
自分を責め、未来視を憎み何も救えない自分へ絶望した。
だが、剣持の状態を知ってから。
涙は出なくなった。
悲しくないわけでも苦しくないわけでもない。
胸の奥には、今も押し潰されそうな痛みがある。
それでも、その痛みを覆い隠すほどに別の感情が強く燃え上がっていた。
「ゲーマーズ」
夕陽は、その名前を静かに口にする。
天宮を利用し、学校を戦場に変えて家長を傷つけ、剣持から伏見を奪った組織。
「絶対に許さない」
『夕陽』
山神が不安そうに名前を呼ぶ。
夕陽は答えない。
ただ、家長の手を握り続ける。
「伏見を取り返して剣持を起こす。家長が目を覚ました時に、全部終わったって言えるようにする」
その瞳には以前までの夕陽にはなかった、冷たい光が宿っていた。
誰かを守るために戦う少女ではなく、未来を変えるために剣を取る少女でもない。
自分たちから全てを奪おうとした相手へ同じ痛みを返すことだけを望む者の目。
『その気持ちを持つなとは言わない』
山神が静かに語りかける。
『でも、復讐だけを見ていたら――』
「分かってる」
夕陽は山神の言葉を遮る。
「自分を見失うかもしれないって言いたいんでしょ」
『……うん』
「それでも」
夕陽は眠る家長を見つめる。
その脳裏にはガラスの向こうで眠る剣持の姿も浮かんでいた。
「今の私を動かしてるのは、これしかない」
夕陽はゆっくりと立ち上がる。
窓の外、夕暮れに染まった空を見つめる。
「ゲーマーズを倒して伏見を奪い返す……そのためなら」
黒い羽が、夕陽の足元へ一枚舞い落ちる。
「私はもう、何だってする」
山神はそれ以上、何も言えなかった。
夕陽の心から悲しみが消えたわけでも優しさを失ったわけでもない。
ただ、深い悲しみの底で消えることのない炎が生まれてしまった。
友人を傷つけられ大切な人を奪われ、笑顔にあふれる未来を踏みにじられた少女の中で。
ゲーマーズへの復讐心が静かに。そして激しく。
燃える音がした。




