川端家へ ーー凛視点
翌朝、私は早めに桐原家を出た。
舞香は、まだ寝ていた。 すうすうと、穏やかな寝息を立てていた。
昨夜、彩乃と長い話をしてから、私はもう一度、舞香の布団に戻った。 舞香は、私が抜け出していたことに、気づきもしなかったようだ。
私は、その寝顔をしばらく見つめていた。 あんなに楽しそうに、お父さんとお母さんと話していた舞香。 その「お父さんとお母さん」が、いないなんて理解したら、この子はどうなるのかーー
玄関で、彩乃が待っていた。 目元には、薄っすらと隈ができていた。 眠れなかったのかもしれない。
「⋯⋯凛ちゃん。 本当に、行くの?」
「⋯⋯うん」
「学校は?」
「⋯⋯もう。 それどころじゃない」
私の言葉に、彩乃は、小さく頷いた。
「家、教えるね。 もし、いなかったら⋯⋯」
彩乃は、メモ用紙に二つ、住所を書いてくれた。
一つは、倉石家。
もう一つは、川端家。
「ことねのところに、いることも多いの。 仲がいいから」
「⋯⋯わかった」
「気をつけてね、凛ちゃん……」
「彩乃さんも」
私は、桐原家を後にした。 早速、瑞稀の家に向かったが不在だった。
川端家までの道のりは、足がやけに重かった。 川端家は、住宅街の中でも一際大きな、立派な家だった。 チャイムを押すと、すぐにインターホンから声がした。
「はい、川端でございます〜」
「⋯⋯あ、あの、黒田凛と申します。 倉石瑞稀さんに⋯⋯」
「あ! 凛?」
慌ただしい声。 たぶん、瑞稀だ。
「ちょっと待ってて! 今、開けるから!」
しばらくして、玄関のドアが、勢いよく開いた。 飛び出してきた瑞稀が、私を見るなり、ぴたりと止まった。
そして、私のことを珍しそうに見る。 いや、正確には、私の格好をだ。
ぽかんとしている私の前で、瑞稀は面白がっていた。
「な、何よ⋯⋯」
「へえ……」
「だから、何よ瑞稀!」
私は、思わず声を荒げた。
深刻な話があって、ここまで来たのに。 昨日のことで、頭がいっぱいで、必死だったのにーー
「⋯⋯何か変?」
「そんな格好を凛がするんだと思ってね……」
「……そんな格好?」
瑞稀が、私の服を指差した。 私は、自分の服装を見下ろした。
ーー薄手のパーカーに、ジーンズ。
昨日、慌てて家を飛び出したから、部屋着なんだけど。
「⋯⋯これが、どうしたの」
「だ、だってさ。 凛って、いつも、制服か、スカートじゃん!」
「⋯⋯まあ、いつもはね」
「お嬢様だなぁ〜って、いつも思ってたのに!」
「⋯⋯変?」
顔が、熱くなる。 私は、パーカーの裾を握りしめた。
ーー昨日。 舞香も、私の服装を珍しがっていた。 あの時は、それどころじゃなくて、流してしまったけれど。
ーーそう言えば。 私こんな格好で、外に出るの初めてだった。
「⋯⋯ねえ、凛ちゃん」
「⋯⋯何」
「私と、お揃いだね?」
瑞稀が、自分の服を指差した。
ーー水色のパーカーにジーンズ。 お気に入りなのかな?
「⋯⋯!」
「なんか嬉しい!」
「⋯⋯馬鹿に、してるよね?」
頬が熱くなる。 私は思わず両手で顔を覆った。
「⋯⋯恥ずかしくなってきた」
「えー! 凛、こういう格好も似合うよ?」
「⋯⋯やめて」
「ほんとほんと! ギャップ萌え? 最高!」
私は、しゃがみ込みたくなった。
昨日からの色々で、いっぱいいっぱいだったはずなのに。 彩乃さんの話を、必死で抱えて、ここまで来たはずなのに。
なのに、瑞稀の顔を見たら。 その明るい笑顔を見たら。 なんだか、力が抜けてしまって。
私の心の中の、張り詰めていた糸が、ふっと緩んだ気がした。
「……凛。 落ち着いた?」
「え?」
「凛ちゃん。 顔が険しかったから……」
「⋯⋯馬鹿」
瑞稀は、にこにこ笑いながら、私の手を取った。 その手は、舞香とは違うあったかさで。 でも、確かに人のぬくもりだった。
「とりあえず、入って入って!」
「⋯⋯うん」
「あ、でもその前に」
瑞稀が、にやりと笑った。
「凛。 写真撮らせて?」
「⋯⋯撮らせないわよ」
「えーっ、ケチっ!」
私は、慌ててパーカーのフードを被った。 顔を隠すように。
瑞稀は、けらけら笑った。
ーー本当に、もう。 でも不思議と。 昨日からずっと重く沈んでいた胸の奥が、少しだけ、軽くなったような気がした。




