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2O・3O(仮)  作者: 夜何時
第二章
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第十八話 陽動

休日の昼。


街一番の大規模アリーナは、開演前から熱気に包まれていた。


会場の外には限定グッズを求める長い列ができ、親子連れや学生、年配のファンまで、年齢も性別も関係なく一人のレスラーを目当てに集まっている。


『マスクドいちから・スペシャルプロレスショー』


巨大な横断幕が風に揺れ、その下を通る観客たちの表情には期待が溢れていた。


「いやぁ……夢みたいっすよ。」


観客席へ向かう通路を歩きながら、三枝明那は何度目かも分からない感嘆の声を漏らした。


パンフレットを胸に抱え、会場を見回す姿は、まるで遊園地へ来た子どものようだった。


「あのマスクドいちからを生で見られるなんて……。今日死んでも悔いないっす。」


「縁起でもないこと言わないでよ。」


剣持は苦笑しながら答える。


しかし、その視線は三枝とは違う場所へ向けられていた。


観客。


スタッフ。


警備員。


搬入口。


非常口。


自然に歩きながらも、頭の中では会場全体の配置を確認している。


昨日、エニカラ本部で社から伝えられた言葉が、今も耳に残っていた。


『雨森小夜も会場入りする。警護は相羽隊が担当する予定だ。』


『お前は客として来い。何かあっても一般人として動け。』


建前は理解している。


だが、本当に何も起きない保証はどこにもなかった。


ゲーマーズが一度狙った標的を、そう簡単に諦めるとは思えない。


剣持は何気ない仕草で周囲を見渡す。


頭の中では伏見も静かだった。


『……刀也君。』


「分かってる。」


小さく返事をする。


三枝はレスラー紹介のポスターへ夢中で気付いていない。


普段なら伏見も冗談を飛ばしてくる。


だが今日だけは違った。


神である伏見も、この会場へ漂う僅かな違和感を感じ取っていた。


やがて照明が落ちる。


大歓声。


花火が打ち上がる。


リング中央へスポットライトが集まり、一人、また一人とレスラーが姿を現した。


会場が揺れるほどの歓声。


実況席の声。


リングを叩く音。


技が決まるたびに響く歓声。


観客全員が立ち上がるような大技の応酬。


三枝は完全に試合へ引き込まれていた。


「うわぁぁぁ!!」


「今の受け身見ました!?先輩!!」


「見た見た。」


剣持も自然と笑みを浮かべる。


純粋に面白い。


リング上でぶつかり合うレスラーたちからは、命を懸けて観客を楽しませようという覚悟が伝わってくる。


舞元――マスクドいちからがリングへ姿を現れた瞬間には、会場全体が一つになったような歓声が巻き起こった。


その姿を見つめながら、剣持は少しだけ肩の力を抜く。


ここまで何も起きない。


もしかすると今日は、本当に平和な一日で終わるのかもしれない。


そんな考えが頭をよぎった、その時だった。


――――ゴォン。


低く鈍い衝撃音が、天井の向こうから響いた。


誰かが何かを落とした。


そんな程度の音だった。


リング上のレスラーも、一瞬だけ動きを止める。


観客もざわめき始める。


二度目。


三度目。


今度は建物全体が震えた。


照明が揺れる。


天井の鉄骨から細かな埃が降り始める。


「……なんだ?」


誰かが呟いた直後。


轟音。


アリーナの屋根が内側へ向かって大きく吹き飛んだ。


鋼鉄の骨組みが悲鳴を上げる。


割れた天井から降り注ぐ瓦礫。


そして、その中心から姿を現した。


巨大な黒い腕。


続いて現れた全身は、過去に剣持が戦ってきたクヲンとは比べものにならない。


十数メートルはある巨体。


漆黒の装甲。


何本もの腕。


赤く光る眼。


咆哮一つで空気が震え、観客席のガラスが砕け散った。


「グォォォォォォォォッ!!」


悲鳴が一斉に上がる。


数万人の観客が出口へ殺到する。


転倒する人。


泣き叫ぶ子ども。


押し潰されそうになる老人。


数秒前まで歓声に満ちていた会場は、一瞬で地獄へ変わっていた。


「避難してください!!」


誰より早く動いたのは相羽だった。


観客席上段から一気に飛び降りる。


着地した床が砕けるほどの衝撃。


「長尾! 弦月!」


「了解!」


長尾は刀を抜き放ち、瓦礫を切り裂きながら避難経路を確保する。


弦月は縦笛へ口を添え、混乱する観客たちの恐怖を和らげる旋律を響かせた。


パニック寸前だった人々が僅かに冷静さを取り戻し、係員の誘導へ従い始める。


相羽隊は一瞬で役割を分担していた。


相羽が巨大クヲンを引き付ける。


長尾が迎撃。


弦月は避難支援。


完璧な判断だった。


だからこそ。


剣持は違和感に気付く。


「……違う。」


伏見も同時に呟いた。


『刀也君。』


「これは。」


剣持の視線がリングではなく、そのさらに奥へ向く。


舞台裏。


関係者しか入れない控室。


「陽動だ。」


巨大クヲンをここへ送り込めば、当然エニカラは最優先で一般人を守る。


相羽隊も、今は目の前の怪物へ全戦力を割くしかない。


つまり。


雨森小夜の警護だけが、一瞬薄くなる。


「三枝!」


剣持は立ち上がる。


「あの人たちの指示に従ってな!」


「え、先輩!?」


返事を待たず、人混みを掻き分けて走り出す。


控室へ続く通路。


人気の消えた廊下には、遠くから響く悲鳴だけが反響していた。


剣持は速度を上げる。


あと少し。


曲がり角を抜ければ控室。


その瞬間だった。


「急ぎすぎじゃね?」


聞き覚えのない青年の声。


廊下の中央。


壁へ背中を預け、一人の男が立っていた。


白銀の髪。


気怠そうな赤い瞳。


片手をポケットへ突っ込んだまま、欠伸でもするように剣持を見つめている。


その周囲には、血のように赤い液体がゆっくりと宙を漂っていた。


「……。」


葛葉は退屈そうに笑う。


「初めまして。」


その笑みだけが、不気味なほど楽しそうだった。


「遊ぼうぜ。」

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