第十九話 吸血鬼
控室へ続く通路は、数秒前まで観客が行き交っていたとは思えないほど静まり返っていた。
遠くからは巨大クヲンの咆哮。
崩れ落ちる鉄骨。
そして、人々の悲鳴が絶え間なく響いている。
その喧騒だけが、この場所にも微かに届いていた。
廊下の中央。
その一本道を塞ぐように、一人の青年が立っている。
剣持は歩みを止める。
竹刀を静かに構え、相手の動きを観察した。
「……どいてくれ」
短く告げる。
今は戦っている時間などない。
目的は雨森小夜の安否確認。
目の前の男と勝負をすることではなかった。
しかし――。
「無理」
青年は肩を竦める。
その声に緊張感はない。
まるでゲームへ誘うような軽い口調だった。
「お前を通したら怒られそうだし」
次の瞬間。
宙を漂っていた血液が一斉に動いた。
鋭い音とともに圧縮され、小さな弾丸へ姿を変える。
「──『血の銃』」
乾いた破裂音。
無数の血弾が一直線に剣持へ襲い掛かった。
「っ!」
剣持は床を蹴る。
身体を大きく横へ流しながら竹刀を振るう。
数発は弾き落とす。
だが、残った弾丸が壁へ着弾した瞬間、コンクリートが大きく抉れた。
威力は拳銃など比較にならない。
まともに受ければ終わる。
「へぇ」
青年は少しだけ目を細めた。
「避けんの上手いじゃん」
剣持は答えない。
距離を詰めようと踏み込む。
しかし。
再び血液が空中へ広がる。
「近寄る?」
血液が剣の形へ変形した。
一本。
二本。
三本。
まるで赤い刃が空中に浮いているようだった。
「『血の剣』」
次の瞬間、それらは青年の手元へ集まり、一振りの長剣となる。
金属ではない。
それでも刃先から放たれる殺気だけで、本物以上の切れ味を予感させた。
剣持は竹刀を構え直す。
青年は剣を肩へ担ぎ、小さく笑った。
「あ、そういや名前言ってなかった」
軽い調子のまま口を開く。
「葛葉、吸血鬼」
それだけだった。
自分が何者か。
それだけ伝えれば十分と言わんばかりに、再び血の剣を構える。
「……剣持刀也」
剣持も短く名乗る。
「知ってる」
葛葉は笑う。
「お前を見に来た」
その言葉と同時に床を蹴った。
剣持も迎え撃つ。
竹刀と血剣。
二つの武器が激しくぶつかる。
金属ではないはずの血液が、鋼鉄と変わらぬ硬さで竹刀を受け止めた。
重い。
剣持は押し返される。
そこへ。
「『血の爆弾』」
葛葉が指を鳴らす。
剣持の背後へ回り込んでいた血液が一点へ集まり、小さな球体を形成する。
嫌な予感がした。
振り返る暇もない。
爆発。
轟音とともに赤い衝撃波が廊下を吹き抜ける。
剣持はとっさに前へ飛び込み直撃だけは避けたが、その衝撃だけで数メートル先まで吹き飛ばされた。
「がっ……!」
背中を壁へ打ち付ける。
息が詰まる。
葛葉は追撃しない。
余裕そうに歩いてくるだけだった。
「悪くねぇな」
「でも」
血液が再び銃へ変わる。
「遠距離苦手だろ、お前」
事実だった。
剣持の武器は竹刀。
接近しなければ何も始まらない。
しかし葛葉は距離を保ったまま、剣にも銃にも爆弾にも自在に戦法を切り替えてくる。
近付けない。
近付こうとすれば爆発。
避ければ銃撃。
無理に踏み込めば剣で迎え撃たれる。
「……。」
剣持は歯を食いしばる。
伏見も状況を冷静に分析していた。
『刀也君、このままだと消耗戦になる』
「分かってる……!」
だが、打開策が見つからない。
その時だった。
「どいてーーーっ!!」
廊下の奥から聞こえた、場違いなほど明るい声。
葛葉が振り向く。
「……ん?」
次の瞬間。
猛烈な勢いで飛び込んできた人影が、そのまま葛葉の腹部へ拳を叩き込んだ。
轟音。
空気が爆ぜる。
「え」
葛葉が何かを言うより早く、その身体は砲弾のように吹き飛んだ。
壁を何枚も突き破り、そのままアリーナ外へ消えていく。
静寂。
剣持は呆然と穴の空いた壁を見つめた。
そこへ、拳を振り抜いた姿勢のまま相羽ういはが振り返る。
「剣持くん! 無事!?」
「え、あ……はい」
「よかった!」
何事もなかったように笑う相羽。
その後ろでは崩れた壁から風が吹き込んでいた。
「あの人……」
「大丈夫大丈夫!」
相羽は軽く手を払う。
「まだ生きてるから!」
その基準がおかしい。
剣持が思わず苦笑する間もなく、会場全体が再び大きく揺れた。
巨大クヲン。
まだ戦いは終わっていない。
相羽は表情を引き締める。
「私はあっち行く」
「長尾と弦月だけじゃ少し時間かかりそうだから」
視線は天井を突き破った巨大クヲンへ向いていた。
そして剣持を見る。
「剣持くん」
「雨森ちゃんお願い」
「警護に甲斐田くんも残ってるけど……嫌な予感がする」
剣持は強く頷く。
「分かりました!」
その返事を聞くと、相羽は床を蹴った。
一歩で十数メートル。
次の瞬間には崩壊した会場へ飛び出し、巨大クヲンへ一直線に突撃していく。
その背中を見届ける暇もなく、剣持は控室へ向かって走った。
廊下の先。
開いたままの扉。
室内は戦闘の跡で荒れ果てていた。
家具は砕け、壁には深い亀裂が走っている。
そして、その中央。
膝をつき、肩で荒い息をする甲斐田晴の姿があった。
制服は裂け、腕からは血が流れている。
今にも倒れそうなほど消耗していた。
その奥では、雨森小夜の腕を掴んだ一人の女性が、ため息混じりに振り返る。
「……はぁ」
髪をかき上げながら、面倒そうに眉を下げる。
「今日はよう働く日やなぁ。」
雨森の腕を引いたまま、ゆっくりと剣持へ向き直る。
「また違うの来たやん。」
その足元が小さく沈む。
次の一瞬で駆け出せる。
そんな予備動作だった。




