第二十一話 作戦の裏では
控室を出た剣持たちの足取りは、決して速いものではなかった。
巨大クヲンの襲撃によって非常灯へ切り替わった通路は薄暗く、天井から垂れ下がった配線が火花を散らしている。壁には亀裂が走り、床には崩れた建材や割れた照明の破片が散乱していた。
会場の外へ続く避難経路は、もう安全な通路とは呼べない。
剣持は甲斐田の腕を自分の肩へ回し、その身体を支えながら進んでいた。
甲斐田の怪我は深い。
早瀬との戦闘以前から消耗していた身体へ、さらに能力を使用した反動が重なっている。足を前へ出すたびに呼吸が乱れ、裂けた衣服の隙間からは止まりきっていない血が滲んでいた。
それでも甲斐田は、自分の足で歩こうとしていた。
「大丈夫ですか」
剣持が問いかけると、甲斐田は苦しそうに笑った。
「大丈夫って言いたいところだけど……ちょっと格好つかないね」
声には力がない。
それでも意識は保っている。
その隣では雨森小夜が、甲斐田の反対側の身体を支えていた。
戦闘能力を持たない雨森の細い身体では、成人男性の体重を受け止めることなどできない。それでも彼女は珍しく何も言わず、甲斐田の腕を抱えて一歩ずつ進んでいた。
顔の色が青ざめていた。
自分を守るために傷ついた者たちを目の前にして、普段の空想めいた言葉も出てこないらしい。
剣持自身も限界に近かった。
葛葉との戦闘と早瀬の超速による連続攻撃。
肩には殴打を受けた激痛が残り、呼吸をするたびに脇腹が軋む。伏見の神力で身体を動かしてはいるものの、その力を使うこと自体が、傷ついた肉体へさらなる負担をかけていた。
『刀也君、無理をしすぎだ』
頭の中から伏見の声が聞こえる。
普段の明るさはなく、剣持の状態を案じる緊張が滲んでいた。
「分かってるよ」
声に出す余裕もなく、剣持は心の中で返す。
だが、止まることはできない。
雨森を安全な場所まで連れ出す。
それが相羽から任された役目だった。
会場の外までは、あと僅か。
通路の先には、崩れた搬入口から差し込む外の光が見えている。
救助隊の声も聞こえ始めていた。
そこまで行けば、応援に来たエニカラの隊員と合流できる。
剣持が僅かに安堵しかけた、その時だった。
床へ何かが落ちた。
重い金属音。
三人の正面。
天井近くから飛び降りた一人の少女が、通路の中央へ着地していた。
衝撃によって床に亀裂が広がり、周囲の瓦礫が小さく跳ねる。
ゲーマーズに所属する立伝都々だった。
彼女は巨大な斧を肩へ担ぎ、獲物を見つけた子どものように目を輝かせていた。
その手に握られている斧は、一般的な武器の形から大きく外れている。
刃は分厚く、斧頭だけで少女の上半身ほどの大きさがあった。
「見つけた!」
立伝の声が、破壊された通路へ明るく響いた。
「そこの可愛い女の子さえ連れて帰れば、都々たちの勝ちだよね!」
剣持は甲斐田からゆっくりと身体を離した。
そのまま雨森へ甲斐田を預け、二人を庇うように前へ出る。
竹刀は葛葉との戦いで手放している。
残された武器は、自分の身体だけだった。
そして、早瀬の能力を無効化するために使用した『虚空』が、すぐに別の相手へ使えるのかも分からない。
能力を発動した時の感覚は、まだ右手に残っている。
だが、それを自在に引き出せるほど、剣持は自分の力を理解していなかった。
「雨森さんを連れていかせるわけにはいかない」
剣持は両手を構える。
立伝は嬉しそうに笑った。
「まだ戦えるんだ!」
次の瞬間。
巨大な斧が振り下ろされた。
剣持は横へ飛ぶ。
刃は床へ叩きつけられ、轟音とともにコンクリートを大きく粉砕した。
衝撃だけで身体が浮く。
着地した剣持の足は大きくよろめいた。
早瀬ほど速くはない。
葛葉ほど戦法が多いわけでもない。
しかし、立伝の攻撃には単純な力があった。
防ぐという選択肢そのものを許さない、圧倒的な破壊力。
立伝は床へ食い込んだ斧を、軽々と持ち上げる。
そのまま身体ごと回転し、横薙ぎに振るった。
剣持は身を屈める。
頭上を通過した刃が壁を切り裂き、巨大な亀裂を残した。
風圧だけで頬が切れ、血が流れる。
「避けるの上手いね!」
立伝は楽しそうだった。
