第三十話 夏の終わり
翌日。
コーヴァス支部の会議室には、重い空気が漂っていた。
長机を囲むように座っているのは、イブラヒムをはじめとしたコーヴァス支部の面々と、剣持、夕陽。
全員が一晩休んだはずだった。
それでも、昨日の疲労はほとんど抜けていない。
とくに、剣持は会議が始まる前から一度も顔を上げていなかった。
頭から離れない。
プテラノドンに捕らえられたドーラの姿。
伸ばした手が、僅かに届かなかった瞬間。
あと少しだった。
あと少しだけ速ければ、あと少しだけ力があれば。
そんな考えだけが、何度も頭の中を巡っていた。
「全員いるな」
イブラヒムが静かに口を開く。
誰も返事をしなかったが、彼はそのまま続けた。
「昨日の件について、本部と話した」
剣持が僅かに顔を上げる。
「ゲーマーズの諸々とそれから、連れ去られたドーラさんについて」
イブラヒムは机の上に置かれた端末を操作した。
壁の画面へ、コーヴァス帝国周辺の地図が表示される。
しかし、その地図には目的地を示す印が一つも付いていなかった。
「結論から言う」
イブラヒムは一度言葉を切った。
「現時点で、ドーラさんの奪還作戦は行えない」
その言葉に、剣持は反射的に立ち上がった。
「どういうことですか!」
会議室に大きな声が響く。
イブラヒムは剣持を真っすぐ見た。
「言葉通りだ。そもそも追跡できる情報がない以上、奪還作戦そのものを立てられない。」
「だからって、何もしないんですか!」
剣持は机へ両手をついた。
「ドーラさんは僕たちを助けるために戦って、その結果捕まった!」
「分かってる」
「だったら!」
「分かってるって言ってんだろ!」
イブラヒムの声が会議室を震わせた。
剣持は言葉を失う。
イブラヒムは強く握っていた拳を、ゆっくりと机の上へ置いた。
「気持ちは分かる。でも、どこへ行く?コーヴァス帝国中を探し回るのか?」
「それとも何の根拠もなく、ゲーマーズがいそうな場所へ片っ端から攻め込むのか?」
「それは……。」
剣持は答えられなかった。
「敵の人数も、本拠地の構造も分からない。それどころか、ゲーマーズがまだコーヴァス帝国内にいる保証すらない」
イブラヒムは画面に表示された広大な地図を指す。
「情報がないまま動けば、見つけられないどころかこっちが全滅するだけだ。そんな状況で誰がドーラさんを助ける出せるんだ?」
剣持は唇を噛んだ。
理屈では分かる。イブラヒムの言っていることは正しい。
敵の居場所さえ分からない状態で動いても、何もできない。
それでも、納得できなかった。
「本部の判断も同じだ」
イブラヒムが続ける。
「今はクヲンとゲーマーズの動向を調べる。これまで集めた情報を洗い直して、本拠地へ繋がる手掛かりを探す」
「ドーラさん奪還は、その後だ」
「その後って、いつですか」
剣持が低い声で尋ねる。
「その頃にドーラさんが無事だって保証はあるんですか」
会議室が静まり返る。
誰も答えられなかった。
イブラヒムも、すぐには口を開かなかった。
やがて、短く息を吐く。
「保証はない」
その一言が、剣持の胸へ深く突き刺さった。
「だから急いで情報を集める。今この瞬間にできることはそれだけだ」
剣持はしばらくイブラヒムを睨んでいた。
怒りをぶつける相手ではないことは分かっている。
イブラヒムも昨日、最後までドーラへ手を伸ばしていた。
能力が使えなくなるまで水を生成し続けた。
誰よりも悔しいはずだった。
それでも。
「……僕は納得できません」
剣持はそれだけ言い残し、会議室を出ていった。
扉が強く閉まる音が響く。
夕陽はその扉を見つめた。
追いかけようと僅かに腰を浮かせる。
だがイブラヒムが小さく首を振った。
「今は放って置け」
夕陽は少し考え、再び椅子へ座った。
会議はそのまま続けられた。
話し合うべきことはいくつもあった。
しかし、誰の表情からも昨日の敗北は消えていなかった。
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会議が終わってからしばらくして。
訓練場には、竹刀が空を切る音が響いていた。
