第十四話 戦後報告
目を覚ました瞬間、剣持刀也は見覚えのある白い天井を見つめていた。
「……またここか」
消毒液の匂いと身体を包む柔らかな寝具。腕へ繋がれた点滴。
そして、少し身体を動かすだけで全身に広がる鈍い痛み。
間違いない、エニカラ本部の救護室だった。
『おはよう、刀也君』
頭の中から、伏見ガクの声が聞こえる。
「おはよう」
『よく眠れた?』
「身体中が痛くて、全然寝た気がしない」
『でも意識が戻ってよかった』
「心配した?」
『そりゃするよ。刀也君、また倒れたし』
「またって言わないでよ」
『二回目だからね』
「まだ二回目でしょ」
『これから増えるみたいな言い方やめてくれない?』
伏見のもっともな返答に、剣持は小さく息を吐いた。
首だけを動かして、部屋の中を確認する。
救護室には、いくつかのベッドが並んでいた。
剣持の隣、薄いカーテンで仕切られた向こう側にも人の気配がある。
「……誰かいる?」
剣持が呟いた直後。
「起きた?」
聞き覚えのある声が返ってきた。
カーテンの隙間から顔を覗かせたのは、夕陽だった。
「夕陽」
「おはよう、重傷者」
「そっちもベッドにいるじゃん」
「私は軽傷」
「肩を固定されてるけど」
「軽傷」
「説得力ないな」
夕陽の左肩には固定具が巻かれていた。
頬にも小さな絆創膏が貼られ、額には薄く包帯が巻かれている。
工場でえまの攻撃を受けたことを考えれば、むしろその程度で済んだことが奇跡に近い。
「剣持よりはまし」
「僕も大したことないよ」
「全身包帯の人が言う?」
『言えてる』
「伏見は黙ってて」
「今、伏見に話した?」
夕陽の目が鋭くなる。
「……独り言」
「もうその言い訳は通用しないから」
「別に聞こえてるわけじゃないでしょ」
「返事の間でもう分かるから」
夕陽は得意げに言う。
そのとき、部屋の奥から椅子を引く音がした。
「二人とも、起きたばかりなのに元気だね」
穏やかな女性の声。
白衣姿の女性が立ち上がり、二人のベッドへ近づいてくる。
長い髪を揺らしながら、手元の記録端末を確認していた。
「体調はどう?」
女性は剣持へ尋ねる。
「痛いです」
「正直でよろしい」
女性は小さく笑い、剣持の瞳を確認する。
「気分が悪かったり、息苦しかったりは?」
「今のところは」
「頭痛は?」
「少しだけ」
「それは無理に神力を使った影響もあるかもしれないね」
剣持の手首へ触れ、脈拍を確認する。
「熱はない。意識もはっきりしてるし、ひとまず大丈夫そうかな」
「あなたは?」
剣持が尋ねる。
「あ、ごめんね。まだ名乗ってなかった」
女性は胸元へ手を当てた。
「健屋花那。エニカラで看護師をしてるの」
「看護師」
「そう。だから怪我人は放っておけません」
健屋は笑顔を浮かべたまま、剣持の額を軽く指で押した。
「特に、治りかけの怪我を抱えたまま車を走って追いかけて、能力者三人と戦って、さらに傷口を開いた人はね」
「痛い」
「押したからね」
「看護師が患者を攻撃していいんですか?」
「これは注意」
「物理的な?」
「言葉だけじゃ聞かなそうだから」
「僕、そんな無茶したかな?」
健屋と夕陽が同時に剣持を見る。
「……何?」
「死にかけてたよ」
健屋が即答した。
「出血量も多かったし、古い傷も開いてた。神経や骨に大きな損傷がなかったからよかったけど、運が悪かったら今ごろ会話できてない」
「そんなに?」
「そんなに」
剣持は開いた口がふさがらなかったが健屋は見向きもせず、端末へ何かを書き込む。
「夕陽さんは?」
「肩が痛いです」
「未来視の反動で頭痛は?」
「まだ少し」
「目の奥に痛みはある?」
「あります」
「無理に使いすぎたからね。初めての発現直後に連続使用なんて、本当なら絶対にさせたくないことなんだけど」
「仕方なかったので」
「仕方なくても、身体への負担は消えないから」
健屋は夕陽の瞳へ光を当て、反応を確認する。
「視界が二重に見えたり、今と未来が混ざったりはしてない?」
「今は大丈夫です」
「それならよかった。でも、しばらく能力の使用は禁止」
「しばらくってどれくらい?」
「社さんたちが判断するまで」
「長い」
夕陽は納得していない表情だったが、それ以上は反論しなかった。
救護室の扉が軽く叩かれる。
「入るぞ」
噂をすると、社築が部屋へ入ってきた。
その後ろには、甲斐田晴もいる。
「二人とも起きてるな」
「社さん」
「調子はどうだ?」
「痛いです」
