その2 ようこそ、櫻井村へ!
「瑞稀! 起きてくださいませ! 到着ですわよ!」
「……美羽? ここは?」
美羽に肩を揺さぶられて、私はまぶたを持ち上げた。
目を覚ますと、私はなぜかいつもの私服姿でリムジンの中に乗っていた。
革張りのシートに、磨き上げられた窓。 そしてその向こうを流れていく、まったく見覚えのない景色。 ビルも、信号も、コンビニもない。 あるのは田んぼと、低い山と、やたらと広い空だけだった。
「いよいよ、今日からですわね! ドキドキですわ!」
「えっと。 なにが?」
まったく、話についていけてない。 惚ける私に美羽はこう言った。
「まあ! 今日から私と一緒に別荘で暮らそうという話でしたわよ」
「はあ?」
そうだったけ? ーーあれ? そうだった気がする。
頭の奥に、うっすらと記憶がある。 荷造りをして、家族に挨拶をして、車に乗り込んだ記憶が。 でも、思い出そうとすればするほど朧げだよ?
ーーまるで、強引に捏造されたような記憶だね? まあ、いいか。
やがてリムジンは、立派な門をくぐって静かに止まった。
私は、リムジンに揺られて屋敷の中へ。 そこでは美羽のお父さんの和馬が待っていた。
「ようこそ、倉石瑞稀。 我が別荘へ……この前は、あまり歓迎できなかったけど、今回は違うよ」
玄関ホールの左右には、使用人の皆さんがずらりと並んで頭を下げている。
どうやら、私は招かれたようだけど、なんか様子がおかしい。
垂れ幕に『結婚おめでとう』とか、『二人でお幸せに』とか書かれている。
ーーまるで、私と美羽が結婚したみたいだった。
「……あの。 何かおかしくないですか?」
「おかしい? 何がだね」
「その、歓迎していただけるのは嬉しいんですけど……さっきから皆さんが私のことを『奥様』って……」
和馬さんは、きょとんとした顔をした。 それから、心底おかしそうに笑った。
「娘の伴侶を何と呼べというんだね」
「はんりょ」
「瑞稀さん。 君はもう櫻井の人間だ。 遠慮なく寛いでくれたまえ」
隣で美羽が、私の腕にしがみついてくる。 わざと露出している格好が苛立たしい。
「ほら瑞稀、お義父様もこう仰っていますわ」
「ちょっ、待って美羽! 私まだ何も了承してないんだけど!」
「そんな! 瑞稀ってばいけずですわ!」
ーーなんなの? この状況? やっぱり、おかしいよ!
「……そうだ、瑞稀さん。 携帯は繋がらないと思うが、勘弁してくれ」
「ハア?」
和馬さんが、思い出したようにそう付け足した。 慌てて鞄からスマホを取り出す。 画面の左上、電波のマークが力なく寝そべっていた。
「……あの、ここって、どこなんですか?」
「我が家の別荘だよ? この前も来ただろう?」
「え? ええ……」
窓の外を見る。 山の中にある豪邸そのものだった。 異質な程に。
ーーあれ? こんな場所だったっけ?
「キャンセルで!」
「「……!!」」
私の発言にびっくりする二人。 ーーいや、当然だよね?
「なぜだね? ここには、なんでも揃っているよ? 自由気ままに暮らせるんだ!」
「そうですわよ、瑞稀! 一緒に生活しますのよ!」
「だから、それが嫌なんだって! ……たしかに、豪邸で自由気ままに過ごしたいけど、これは求めていないよ!」
「そ、そんな……」
「瑞稀はこれを求めてない。 瑞稀が求めているものを再構築中……」
私の発言に、あからさまに落ち込んでいる美羽。 一方、和馬さんは閃いたようにこう言った。 ーーなんだか、和馬じゃない、別の意識が働いてない?
「なら、仕方あるまい。 ちょうど村外れに空き地があるんだ……」
ーーそこの、地主にならないかい? 和馬さんは私にそう言った。
これが、私の田舎ーー通称櫻井村でのスローライフの始まりだった。