「はっ!」
剣持が踏み込み、正面の訓練人形へ竹刀を叩き込む。
すぐに身体を捻り、別の訓練人形へ向かう。
休むことなく、何度も攻撃を繰り返すしたせいか呼吸は既に乱れていた。
制服の下へ汗が滲み、腕には震えが生じている。
それでも止めない。
止まれば、昨日の光景を思い出してしまう。
プテラノドンの脚に捕らえられたドーラ。
ドームに弾かれた竹刀。
何もできずに落下していく自分。
「もっと速く……」
竹刀を振る。
「もっと強ければ……!」
訓練人形へ叩き込む。
その衝撃で、竹刀を握る手に痛みが走る。
『刀也君』
伏見の声が聞こえる。
『少し休みなよ』
(まだ足りない)
『その身体で続けても、動きが鈍くなるだけだ』
(昨日、あと少しだったんだ)
剣持は竹刀を握り締める。
(あと少し速ければ、ドーラに手が届いた)
『あれは刀也君一人の責任じゃない』
(でも、僕が届かなかったことは変わらない)
剣持は再び踏み込んだ。
しかし、疲労で足がもつれる。
振り上げた竹刀が訓練人形へ届く前に、身体が前へ傾いた。
その肩を、横から伸びた手が支えた。
「そんな状態で続けても意味ないから」
夕陽だった。
剣持は支えられた身体を起こす。
「夕陽……目は大丈夫か?」
「人の心配をしてる場合?」
夕陽は訓練場の隅に置かれたベンチを指差した。
「座って」
「僕はまだ――」
「いいから」
いつもより強い口調だった。
剣持は反論する気力もなく、ベンチへ腰を下ろした。
夕陽も隣へ座る。
しばらくの間、二人とも何も話さなかった。
訓練場には、剣持の乱れた呼吸音だけが響いている。
夕陽は自分の目元へ手を触れた。
「私も同じことを考えてた」
剣持が横を見る。
「罠である未来を見たのに、止められなかった。もっと早く気づいていれば……もっと遠くまで未来が見られれば」
「そうすれば、ドーラさんは連れ去られなかったかもしれない」
「夕陽のせいじゃない」
「その理論で言うなら、剣持のせいでもないでしょ」
即座に返され、剣持は言葉に詰まった。
夕陽は正面を見たまま続ける。
「私たちは負けた。その事実は変わらない」
「……うん」
「悔しいし、腹も立つ。今すぐ助けに行きたいけど何もできないのが今の現状」
剣持は俯いた。
「イブラヒムさんと同じことを言うんだね」
「言っていることは正しいから」
「正しいからって、納得できるとは限らないよ」
「私だって納得はしてない」
夕陽の声が僅かに強くなる。
「奪還を諦めろって言われたなら、私も反対する。でも、そうじゃないから」
剣持は自分の手を見つめる。
竹刀を握り続けたことで、手のひらの皮が僅かに剥けていた。
「方法が見つかるまで、ドーラさんはどうなるんだろう」
「分からない」
夕陽は正直に答える。
「無事かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「だから、そうならないためにもできるだけ早く手掛かりを見つけるしかない」
「僕たちにできることなんてあるのかな」
「あるでしょ」
夕陽は剣持を見る。
「情報を集めて勝つために強くなる」
夕陽は一度言葉を切った。
「私たちが立ち止まっても、ドーラさんは戻ってこない」
剣持は黙ったまま、その言葉を聞いていた。
昨日までなら、無理にでも走り出していたかもしれない。
何も考えず、自分一人で敵を追いかけていたかもしれない。
けれど、それではまた同じことの繰り返し。
自分一人では届かない。仲間と一緒でも、準備が足りなければ負ける。
悔しさだけでは、誰も救えない。
「……このまま前に進むしかないのか」
「そうだね」
夕陽ははっきりと言った。
「助けるために戻るために、今は前に進むの」
剣持はその言葉を胸の中で繰り返した。
助けに戻るために進む。
諦めるわけでも、逃げるわけでもない。
次に手を伸ばした時、今度こそ掴むために。
剣持は床へ置いていた竹刀を拾い上げた。
しかし、先ほどのように訓練人形へ向かうことはしなかった。
「今日は休むよ」
「それがいい」
「明日からまた訓練する」
「無茶しない程度にね」
