理想は幻想 ーー凛視点
舞香の話は、私にとっては空想の物語だった。
「彩乃さんが言ってた、悪霊って……」
「うん。 それね、今回のこととは、関係なかったの」
「今回のこととは、ってなに?」
「秘密」
舞香は、ぽつりとそれだけ言った。 その件は終わりと言うように、話を戻した。
「お姉ちゃんはずっと、アレが私たちに関わってるんだって思い込んでた。 でも、今回違ったんだ。 ちゃんと二人で話して、やっと、分かり合えた。 ずっとすれ違ってきた、不器用な私たちはようやく……」
舞香は小さく笑う。 まるで、遠回りをしていた、とでも言うように。
「お姉ちゃんの願望はね、理解されること。 ……それが、さっき、叶ったの」
「……理想が叶ったから消えた?」
「理想? ……なるほど。 そうだったんだね。 ……うん。 理想を叶えた人は、この世界から退場する。 それが、ここのルールみたい」
舞香が、私の発言に納得したように応え、私に事実を伝える。
その瞬間、ずっと抱いていた違和感の正体を、理解した。 誰もいない住宅街。 すれ違う人のいない夕暮れ。 ずっと感じていた、欠けた感覚。
「……じゃあ、私たちがまだここにいるのは」
「そういうこと。 理想が、まだ叶ってないから」
納得が、いってしまった。 いってしまったことが、少し怖かった。
「ね、りんちゃん。 私の理想、聞いてくれる?」
「舞香の理想? それって……」
リビングをゆっくりと見回した。 ソファ。 テレビ。 四人掛けのダイニングテーブル。 壁に掛かったままの写真。
「私の理想はね、この家でお父さんと、お母さんと、お姉ちゃんと、私で暮らすことなんだ。 四人で、ごはんを食べて、テレビ見て笑って、おやすみって言って眠るの」
声は穏やかだった。 穏やかすぎて、胸が痛かった。
「素敵な理想だと思う。 だったら、それを……」
「ううん」
舞香は、首を横に振った。
「それはね、理想じゃなくて、幻想なの。 お父さんとお母さんは、もういない。 どんな世界でも、どんな力を使っても、四人の食卓は、戻らない。 ……私、ずっとそれから目を逸らしてた。 わかっている癖に、一番大事なことだけ、気づかないフリをしてた……」
舞香は私に微笑むと、そっと、私の手に触れた。
「凛ちゃん、理想ってね、叶わないから理想なんだよ……」
儚げに笑う彼女の顔が、夜のリビングの明かりの中で、輪郭ごと溶けてしまいそうに見えた。 叶わないから、理想。 そんなの、認めたくなかった。 だって私は、今日、決めてきたのだ。 鏡の前で何度も深呼吸して、自分の理想を見つけに行くんだって。
「……それでも、私は求めたいわ。 ささやかな未来を……」
気づいたら、舞香の手を、握り返していた。
「叶わないかもしれない。 幻想かもしれない。 でも、求めることまで諦めたら、私、本当に何にもなくなっちゃう。 だから……求めるわ。 舞香がなんて言ってもね」
舞香は、目を丸くした。 まるで、視えないはずのものを視てしまったみたいに。
それから、ふわりと笑った。 今日見た中で、一番きれいな笑顔だった。
「……りんちゃんは、強いね」
「つ、強くないわよ。 今だって、体が震えてるわ」
「震えてても言えるのが、強いってことだよ」
舞香は、私の手を両手で包み直した。