「剣持君は正直ですね」
甲斐田が苦笑する。
「夕陽さんも大丈夫ですか?」
「肩と頭が少し痛いくらい」
「その少しを信用しない方がいいぞ」
社は呆れたように言った。
「剣持と同じで、無茶する側の人間だろ」
「一緒にしないで」
「工場まで乗り込んだ時点で大差ない」
夕陽が黙る。
剣持は少し得意げな表情を浮かべた。
「ほら」
「剣持は一人で行ったから駄目」
二人の言い合いが始まりそうなのを横目に、社がため息をついた。
「病室で元気なのは結構だけど、怪我人同士で張り合うなよ」
「すみません」
剣持が素直に謝る。
夕陽は視線を逸らした。
「健屋、あとは俺たちが話す」
「分かりました」
健屋は二人の点滴を確認し、記録端末を閉じる。
「ただし、長くならないようにしてくださいね」
「分かってる」
社は片手を上げる。
「一時間以内に終わらせる」
健屋は剣持と夕陽へ向き直る。
「何かあったら、そこの呼び出しボタンを押してね。無理に起き上がらないこと」
「はい」
「特に剣持君」
「僕だけ名指し?」
「特に夕陽さんも」
「私も?」
「二人とも同じくらい心配です」
健屋は二人へ微笑み、救護室を出ていった。
甲斐田は空いていた椅子をベッドの間へ運び、社の隣へ座る。
「じゃあ、まずは工場で何があったのか、改めて聞かせてもらえるか」
社は手元の端末を開いた。
「現場で長尾と弦月から大まかな報告は受けてる。でも、能力が発現した本人たちの感覚も重要だ」
「僕から?」
「順番はどっちでもいい」
剣持は右手を見る。
工場でえまに触れた瞬間。
あのときの感覚は、今でも鮮明に残っている。
「えまって人が、攻撃を受けるたびに強くなってたんです」
「えま★おうがすとですね」
甲斐田が補足する。
「赤の組織を名乗っていた三人の一人です」
「そう。そのえまが強くなりすぎて、長尾さんと弦月さんが倒されて」
剣持は一瞬、隣のベッドを見る。
「夕陽もやられた」
「やられたって言い方やめて」
「事実でしょ」
社が端末を指で叩く。
「続けろ」
「はい」
剣持は小さく息を吸う。
「皆が傷つけられてるのを見たら、すごく腹が立ったんです」
「怒りがきっかけか」
「多分」
「他には?」
「自分が何もできないのが嫌でした」
工場で感じた感情。
無力感。焦り。怒り。すべてが混ざり合っていた。
「それで、何かが見えた気がしたんです」
「見えた?」
「力とか能力とか。そういうものが、空白みたいに」
社の表情が真剣になる。
「えまに触れたら、その人の能力が消えました」
「消えたというより、停止したと見た方がいいかもしれません」
甲斐田が言う。
「えまさんの能力は現在戻っているそうです」
「戻ったんですか?」
「ああ」
社が答える。
「拘束後の検査で確認した。発動はできる。ただし、剣持が触れている間は完全に能力が使えなくなってたらしい」
「現状では一時的な無効化だな」
社は画面へ視線を落とす。
「発動条件は接触。効果は、対象のライバースキルを一時的に無効化」
「多分」
「能力以外にも影響はあった?」
「えまが強くなった分も全部消えてました」
「蓄積した強化まで初期化したってことか」
甲斐田は興味深そうに考え込む。
「単純な停止ではなく、能力によって発生した効果も解除している可能性がありますね」
「かなり厄介な能力だな」
社が言う。
「使い方次第じゃ切り札になる。ただ、自分でも仕組みが分かってない状態で無闇に触るな」
「分かりました」
『俺に触った場合のこと、聞いた方がいいかな』
伏見が小さく呟く。
剣持は答えなかった。
自分の中にいる伏見へ虚空が作用するのか。
その可能性はまだ誰にも話したくなかった。
「次、夕陽」
社が視線を向ける。
「お前の方は未来視で間違いないか?」
「多分」
「最初に見えたのは?」
「剣持が工場で大怪我するところ」
「実際にかなり近い状態になったな」
「未来ではもっと酷かった」
「具体的には?」
「血だらけで、ほとんど立ててなかった。最後は誰かに攻撃されて……そこから先は赤くなって見えなかった」
「死んだ未来かもしれないってことか」
「社さん」
甲斐田が制止するように名前を呼ぶ。
夕陽は少しだけ黙った後、頷いた。
「そう思った」
剣持が夕陽を見たが視線を逸らす。
「だから長尾たちと行った」
「工場では連続的に未来が見えたんですよね」
甲斐田が尋ねる。
「一秒とか二秒先。えまの攻撃が来る方向が見えた」
「それを他の人へ伝えて回避させた」
