第二十六話 ファイアードレイク
魁星が作り出した扉をくぐった瞬間、肌を撫でる空気が一変した。
コーヴァス支部の涼しく整えられた空気から、湿気を含んだ洞窟特有の冷気へと変わる。
剣持が最後に扉を通り抜けると、背後で空間の扉がゆっくり閉じた。
カチリ、と鍵のかかる音が洞窟内に響く。
「帰りの扉はいつでも出せるから安心して」
鍵をしまいながら魁星が告げる。
「ただ、洞窟の奥で何か起きて逃げることになった時は、俺の近くに集まってね」
「分かった」
イブラヒムが短く答え、一行を見渡した。
今回の調査に参加するのは、コーヴァス支部の面々と剣持、夕陽。
イブラヒムが先頭に立ち、その後ろを皆で歩いていた。
榊は周囲の暗闇を見ながら、自然な口調で口を開く。
「思ったより暗いな。明かり、もう少し増やした方がいいんじゃない?」
「そうだねぇ」
メリッサが小さく歌を口ずさむ。
柔らかな音色が洞窟内に広がると、一行の周囲に淡い光が生まれた。
「流石、メリッサ先輩のライバ―スキルですね!」
北見が声を上げる。
「暗闇をという概念に自身の歌声で『バフ』をかけて照らすなんて天才っすよ」
メリッサのライバ―スキルは歌うことで対象に『バフ』をかけることができる能力だ。
「大声出すな」
興奮する北見にイブラヒムが即座に注意する。
「洞窟が崩れたら洒落にならん」
「すみません!」
返事も十分に大きかった。
剣持は苦笑しながら周囲を見回す。
洞窟の幅は広く、天井もかなり高い。
壁面には採掘の跡らしき窪みが幾つも残されていたが、人が立ち入った形跡はほとんど見られない。
『今のところ、怪しい気配はないな』
伏見の声が頭の中から聞こえる。
(伏見でも何か感じたりはしない?)
『俺は神様だけど、クヲン探知機じゃないからなぁ』
(あまり役に立たない神様だね)
『言うようになったな、刀也君』
そんな会話を交わしながら、一行は洞窟の奥へ進んでいった。
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探索を開始してから一時間。
クヲンらしき存在は、一体も発見できなかった。
だが、足跡や抜け落ちた体毛、鱗などが確認できてクヲンらしきものが洞窟内に入ったという証拠までは押さえた。
しかし肝心のクヲン本体は一切見つからなかった。
剣持は周囲の静けさに耳を澄ませた。
水滴が岩へ落ちる音。
仲間たちの足音。
時折、奥から吹いてくる僅かな風。
それ以外には何も聞こえない。
「本当に何もいませんね」
夕陽の言葉に、イブラヒムが頷く。
「ああ、だが油断はすんなよ。反応がでたきりすぐ消えるクヲンだからな」
北見が勢いよく振り返った。
「つまり、未知の存在ということですか!」
「お前は何で嬉しそうなんだよ」
「未知との遭遇ですよ!」
北見が拳を握り締める。
「物語が動き始める予感がします!」
「嫌な予感しかしないけど」
剣持がそう答えた直後だった。
イブラヒムが持っていた端末から、鋭い警告音が鳴り響く。
全員の表情が変わった。
「反応が出た」
イブラヒムが画面を凝視する。
「クヲンですか?」
剣持が尋ねる。
「いや……違う」
イブラヒムの声から、僅かに余裕が消えた。
「クヲン反応じゃない」
「それより、もっとでかい」
端末の画面には、洞窟の遥か奥から発せられている巨大なエネルギー反応が表示されていた。
数値は急速に上昇している。
「この奥だ」
イブラヒムが顔を上げる。
「全員、警戒しろ」
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一行は足を速め、反応の発生源へ向かった。
進むにつれて、洞窟内の温度が上がっていく。
冷たかった岩壁は次第に熱を帯び、地面の裂け目からは赤い光が漏れ始めていた。
「暑い……」
剣持が額の汗を拭う。
「さっきまで寒いくらいだったのに」
夕陽も警戒しながら周囲を見ている。
『刀也君』
伏見の声が低くなる。
『この先、何かいる』
(今度は分かるの?)