疲労も恐怖も感じていない。
ただ目の前の相手へ武器を振るうことを、心から楽しんでいる。
斧が変形する。
長い柄が縮まり、刃が二つへ分かれたて両手斧になる。
自在に変形する斧。
これが彼女のライバ―スキル『おののおの』の能力である。
立伝は小型化した二本の斧を握り、一気に剣持との距離を詰める。
左右から迫る連撃。
剣持は腕で受け流し、身体を捻りながら避け続けた。
しかし、完全には逃れられない。
斧の柄が脇腹へ叩き込まれる。
「がっ……!」
身体が壁へ激突する。
膝が崩れ、呼吸ができない。
視界が揺れ始める。
立ち上がろうとしても、足に力が入らなかった。
『刀也君!』
伏見の声が響く。
神力が身体へ流れ込む。
だが、肉体の損傷が消えるわけではない。
強引に動かせば、それだけ後で大きな反動が返ってくる。
「剣持くん……」
甲斐田が壁へ手をつきながら立ち上がろうとしていた。
しかし、身体は既に限界を超えている。
爆弾を作り出そうと手を伸ばすものの、指先に僅かな光が集まっただけで消えた。
もう能力を使える状態ではない。
雨森は甲斐田を支えながら、剣持を見つめていた。
逃げ道は塞がれている。
戦える者は倒れかけた剣持一人。
立伝は二本の斧を再び一つへ合わせる。
今度の斧は、先ほどよりもさらに巨大だった。
疲弊した相手を確実に仕留めるため、攻撃力だけを求めた形。
「これで終わりかな!」
立伝が斧を持ち上げる。
剣持は壁へ手をつき、どうにか身体を起こした。
避けられるか分からない。
触れられるか。もっと分からない。
それでも前へ出るしかなかった。
立伝が床を蹴る。
巨大な斧を振り上げたまま、一気に距離を詰める。
その時、搬入口の外から幾つもの影が通路へ飛び込んできた。
立伝の足元へ光の弾が撃ち込まれる。
爆発。
斧の軌道が逸れ、刃が剣持の横の床へ突き刺さった。
立伝が驚いて振り返る。
そこには、エニカラの紋章を身につけた隊員たちが並んでいた。
前衛部隊。
救護班。
遠距離から武器を構える能力者。
会場の異変を察知し、本部から派遣された応援だった。
「保護対象を確認!」
「甲斐田と剣持が負傷している! 救護班を前へ!」
指示が飛ぶ。
複数の隊員が立伝を囲むように展開し、残りが剣持たちの救助へ回る。
立伝は周囲を見渡した。
正面に剣持。
背後にはエニカラの応援。
外からは、さらに多くの足音が近づいている。
どれほど戦うことが好きでも、状況を理解できないわけではない。
雨森を連れたまま、この人数を相手に突破することは難しい。
「うーん」
立伝は頬を膨らませる。
明らかに不満そうだった。
「まだ全然戦い足りないんだけどなぁ」
斧の形が変わる。
刃が小さくなり、柄が長く伸びた。
逃走の邪魔になる敵を遠ざけるための形。
立伝は巨大な斧を横へ振り抜いた。
巻き起こった風圧と瓦礫が、隊員たちの視界を塞ぐ。
その隙に身を翻し、崩れた壁へ向かって駆け出した。
「今日は帰る!」
瓦礫を足場に跳躍する。
その姿は壁の穴を抜け、会場の外へ消えていった。
追おうとした隊員を、指揮役の男が制止する。
今は敵の追跡より、負傷者と保護対象の安全が優先だった。
剣持は力が抜け、その場へ座り込んだ。
もう立っている必要はない。
雨森は無事。
甲斐田も救護班へ引き渡された。
ようやく役目を終えたのだと実感した瞬間、全身の痛みと疲労が一気に押し寄せてきた。
『よく頑張ったな、刀也君』
伏見の声が聞こえる。
剣持は僅かに笑った。
「本当に……疲れたよ」
その直後。
会場全体を震わせていた巨大クヲンの咆哮が止まった。
これまで続いていた轟音も、破壊音も聞こえなくなる。
代わりに外から響いたのは、地面へ巨大な何かが倒れたような重い衝撃だった。
少し遅れて、相羽ういはが搬入口から姿を現す。
衣服は所々破れ、髪にも埃が付いている。
だが、その表情は普段と変わらない。
彼女の後ろから長尾と弦月も続いていた。
長尾は二本の刀を鞘へ戻しながら周囲を確認し、弦月は負傷者の様子を見て表情を曇らせた。
巨大クヲンは、相羽隊によって討伐されていた。
「雨森ちゃん!」
相羽は雨森の姿を確認すると、一気に駆け寄る。
