第四十話 神様は死んだ、って
目の前には、穏やかな笑みを浮かべる叶。そして少し離れた場所には、剣持との死闘に敗れ地面へ倒れた葛葉がいる。
「卑怯とは言わないでくれよ」
叶はそう言いながら、楽しそうに笑った。
剣持は荒い呼吸を繰り返しながら睨みつける。
「十分、卑怯……だ」
「そうかな」
叶は首を傾げる。
「もう……勝負はついたんだよ」
背後から葛葉の掠れた声が響いた。
全身に傷を負いながらも、震える腕で地面を押し、ゆっくりと上半身を起こす。
「葛葉」
叶が振り返る。
「お前……」
葛葉は赤い瞳で叶を睨んだ。
「ずっと見てたんだろ。一対一の勝負に首突っ込んでんじゃねぇよ」
「それはもう終わったでしょ」
「じゃあ俺たちの負けだ、お前は引き下がれ」
葛葉の指先が地面へ食い込む、そして息を吐きながら剣持の前へ腕を伸ばす。
「こいつは帰るんだ。後から来て、勝手に撃つな」
叶は僅かに目を細める。
「珍しいね、葛葉が誰かを庇うなんて」
「庇ってねぇ」
葛葉は吐き捨てる。
「俺の勝負を汚すなって言ってんだよ。」
「なるほど」
叶は穏やかに頷いた。
「でも、邪魔はしない約束だろ」
叶の姿が揺らぐ。
次の瞬間、葛葉の目の前に立っていた。
「――!」
葛葉が反応するよりも早く、叶の手がその額へ触れる。
小さな衝撃音が聞こえて葛葉の瞳から力が抜ける。
「が……」
身体が糸の切れた人形のように地面へ崩れ落ちた。
「なッ――!」
剣持が声を上げる。
叶は何事もなかったかのように手を払った。
「安心してよ。気を失わせただけだから」
「仲間じゃないのか……?」
「仲間だよ」
叶は平然と答える。
「だから殺してないじゃん」
その言葉に、剣持は寒気を覚えた。
同じ組織の仲間であっても、自分の作戦を妨げるなら迷いなく攻撃をする。
そこに怒りも憎しみもなく、叶にとってはただ必要な処理を行っただけだった。
『刀也君』
伏見の普段よりも弱々しい声が頭の中に響く。
『今すぐ逃げた方がいい』
「無理だ」
剣持は小さく呟く。
『あいつはまずい』
「分かってる」
叶は剣持と伏見の会話を見透かしているように、静かに笑った。
「伏見君もそう思う?」
剣持の表情が固まる。
「……どうして、その名前を」
「もちろん知ってるよ」
叶は当たり前のように答える。
「君の中にいる神様、伏見ガク」
頭の中で、伏見の気配が強張る。
『刀也君、こいつ最初から俺を……』
叶はゆっくりと剣持へ近づいてくる。
「ここまで長かったなぁ、君がエニカラへ加入して、色んな敵と戦わせて伏見君の力を育てて…ようやくこの日が来た」
「何を……言ってる」
剣持は傷口を押さえながら問いかける。
叶は剣持の数メートル手前で立ち止まった。
「ねえ、剣持君。少し考えてみようか」
叶は人差し指を立てる。
「どうして今日、二次三次高校にエニカラの戦力が集中していたと思う?」
「天宮が狙われていたからだ」
「そうだね」
叶は頷く。
「じゃあ、どうして僕たちが天宮こころを狙っているという情報が、都合よくエニカラへ漏れたんだろうね」
剣持の眉が動く。
「どういうことだ……」
叶は笑みを深める。
「ゲーマーズの本拠地も分からない。構成員全員の居場所も、作戦の全容も分からない。そんなエニカラが、どうして今回だけは襲撃前に正確な標的を知ることができたんだろう」
「……」
剣持は答えられない。
情報部が持ち帰ったとされる情報。
その信頼度が高いことは確認されていたはずで、実際にゲーマーズは天宮のいる学校へ攻め込んだ。
だから誰も、その情報自体が嘘だとは疑わなかった。
「もう分かっただろう」
叶は両腕を軽く広げた。
「今日の作戦の成功条件は、天宮こころの誘拐じゃない」
剣持の額を冷たい汗が流れる。
「じゃあ……」
「本当の目的は誰だったのか」
叶の視線が、剣持をまっすぐ捉える。
「分かるよね」
剣持の呼吸が止まりかける。
「僕……?」
「正確には」
叶は剣持の胸元へ視線を落とす。
「君の中にいる伏見ガクだ」
荒野に風が吹く。
それまで離れていた全ての出来事が、一つの線へ繋がった。