『クヲンかどうかは分からない。でも、気配が大きすぎる』
やがて狭かった通路が終わり、巨大な空洞へ出た。
そこは自然に形成されたとは思えないほど広大な空間だった。
天井は闇の中へ消え、壁面には赤く輝く鉱石が無数に埋め込まれている。
空洞の中心には、巨大な岩山のようなものが横たわっていた。
「……あれは?」
フレンが目を細める。
岩山が僅かに上下している。
規則的に膨らみ、沈むたびに、洞窟全体へ熱風が広がった。
剣持が息を呑む。
それは岩ではなかった。
赤黒い鱗に覆われた巨大な身体と太い四本の脚、鋭い鉤爪。
背中には折り畳まれた巨大な翼。
長い尾は空洞の端まで伸び、頭部には立派な角が生えている。
「ドラゴン……?」
夕陽が呟く。
イブラヒムが端末を確認し、僅かに顔をしかめた。
「ファイアードレイクだ」
「本物!?」
フレンが驚きながらも目を輝かせる。
「初めて見た!」
「静かにしろって」
イブラヒムが小声で制止する。
しかし北見も興奮を抑えきれず、声を震わせていた。
「眠れる炎竜との遭遇……!まさに伝説の始まりじゃないですか!」
「だから声が大きい」
榊が北見の肩を押さえる。
メリッサは眠っているファイアードレイクを見つめながら首を傾げた。
「この子が反応の原因なのかなぁ」
「クヲンとは全然違う」
魁星も端末を覗き込む。
「どうします?」
夕陽がイブラヒムを見る。
イブラヒムは暫く眠る竜を観察した。
「刺激しないように一旦戻る。支部で情報を整理してから――」
グルルルル……。
洞窟の奥から、低い唸り声が響いた。
全員の動きが止まる。
ファイアードレイクの鼻先から、火の粉が漏れていた。
閉じられていた巨大な瞼が、ゆっくりと開く。
その奥から現れた金色の瞳が、一行を捉えた。
「……起きた」
剣持の声が引きつる。
ファイアードレイクは頭を持ち上げ、侵入者たちを見下ろした。
その口元から真っ赤な炎が漏れ出している。
「全員、散れ!」
イブラヒムが叫ぶ。
直後、ファイアードレイクが口を大きく開いた。
巨大な火球が放たれる。
夕陽の視界に、数秒先の未来が映った。
炎に呑み込まれ、全員が吹き飛ばされる光景。
「右へ避けて!」
夕陽の叫びに従い、一行が一斉に跳ぶ。
火球が直前まで立っていた場所へ着弾した。
轟音とともに爆炎が洞窟を埋め、地面が大きく揺れる。
岩盤が抉れ、溶けた岩が赤く流れ出した。
「当たったら終わりじゃないですか!」
剣持が叫ぶ。
「見れば分かる!」
イブラヒムが両手を広げる。
空中に大量の水が生み出され、巨大な壁を形成した。
「俺のライバ―スキルは文字通り『水創造』だ。とりあえず俺の後ろに隠れろ!」
ファイアードレイクが再び火球を吐く。
炎と水の壁が衝突する。
凄まじい水蒸気が発生し、空洞全体が白い霧に包まれた。
水の壁には巨大な穴が開いたものの、火球の威力は辛うじて殺されていた。
「熱っ!」
北見が腕で顔を覆う。
「水で防いでもこれだと俺一人じゃ長く持たない!」
イブラヒムが歯を食いしばる。
ファイアードレイクは四本の脚で立ち上がった。
その巨体だけで、洞窟の天井へ届きそうなほどだった。
竜が身体を反転させる。
長大な尾が岩壁を破壊しながら、一行へ薙ぎ払われた。
夕陽の目に再び未来が映る。
「左から尻尾! 伏せて!」
剣持たちは即座に身を屈める。
しかし尻尾の軌道上には、反応の遅れた北見が残されていた。
「北見!」
「おおおおおっ!」
フレンが地面を蹴る。
北見の前へ飛び出し、迫る巨大な尾を剣で受け止めた。
ドォン、と鈍い衝撃が空洞全体に響く。
フレンの足元の地面が砕ける。
「ぐ、ぐぐ……!」
竜の尾と比べれば、フレンの身体などあまりにも小さい。
それでも、彼女は押し潰されることなく踏み止まっていた。
「フレン先輩!」
「大丈夫!」
フレンは歯を食いしばりながら笑う。
「これくらいなら……力で何とかなる!」
「何とかなってないだろ!」
イブラヒムが水で足場を作り、尾を下から押し上げる。
フレンはその隙に北見を抱えて後方へ跳んだ。
巨大な尾が地面へ叩きつけられ、岩盤に深い亀裂が走る。
剣持は竹刀を構えながら、ファイアードレイクを見上げた。
(触れれば虚空が効くのか?)