勢いのまま抱きしめそうになり、雨森が負傷していないことを思い出して寸前で動きを止めた。
「無事でよかった!」
雨森は何度か瞬きをした後、静かに頷いた。
「はい。皆さんのおかげで」
長尾は倒れている早瀬を確認し、続いて剣持へ視線を向けた。
「お前、またボロボロじゃねぇか」
「好きでこうなったわけではないんですけど」
「毎回そう言ってんな」
呆れた言葉だった。
それでも、長尾の表情には明らかな安堵があった。
弦月は甲斐田の治療を行う救護班の傍へ膝をつき、状態を確認している。
会場には大きな被害が出た。
多数の負傷者もいる。
だが、死者は確認されていなかった。
ゲーマーズによる雨森小夜の拉致計画は、再び失敗に終わった。
事件は、ひとまずの決着を迎えた。
*
同じ頃。
ゲーマーズの基地では、葛葉がソファへ深く沈み込んでいた。
服には埃が付着し、腹部には相羽の拳を受けた痕が赤黒く残っている。
治癒能力を持つ吸血鬼の身体でも、完全に痛みが消えるまでには時間が必要らしい。
葛葉は腹を押さえながら、心底不満そうな顔で天井を見上げていた。
「いや、あいつの力おかしいだろ」
向かい側では、叶が椅子へ腰掛けている。
複数のモニターには、既に作戦失敗の報告が表示されていた。
巨大クヲンは討伐。
早瀬は拘束。
立伝は撤退。
雨森小夜の確保には失敗。
赤の組織へ依頼した最初の作戦に続き、今回も目的を達成できていない。
「誰のこと?」
叶が聞くと、葛葉は身体を起こした。
「あの女だよ。いきなり出てきて、俺を一発で会場の外まで飛ばしたやつ」
思い出しただけでも腹部が痛むのか、顔をしかめる。
「剣持と遊んでたら、急に横から殴ってきたんだぞ。意味分かんねぇって」
「相羽ういはだね」
「名前とかどうでもいいわ。あれ人間じゃねぇだろ」
「一応、人間だよ」
「嘘つけぃ」
即答だった。
叶は小さく笑う。
葛葉がここまで一方的に不満をこぼすのは珍しい。
戦闘を楽しむ性格ではあるが、今回は楽しむ間もなく終わらされたのだろう。
「でも、剣持とは戦えたんでしょ?」
叶が尋ねる。
葛葉は少しだけ黙った。
剣持刀也という男の存在。
まだまだ未熟で戦闘経験も、ゲーマーズの上位戦闘員と比べれば足りていない。
それでも、追い詰められてなお立ち上がる目をしていた。
恐怖よりも、先へ進むことを優先する人間の目。
「まぁ」
葛葉は再びソファへ身体を沈める。
「つまんなくはなかった」
それだけ言うと、手元に置かれていたゲーム機を取った。
叶はモニターへ視線を戻す。
今回の作戦も失敗。
雨森小夜は再びエニカラに守られた。
二度も襲撃を受けた以上、今後の警備はこれまでとは比較にならないほど厳重になるだろう。
舞元啓介の自宅に学校と移動経路。
全てにエニカラの監視が付く可能性が高い。
正面から雨森を奪うことは、もう現実的ではない。
「雨森小夜は、一旦諦めようか」
叶は静かに呟いた。
その声音に悔しさはなかった。
執着も感じられない。
作戦の成功率を計算し、利益が少なくなった駒を盤上から外す。
ただそれだけの判断だった。
葛葉はゲーム画面を見たまま反応しない。
叶は報告画面を閉じる。
続いて、別のモニターへ新たな情報を表示した。
そこに映っていたのは、プロレス会場ではない。
雨森小夜とも関係のない場所。
そして、そこへ密かに持ち込まれたのは一つの黒い箱だった。
今回の作戦には、多くの視線が集まった。
巨大クヲン、雨森小夜、プロレス会場。
エニカラの戦力は、そのほとんどを事件の対応へ向けていた。
だから誰も気付かなかった。
同じ時間。
街の別の場所で、ゲーマーズの人間が何を運び込んでいたのかを。
叶の口元が、僅かに持ち上がる。
雨森の拉致は失敗した。
だが、今回の作戦全体が失敗だったわけではない。
会場の混乱も巨大クヲンも三人の刺客も。
最初から、街中の目を一箇所へ集めるための役割を持っていた。
「こっちは、うまくいったみたいだね」
誰にも聞こえないほど小さな声。
モニターの中。
黒い箱の表面に刻まれた印が、ゆっくりと赤く発光する。
布石はすでに置かれてしまったのだった。




