第十六話 学校にて
それから数日後。
剣持と夕陽は、ようやく学校へ戻ることを許された。
完全に傷が治ったわけではない。
剣持の身体にはまだ包帯が残り、激しい運動は禁止されている。
夕陽も肩を固定する必要はなくなったものの、未来視の使用は禁止されたままだった。
久しぶりに見上げる二次三次高校の校舎。
「平和だね」
校門を通りながら、剣持が言う。
「誰のせいで平和じゃなかったと思ってるの」
隣を歩く夕陽が答える。
「赤の組織」
「あんたも同類だよ」
そんな言い合いをしながら校舎へ入る。
教室の扉を開いた瞬間。
「剣持さん!」
家長むぎの声が飛んできた。
続いて、教室の中にいた複数の生徒が一斉に振り返る。
「リリちゃんも!」
家長は二人のもとへ駆け寄る。
いつもの柔らかな表情ではあるものの、その目には心配が浮かんでいた。
「もう大丈夫なの?」
「大丈夫」
夕陽が答える。
「肩もほとんど痛くない」
「剣持くんは?」
「僕も元気」
「包帯あるけど」
「念のため」
「本当に?」
「本当」
家長は疑うように剣持を見る。
その後ろから、三枝明那が勢いよく教室へ入ってきた。
「剣持先輩!」
声と同時に、三枝が剣持へ飛びつこうとする。
「待って待って!」
剣持が両手を前へ出す。
「怪我人だから!」
「あ、すみません!」
三枝は急停止した。
「でも、本当に大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だって」
「全然連絡つかなかったじゃないですか!」
「入院してたから」
「入院!?」
三枝の声が教室へ響く。
「やっぱり大怪我してたんじゃないですか!」
「声大きいよ」
「だって!」
教室の外から、天宮こころと鈴谷アキも姿を見せる。
「剣持先輩」
天宮が不安そうに近づく。
「本当に帰ってきた」
「帰ってくるよ」
「車を追いかけたまま、全然戻ってこなかったから」
「ごめん」
「リリ先輩も急に知らない人の車で行っちゃうし」
「連絡くらいしてください」
鈴谷も珍しく強い口調で言う。
「皆、すごく心配してたんですよ」
「それは……ごめん」
夕陽が素直に頭を下げる。
その態度に、家長たちが少し驚いたような顔をした。
「リリちゃんが謝った」
「私だって謝るときは謝る」
「ごめん」
「何でむぎが謝るの」
「珍しいって思っちゃって」
三枝は剣持の身体を上から下まで確認している。
「先輩、本当に何があったんですか?」
「何がって」
「誤魔化さないでくださいよ」
三枝の表情が真剣になる。
「あの日、剣持先輩は車より速いんじゃないかってくらいの速度で走っていったんですよ」
「言いすぎじゃない?」
「言いすぎじゃないです!」
「あまみやも見ました」
天宮が言う。
「普通の人の走り方じゃなかったです」
「それに」
鈴谷が続ける。
「後から来た人たちは、剣持先輩のことを知ってました」
「エニカラって人たち」
家長が言う。
「昨日、私たちのところにも少し話を聞きに来たよ」
「来たの?」
「うん。でも詳しいことは教えてくれなかった」
四人の視線が、剣持と夕陽へ集まる。
剣持は夕陽を横目で見た。
夕陽も剣持を見る。
エニカラやライバースキル、伏見の存在などそのすべてを話すわけにはいかない。
「色々あった」
剣持が答える。
「雑!」
三枝が即座に突っ込む。
「それで納得できると思います!?」
「できない?」
「できません!」
「詳しいことは言えないんだよ」
剣持の口調が少しだけ真剣になる。
三枝は言葉を止めた。
「言いたくないわけじゃない」
剣持は続ける。
「僕たちだけのことじゃないから」
「誰かに口止めされてるんですか?」
「そういう部分もある」
夕陽が答えた。
「事件の捜査に関わることだから」
「警察?」
家長が尋ねる。
「警察みたいなところ」
「エニカラ?」
夕陽は答えなかった。
沈黙が肯定のように伝わったのか、家長はそれ以上追及しなかった。
剣持は話題を変えようと鞄の中を探る。
「そうだ」
「その顔、話逸らそうとしてる」
夕陽が言う。
「違うよ。思い出しただけ」
「何を?」
剣持は鞄から二枚の封筒を取り出した。
「これ」
「何ですか?」
三枝が封筒を覗き込む。
表面には、派手な文字でイベント名が印刷されている。
中央には、筋骨隆々の覆面レスラーの姿。
「『マスクドいちから スペシャルプロレスショー』」
剣持が読み上げる。
一瞬、三枝の動きが止まった。
「……え?」
「色々あってチケットをもらった」
「誰にですか?」
「マスクドいちから本人」
その言葉を理解するまで、三枝は数秒かかった。
「本人!?」
再び教室へ大声が響く。
「何で先輩がマスクドいちから本人からチケットもらってるんですか!?」
「少女を助けたお礼」
夕陽が答える。
