物語の始まり ーーことね視点
二学期の初日。 放課後の生徒会室で、文化祭の打ち合わせが行われていた。
瑞稀は、用紙を配ると、抑揚のない声で説明を済ませてこう言った。
「……以上で説明を終わります。……なにか質問はありますか?」
誰の顔も見ず、ただ手元の用紙だけを見つめている。 態度はどこまでも業務的。
そこへ庶務の桐原舞香が手を挙げる。
「倉石会長、質問があります!」
「……桐原さん。質問をどうぞ」
「文化祭の行事についてですが……これでは、あまりにも規模が小さくないですか? 屋台も無し、体育館での個人発表も無しなんて……これは、文化祭ではありませんよ?」
「桐原さん、文化祭は前回中止になったんですよ? 復刻しただけでも、充分な事だと思いますが?」
「それは……櫻井副会長はどう思いますか?」
「舞香様、私は別に興味がありません……」
「そうですか……吉澤書記はどうですか?」
さて、ここで狂言回しの出番ね。 ひとみは文化祭には微塵も興味がない。
ーーしかし。 ほぼ一年間かけて、ある計画を立てていた。
けれど、そんな仕草を見せず、お得意の猫被りを披露するのよ。
「はわわ。 私如きが意見なんて……」
「そっか……みんな文化祭に興味がないんだ……」
舞香が黙り込んでしまう。 どうやら落ち込んでいるらしいわ。 あの姉といい、どうしてこの姉妹は文化祭にこうも熱意を持つのかしらね。
凛は、この場にいなかった。 彼女がいれば、間違いなく言い争いになっていたでしょう。
ーーなぜ瑞稀は、わざわざ凛のいないこのタイミングを選んで説明したのか。
答えは簡単。 あえて、彼女がいない今この時を選んだのよ。 瑞稀とは、そういう人間に成り果てたの。 波風を立てず、ただやり過ごすことだけを覚えた、空っぽの会長にね。
「……では、反対意見がないのでこのまま……」
「待ちなさいよ……倉石瑞稀! この私がいないタイミングで、なにをしているの?」
「……黒田凛……」
「……まあ、そんなことだろうと思ったけどね。倉石瑞稀!」
突然ドアが開き、黒田凛が踏み込んできた。 そして瑞稀に指を突きつけて、こう告げる。
「貴方は生徒会長をクビよ!」
「……黒田会計。なにを言っているんですか?」
「あらら? 惚けちゃって! 校長先生から、通達は既に来ているはずよね? 元生徒会長倉石瑞稀?」
「…………」
おや、急展開よね? 事態を呑み込めない舞香が、凛に尋ねる。
「凛ちゃん、どういうこと?」
「ふふ。上に駆け込んで、私を生徒会長にしてもらうようお願いしたの。 みんな喜んで了承してくれたわ! アンタ嫌われてるのよ、ザマぁ……はい、これが証拠!」
凛は瑞稀へ封筒を叩きつける。 それは、瑞稀にとっては解雇通知も同然だった。
「バイバイ、無能な生徒会長。 ……さて、これから会議を始めます! 文化祭は大々的にやるわよ!」
「そんな! 凛ちゃん、無茶苦茶だよ!」
「桐原舞香。 貴方は黙ってなさい! 何もできないわよ。 アンタの姉……桐原彩乃だったらともかくね?」
「………そうだよね。 私はどうせ、何もできない……」
「ふふ。わかればいいのよ舞香。 ……あれ? まだいたの、元生徒会長倉石瑞稀さん。 ……部外者は出ていってくれるかしら?」
「……私は、生徒会長だよ。 たったそれだけが、私の存在価値だから……」
それだけ言い残すと、瑞稀はまるで消えるように去っていく。
「ふふ。負け惜しみね。 さて、詳しい説明会を始めますね……」
◇◇◇
放課後、校舎裏のベンチに、瑞稀は独り佇んでいたわ。 その目には涙が滲んでいる。 己の無力さを嘆いているのでしょうね。 たったひとつの肩書きを失って、本当に空っぽになってしまった哀れな子。
――そして、瑞稀にひとみが手を伸ばす。 健気なフリをしたひとみが、瑞稀へ近づいていく。
「はわわわ。倉石生徒会長!」
「……吉澤さん。 私、生徒会長じゃないんだって……分相応だったね、私には。 これで私は、なにもなくなってしまったよ……」
ふふ。 哀れねぇ。 けれど、その空虚こそが付け込む隙よ。
「あわわ。そんなことないですよ。 生徒会長は、倉石さんが適任です! きっとなにかの間違いです。 ……そこで、提案があるんですが……」
ひとみが、ほぼ一年がかりで練り上げた策に、この子を組み込もうとしている。
「生徒会長の地位に戻るためには、それ相応の場が必要です。 そこで私が文化祭のために立案している計画があるのですが……その代表者になって欲しいんです! この活動が認められれば、きっと生徒会長に戻れます!」
「……なるほど。 たしかに、文化祭という正式な場が適切なタイミングですね。詳しく教えてください」
「はい! あ、あの。 期待してますから……」
「……ありがとう。吉澤さん。私、頑張るよ……」
頑張れ。 当日まで、せいぜい気持ちを昂らせておくといいわ。
――その先で待っているのが、何なのかも知らずに。
ひとみは、この子を生贄に捧げるつもりなのよ。 文化祭当日、会場の凡人たちが浮かれるその瞬間に、己の願望を成就させるためにね。 瑞稀の絶望が深ければ深いほど、その儀式は完成に近づく。
哀れな倉石瑞稀。 私に歯向かったときの貴方は、まだ「何か」を持っていた。今の貴方は、すがる肩書きすら失って、悪意に手を引かれるまま、自ら破滅へ歩いていく哀れな少女よ。
◇◇◇
「…………倉石瑞稀」
美羽が、瑞稀のいるベンチの方を見つめている。
「こんな所にいたんだ! ……櫻井さん、帰りますよ?」
「……かしこまりました。舞香お嬢様」
「もう! お嬢様はいらないって」
「……いえ。これは私のこだわりですので、お気になさらず」
「こんな所でなにをしてたの? ……あれは、倉石さんと吉澤さん? なにを話しているんだろう?」
「………嫌な予感がします」
「……ははは。 考えすぎだよ! 二人に限ってそんなことはないよ」
「……そうですか……」
美羽。 貴方の予感は、正しいわよ。
凍りついた心の奥で、まだ何かを感じ取る力が残っていたのね。 けれど、その勘を口にする自信も、踏み込む勇気も今の貴方にはない。
そうして誰も気づかぬまま進んでいく。