天宮こころが龍の一族の末裔であるという情報とゲーマーズによる学校への大規模襲撃。
大量のクヲンと複数の隊を足止めする構成員。
そして、剣持だけを人のいない荒野へ連れ出した葛葉。
「天宮は……目くらましだったのか」
「ご明察」
叶はあまりにも簡単に認めた。
「天宮こころが龍の一族の末裔なのは事実だけど、あまりにも未熟すぎるんだ。仮に手に入れたとしても、すぐに使えるかは分からない」
叶は少し退屈そうに肩をすくめる。
「天宮こころは、まだ何者にもなっていない」
剣持は怒りを込めて睨む。
「そんな理由で天宮を巻き込んだのか」
「うん」
「関係ない人を……学校の全員を危険に晒した!」
「作戦には必要だったから」
叶は一切悪びれない。
「ドーラを奪われてから君たちは必死だったもんね」
剣持は奥歯を噛み締める。
完全に読まれていた。
ドーラを奪われた後悔と次こそは守りたいという焦り。
全てを叶は作戦へ利用していたのだ。
「でも、一つだけ誤算があったよ」
叶は楽しそうに笑う。
「伏見君の力が、想像以上に成長していたこと」
『……』
伏見は何も答えない。
「最初にクヲンと戦った時の君たちは、未熟者同士だった。けどエニカラへ入って、多くの敵と戦ってとても成長した」
剣持の中で怒りが膨れ上がる。
「僕たちを……育てていたつもりなの?」
「僕が直接育てたわけじゃないよ」
叶は笑う。
「エニカラが勝手に育ててくれたからね。僕はただ、収穫する時を待っていただけ」
剣持は落ちている竹刀へ手を伸ばす。
指先が柄へ触れるが叶が足で竹刀を踏みつけた。
「まだ戦うつもり?」
「当たり前だ……」
剣持は力を振り絞り、立ち上がろうとする。
『無茶だ!』
「伏見は黙ってろ」
叶は二人のやり取りを眺め、少しだけ羨ましそうに目を細めた。
「いい関係だね…だからこそ、引き離す価値がある」
叶は懐へ手を入れると取り出したのは、一つの黒い箱だった。
金属とも木材ともつかない、不気味な素材でできたそれは表面には黒い紋様が刻まれ、生き物の心臓のようにゆっくりと脈打っている。
ゲーマーズ本拠地で叶が手にしていた箱が今、剣持の目の前にあった。
『刀也君、逃げろ!』
伏見が強く叫ぶ。
剣持は地面を蹴ろうとするが叶はもう目の前にはいなかった。
「遅いよ」
背後から声が聞こえたが振り返る暇もない。
叶の腕が剣持の身体を押さえつけ、黒い箱を心臓の位置へ強く押し当てた。
カチリと箱の蓋が僅かに開く。
「やめろ……!」
『刀也君!』
黒い光が箱から溢れ出す。
剣持の胸の中へ、鋭い杭を打ち込まれたような痛みが走った。
「があああああっ!!」
剣持の絶叫が荒野へ響く。
心臓が握り潰され、身体の内側から神経を一本ずつ引き抜かれていく。
そんな錯覚。いや、錯覚などではなかった。
『刀也君!』
伏見の声が遠ざかる。
「伏見……!」
剣持は胸元の箱を引き剥がそうとする。
だが、右肩は貫かれ、左手にも力は残っていない。
せいぜい指が箱の表面を掻くだけで、動かすことができない。
黒い紋様が剣持の身体へ広がって全身を這うように侵食していく。
『駄目だ!』
伏見が必死に抵抗する。
『俺は刀也君から離れない、離れるわけにはいかない!』
箱の中から、無数の黒い鎖が伸びてそれは肉体ではなく、剣持の魂の奥へ入り込んでいく。
そして、そこへ根を張るように存在していた伏見の神格へ絡みついた。
『ぐっ……!』
伏見の苦痛に満ちた声が聞こえる。
「伏見!」
『刀也君……逃げ……』
声が途切れる。
剣持の意識の中にこれまでずっと隣にあった伏見の気配が、少しずつ引き剥がされていく。
いつもそこにいた存在がそれが無理やり剥ぎ取られていく。
「やめろ……伏見を連れていくな……!」
叶は剣持の身体を押さえたまま、淡々と箱を見つめている。
「もう少しだな」
『刀也君!』
一瞬、伏見の姿が剣持の意識へ浮かび上がる。
苦痛に顔を歪めながらも、剣持へ手を伸ばしていた。剣持も手を伸ばす。
「伏見!」
二人の指先が触れる寸前。
黒い鎖が伏見の身体を完全に包み込んだ。
『刀也君――!』
黒い箱の中へ伏見の姿が引きずり込まれる。