「その少女がマスクドいちからの知り合いだったの」
三枝は興奮を抑えられない様子で震えている。
「そんな……そんなことあるんですか!?」
「実際あった」
「先輩、マスクドいちからに会ったんですか?」
「会っては無い」
三枝は両手で頭を抱える。
「くぅ!どんな人か聞きたかったのに」
「三枝君、そんなに好きだったんだ」
家長が尋ねる。
「大好きですよ!」
三枝は即答した。
「小学生の頃からずっと見てます! マスクドいちからの試合を見てプロレス技を真似して、家のベッド壊したこともあります!」
「それは駄目でしょ」
天宮が苦笑する。
「必殺技の『農家式ラリアット』知ってます!?」
「知らない」
剣持が答える。
「知らないんですか!?」
「プロレス詳しくないから」
「夕陽先輩は?」
「全然」
「二人とも、このチケットの価値分かってます!?」
三枝は剣持が持つ封筒を、宝物を見るような目で見つめる。
「今回のスペシャルショー、チケット即完売だったんですよ!」
「そんなに人気なの?」
「当たり前です!」
「私、行かなくてもいいかも」
夕陽が言った。
三枝の動きが止まる。
「……え?」
「プロレス詳しくないし」
「でも、チケットは二枚あるからな」
剣持がチラリと三枝の方を見ると三枝は自分を指差した。
「俺?」
「行きたいんでしょ」
「行きたいです!」
即答だった。
「でも、いいんですか?」
「私は別に興味ないから」
「本当に?」
「本当」
夕陽は封筒の一枚を剣持から受け取り、そのまま三枝へ差し出した。
三枝は震える両手で受け取る。
「ありがとうございます……!」
「泣くほど?」
「泣きますよ!」
三枝の目には本当に涙が浮かんでいた。
「マスクドいちからのスペシャルショーですよ!? しかも前方席!」
「席まで見てなかった」
剣持が封筒を確認する。
「本当だ」
「先輩!」
三枝は勢いよく剣持の手を握った。
「一緒に行きましょう!」
「近い近い」
「当日は俺が全部解説します!」
「静かに見たいんだけど」
「技の名前、選手同士の因縁、過去の名勝負、全部説明します!」
「多いな」
「予習用の動画も送ります!」
三枝の興奮は止まらない。
天宮と鈴谷は、少し呆れながらその様子を見ている。
「よかったね、明那」
天宮が言う。
「一生分の運を使ったかも」
鈴谷も笑う。
「剣持先輩と二人で行くんですね」
「はい!」
三枝は満面の笑みを浮かべて、すでに当日の予定を頭の中で組み始めている。
「まず物販に並んで、マスクを買って、タオルを買って、それから写真撮影スポットで――」
「僕、チケット譲った方がよくない?」
「駄目です!」
三枝が即座に剣持の腕を掴む。
「先輩と行くって決まったんです!」
そのやり取りを見ながら、家長がほっとしたように微笑んでいた。
「よかった」
「何が?」
夕陽が尋ねる。
「いつもの感じに戻ったから」
その言葉に、剣持と夕陽は一瞬黙った。
いつもの教室といつもの友人たちにいつもの言い合い。
数日前まで当たり前だった日常。
だが今の二人は、以前と同じではない。
これからも危険な任務へ関わることになる。
すべてを友人たちへ話すことはできない。
それでも、ここへ帰ってくることはできる。
「そうだね」
夕陽が小さく答えた。
「いつも通り」
「先輩、次の休みに時間あります?」
三枝が尋ねる。
「試合の予習会やりましょう!」
「それはいつも通りじゃないな」
剣持が言う。
「今日から新しい日常です!」
「勝手に決めないでよ」
教室へ予鈴が響くと生徒たちが慌てて自分の席へ戻り始める。
「とりあえず席戻ろう」
家長が言う。
「先生来るよ」
三枝は名残惜しそうにチケットを鞄へしまう。
「先輩、放課後に詳しい予定決めますからね!」
「まだ決めることあるの?」
「いっぱいあります!」
「先が思いやられるな」
三枝たち一年生は、それぞれの教室へ戻っていった。
家長も自分の席へ向かう。
剣持は窓際の席に座り、隣の夕陽を見る。
「チケット、本当に譲ってよかったの?」
「よかった」
夕陽は興味なさげな顔をする。
「舞元さんからのお礼だったのに」
「私はプロレスより、剣持から伏見の説明を聞く方が大事」
その言葉を聞いて剣持は急に冷汗をかいた。
「まだ覚えてたの?」
「忘れると思った?」
「少しくらい」
「放課後、エニカラ本部に行くから」
「今日?」
「今日」
「ゆっくり考えていいって言われた相羽隊のことも?」
「それも考える」
教室の扉が開き、教師が入ってくる。
剣持は前を向いた。
日常へ戻った、そう見えるだけかもしれない。
けれど、彼らを取り巻く非日常は放してくれないだろう。
それでも今は。
友人たちとの会話や久しぶりに聞く授業開始の挨拶など。
そのすべてが、確かに剣持の日常だった。