「夕陽も未来視の使い方、もっと練習した方がいいんじゃない?」
「今すぐその目を潰されたい?」
「冗談だよ」
剣持が僅かに笑う。
夕陽も小さく息を吐いた。
その様子を、訓練場の入口からイブラヒムが見ていた。
二人には気づかれないよう、壁の陰に身体を隠している。
剣持と夕陽の表情の変化を確認すると、イブラヒムは何も言わずにその場を離れた。
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それから数日。
コーヴァス支部は、ゲーマーズとドーラに関する情報収集を続けた。
剣持と夕陽も調査へ協力した。
訓練の時間も増やし、コーヴァス支部のメンバーと何度も模擬戦を行った。
だが、遠征期間には終わりがある。
夏休みが終わる前に、二人は学校へ戻らなければならない。
そしてついに、帰国の日を迎えた。
コーヴァス支部の前には、二人を空港まで送るための車が停まっていた。
剣持と夕陽は荷物を持ち、支部の面々と向かい合っている。
「短い間だったけど、ありがとうございました」
夕陽が頭を下げる。
「調査は失敗しちゃったけど……いろいろ学べた」
メリッサが柔らかく笑う。
「こっちも楽しかったよぉ。また来てね」
「次は絶対、もっと美味しいもの食べに行こう!」
フレンが夕陽の手を握る。
北見は剣持の前へ立ち、力強く拳を差し出した。
「また一緒に訓練しましょう!次に会う時は、俺ももっと強くなっています!」
剣持も拳を合わせる。
「僕も負けないように頑張るよ」
魁星は荷物が全て車へ積まれたことを確認すると、剣持へ顔を向けた。
「帰り道で何かあったら、鍵で支部へ繋ぐから連絡して」
「ありがとうございます」
「まあ、イブラヒム支部長のジェットなら何も起きないと思うけど」
榊も剣持たちへ歩み寄る。
「帰ったら、本部の人たちにもよろしく。ドーラさんのことは、俺たちも絶対に諦めないから」
「はい」
剣持は強く頷く。
最後にイブラヒムが前へ出た。
「本当はもっと良い経験をさせる予定だったんだけどな」
「僕たちが足を引っ張てしまったせいで……」
「あの状況であれだけ動けたなら立派なもんだ。だから自分だけの責任だと思うな」
剣持は会議室で感情をぶつけたことを思い出し、僅かに視線を落とした。
「昨日は、すみませんでした」
「別にいい。俺も言い方が悪かったしな」
イブラヒムは少し間を置き、真剣な表情で続ける。
「ドーラさんは必ず取り返す。本部とも連携して、ゲーマーズの居場所を探す。手掛かりが見つかったら、お前たちにも知らせる」
「その時は絶対に行きます」
剣持は迷わず答えた。
夕陽もその隣で頷く。
「私も」
イブラヒムは二人の顔を見比べ、僅かに笑った。
「その時までに、もっと強くなっとけ」
「もちろんです」
「じゃあ、またな」
イブラヒムが片手を上げる。
コーヴァス支部の面々もそれぞれ別れの言葉を告げた。
剣持と夕陽は車へ乗り込む。
窓の外へ手を振ると、フレンと北見が大きく手を振り返していた。
車が走り出す。
豪華なコーヴァス支部の建物が、少しずつ遠ざかっていく。
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空港では、来た時と同じ自家用ジェットが二人を待っていた。
剣持は搭乗前に一度だけ振り返る。
「剣持」
先に搭乗口へ向かっていた夕陽が振り返る。
「置いていくよ」
「今行く」
剣持はコーヴァス帝国の景色を目に焼きつけると、夕陽の後を追って機内へ乗り込んだ。
やがてジェット機は滑走路を走り、空へ舞い上がる。
窓の外で、砂漠の大地が小さくなっていく。
コーヴァス帝国での遠征は終わった。
クヲンやゲーマーズの正体は何一つ完全には解決していない。
むしろ、新たな謎と敗北を抱えて帰ることになった。
それでも剣持は、もう俯いてはいなかった。
次に戦う時。次に手を伸ばす時。
今度こそ、守りたいものを掴み取るために。
窓の外には、v東京へ続く空が広がっている。
そして、剣持たちの学校の夏休みも、間もなく終わりを告げようとしていた。