「最初はできた」
「途中からは?」
「見えても間に合わなくなった」
夕陽は固定された肩へ目を落とす。
「未来が見えても、相手が速すぎたら意味がない」
「それでも十分すごい能力ですよ」
「負けたけど」
「初めて使った能力で、強化された能力者相手に数分持ちこたえたんです。普通はできません」
甲斐田は優しく言う。
夕陽は褒められても、あまり嬉しそうではなかった。
「発動条件は危険の察知か、強い感情か」
社が考える。
「最初は剣持が怪我する未来。工場では戦闘中。本人か、近くの人間に危険が迫ったときに発動しやすいのかもしれない」
「自分で好きな未来を見られるわけじゃない」
「今はな」
「訓練すれば変わる?」
「可能性はある」
社は端末を閉じた。
「能力の詳しい検査は、身体が治ってからだ」
「赤の組織はどうなったんですか?」
剣持が尋ねる。
「三人とも拘束中」
「素直に話してる?」
「素直というか、まとまりがないというか」
社は面倒そうに額を押さえる。
「一人ずつ別々に聞いたのに、三人とも説明が微妙に違う」
「違うんですか?」
「三人とも依頼主がゲーマーズだという点は一致しています。ただ、直接依頼を出した人物については知らないようです」
「末端ってことか」
剣持が言う。
「そうだろうな」
社が頷く。
「準備不足だったのも、そのせいかもしれない。詳しい計画も目的も知らされず、対象だけ渡されて実行した」
「それでも誘拐したことは変わらないけど」
夕陽が言う。
「当然だ」
「あの少女は?」
剣持が尋ねる。
「あの子の名前は雨森小夜という」
「雨森……さんに怪我はありませんでしたか」
「ロープで手首に擦り傷ができた程度だ。あとは元気」
「そういえば元気そうだったな」
剣持は工場での雨森を思い出す。
誘拐されていたにもかかわらず、誰よりも落ち着いていた。
むしろ誘拐犯の方が精神的に追い詰められていたようにも見える。
「今も保護されてるんですか?」
「ああ」
「どうして最初からエニカラが監視してたんです?」
社は少しだけ間を置いた。
「マスクドいちからって知ってるか?」
「いえ、それがなにか」
「覆面をつけて活動してる人気プロレスラーだ」
「知ってる」
夕陽が言う。
「テレビにも出てる人でしょ」
「そうだ。そしてそのマスクドいちからからエニカラに依頼があった」
「依頼?」
「彼の本名は舞元啓介というのだが、自分の家に居候してる高校生が妙な連中に狙われてる。何か起きる前に見守り役をつけてほしいってな」
「その居候が雨森小夜」
「そういうことだ」
剣持は少し考える。
「舞元さんは、雨森さんが狙われる理由を知ってるんですか?」
「知らない」
「知らないのに依頼したの?」
「何度か家の周りを探ってる不審者がいたらしい。それに、雨森本人も身元に分からない部分が多い」
「身元が分からない?」
社は腕を組む。
「経歴がほとんど確認できない」
「記録がないってことですか?」
剣持の問いに甲斐田が補足する。
「完全にないわけではありません。ただ、調べようとすると情報が途切れている部分が多いんです」
「本人は何て言ってるの?」
夕陽が聞く。
「必要なことしか話さないんだと」
「工場ではずっと喋ってたけど」
剣持は呆れたように言った。
「とにかく舞元は、雨森の正体を知ってるわけじゃない」
社は続ける。
「ただ、家にいる高校生が危険な目に遭いそうだから守りたい。それだけだと」
「いい人なんですね」
「仮にも正義のヒーローもどきだからな」
「本人が聞いたら怒りそうですね」
甲斐田が言う。
「多分怒るな」
社は軽く笑った。
「エニカラは依頼を受けて、交代で見守りをつけてた。昨日は相羽隊の担当だった」
「長尾さんと弦月さん?」
「本来はもう一人いた。ただ、別件で少し離れた間に雨森が一人で動いた」
「それで誘拐された」
「そうだ」
「見守りの意味ないじゃん」
夕陽が言う。
「耳が痛いな」
社は苦い顔をする。
「こっちの落ち度でもある。ゲーマーズがここまで強引に来るとは想定してなかった」
「雨森さんは、どうして一人で動いたんです?」
「散歩」
「散歩?」
「本人はそう言ってる」
「誘拐されそうなのに?」
「自分が狙われてる自覚は薄かったらしい」
社はため息をつく。
「これからは監視などは徹底的にやる所存だ」
そう言うと社が姿勢を正す。
先ほどまでより少しだけ真剣な空気になる。
「話はもう一つある」