その瞬間、剣持の中から伏見ガクの気配が完全に消えた。
「……」
剣持の瞳から徐々に光が失われると身体から力が抜け、叶の腕の中で崩れ落ちた。
叶が箱を離すと剣持は地面へ倒れ、そのまま動かなくなった。
呼吸はほとんどなく心臓の鼓動も、限りなく弱い。
「もちさん……」
僅かに意識を取り戻した葛葉が、遠くからその光景を見ていた。
「叶……お前……」
叶は答えない。
黒い箱の蓋を閉じると箱の表面に刻まれた紋様が、強く光っていた。
内部から微かに神聖な力が漏れ出している。
伏見ガク。
剣持へ憑依していた神の力が黒い箱の中へ封じられたことを確認して叶は満足そうに箱を見つめる。
「成功だ」
神に憑依された人間は、その神と魂の一部を繋ぎ合わせた状態となり身体の全てが、憑依した神の存在を前提に作り変えられていく。
一度深く結びついた神が無理やり身体から離された場合、残された人間の魂には巨大な空白が生まれてしまう。
その空白へ身体が耐えられず人間は生命活動をほとんど停止する。
伏見を奪われた剣持は仮死状態に陥っていた。
叶は倒れた剣持を一度だけ見下ろす。
そこに罪悪感はなく目的を達成した満足感だけがあった。
「君のおかげで、最高の力が手に入ったよ」
叶は通信機を取り出す。
ゲーマーズの全構成員へ回線を繋ぐ。
「こちら叶、目的は達成したから残っているものは全員撤退」
短い指示。
それだけで、今日の大規模襲撃は終わろうとしていた。
◇
同時刻、二次三次市大通り。
鷹宮、緑仙と笹木の戦闘は笹木が粘り強く戦っていたことで長引いていた。
その時、笹木の耳元に付けていた通信機が鳴った。
すると笹木の表情が変わる。
一瞬の驚きとその後、すぐに笑みを浮かべた。
「やっとかいな」
鷹宮が警戒する。
「何だ?」
「何でもないわ」
笹木はゆっくりと立ち上がる。
身体能力は大きく落とされているからまともに走ることすら難しいが、それでも近くの道路標識へ手を置いた。
「ウチ、もう帰るから」
「逃がすと思うか?」
鷹宮が鎌を振るう。
その瞬間、笹木は道路標識を全力で叩いた。
「最後に一発!」
ライバースキル――『台パン』
標識を中心として、道路全体へ巨大な亀裂が広がっていく。
周辺にあるあらゆるものが一斉にひび割れ地面が大きく隆起する。
「危ない!」
緑仙はパンダ分身を使い、崩れてきた瓦礫を受け止め鷹宮も鎌で破片を弾く。
土煙が辺り一帯を包み込んだ。
その隙に笹木は、ふらつきながら走り出す。
「次会ったら絶対ボコボコにしたるからな!覚えとけよー!」
笹木の声が遠ざかっていく。
緑仙は追おうとするが、道路の崩壊で進路を塞がれていた。
「逃げられた」
「腹立つな……」
鷹宮は鎌を下ろしながら、悔しそうに笹木が消えた方向を睨む。
しかし、二人はまだ知らない。
彼らの本当の目的が既に達成されてしまったことを。
◇
叶は黒い箱を片手に、倒れた剣持へ背を向けた。
少し離れた場所では葛葉が倒れているが二人とも、すぐに動ける状態ではない。
それを見て一瞬ため息を吐きながら、仕方ないといった表情で葛葉を担ぎ上げる。
「それじゃあ帰ろうか」
その時、風向きが変わる。
荒野を吹いていた乾いた風に、異質な圧力が混ざったのを感じ取り叶の足が止まる。
遥か遠く地平線の向こうから、一つの影が高速で近づいてくる。
人間とは思えない速度で荒野を駆け、岩を飛び越え、一直線にこちらへ向かっていた。
叶は目を細める。
「……あれは」
緑の影が大きく跳躍すると叶と剣持の間へ轟音と共に着地した。
「私も入れてよ」
低く、怒りを押し殺した声が響く。
叶は僅かに口元を緩める。
やがて風が砂埃を吹き飛ばすとそこに立っていたのはエニカラのリーダー、花畑チャイカ。
普段見せていた笑顔はない。
視線は倒れた剣持へそして叶が持つ黒い箱へ向けられていた。
「その箱」
チャイカの身体から、凄まじい圧力が溢れ出す。
「置いていきなさいよ」
叶は黒い箱を大切そうに抱えながら、静かに笑った。
「嫌だって言ったら?」
チャイカの足元へ亀裂が走る。
「力ずくで取り返すだけ」