『やめろ、刀也君』
伏見が即座に制止する。
『あれはライバースキルでドラゴンになってるとは思えない。恐らくは本物だ。』
(でも、このままじゃ……)
『無策で近づけば焼かれるか踏み潰される。今はみんなと動いた方がいい』
ファイアードレイクが翼を広げた。
翼が生み出した暴風だけで、一行の身体が後方へ押される。
さらに口内へ炎が集まり始める。
「また来る!」
夕陽は未来を見ようと目を見開く。
しかし連続使用による痛みが走り、視界が僅かに揺れた。
「夕陽!」
「平気……」
夕陽は痛みに耐えながら未来を確認する。
「正面じゃない!」
「上に撃って、天井を崩してくる!」
ファイアードレイクが火球を放つ。
火球は夕陽の言葉通り一行の頭上を通過し、洞窟の天井へ直撃した。
巨大な岩が次々と落下する。
「イブラヒム!」
「分かってる!」
イブラヒムが腕を振り上げる。
水が階段状に積み重なり、落下する岩を受け止めるための巨大な屋根を形成した。
しかし岩の重量によって水の屋根が大きく歪む。
「長くは持たない!」
「だったら私が壊す!」
フレンが落下する岩へ飛び上がった。
拳を振り抜く。
巨大な岩が空中で粉々に砕け散った。
続いて北見と剣持も、落ちてくる小さな岩を武器で弾いていく。
魁星は即座に空間に扉を作り、ネスとメリッサを安全な位置へ移動させた。
メリッサの歌声が洞窟内へ広がる。
歌を聞いた全員の身体が僅かに軽くなり、集中力が研ぎ澄まされていく。
「これなら、もう少し動ける」
剣持が竹刀を握り直す。
ファイアードレイクは再び首をもたげた。
口元へ炎が集まる。
イブラヒムが水の盾を作り、フレンがその前へ立つ。
夕陽は痛む目を押さえながら次の攻撃を読もうとした。
一触即発。
誰もが、次の一撃へ備えた。
その時だった、ファイアードレイクの動きが止まった。
金色の瞳が、一行の姿を順番に見つめていく。
ファイアードレイクは何度か瞬きをすると、口元に集めていた炎を飲み込んだ。
そして困惑したように首を傾げた。
「……おぬしら」
低く響く声が洞窟内へ広がる。
全員が固まった。
「喋った……?」
剣持が目を見開く。
ファイアードレイクは慌てたように翼を畳んだ。
「おぬしら、敵じゃなかったのか!?」
「それはこっちの台詞だ!」
イブラヒムが思わず言い返す。
「いきなり火を吐いてきただろ!」
「だって、起きたら武器を持った人間が大勢おった。普通、敵だと思うじゃろ!」
「確認する前に殺しに来るな!」
「そ、それは……すまんかった」
ファイアードレイクは気まずそうに視線を逸らした。
すると、その巨体が赤い光に包まれる。
巨大な身体が徐々に縮み、翼と四本の脚が光の中へ消えていく。
光が収まった時、そこに立っていたのは一人の女性だった。
鮮やかな赤い髪。
頭には竜の角が残り、腰の後ろからは太い尻尾が伸びている。
女性は少し乱れた服を整えると、全員を見回した。
「改めて名乗ろう、わしの名前はドーラ」
「この洞窟に住んでおる、ファイアードレイクじゃ」
剣持たちは武器を下ろすことも忘れ、人間の姿となったドラゴンを呆然と見つめていた。
クヲンを探して入った洞窟。
そこで彼らが見つけたものは、怪物でも敵でもない。
人の言葉を話す、一体のファイアードレイクだった。




