舞香の理想 ーー凛視点
お風呂は、舞香が「一緒に入ろう!」と言ってきた。
「だってりんちゃん、寂しそうなんだもん。 一緒に入った方が、あったかいよ」
「……えっと、そんな訳ないでしょ!」
「もう! そんなこと言わずに、どうぞ!」
桐原家のお風呂は、私の家より少しだけ広かった。 白い湯気の中で、舞香はずっと、楽しそうに話し続けていた。
「あのね、みずちゃんはね、ちょっとおかしいの。 なんだか、悩んでるみたいで……」
「⋯⋯そう、なんだ」
ーー私にとっては、貴方もなんだけど。
「でもね、私たちが支えてあげれば、きっと大丈夫だよ!」
「そうよね……」
舞香は、私の背中を、優しく流してくれた。 その手のひらは、あったかかった。
ーー舞香は、本当に、舞香だ。
お母さんとお父さんが見えていることを除けば、舞香は何も変わっていない。 いつもの太陽みたいな笑顔で、私の凍えた心を溶かしてくれる。
ーーだとしたら、何が「おかしい」んだろう。
お風呂上がり、舞香の部屋。 舞香のパジャマを借りた。 少しだけ袖が長くて、舞香の匂いがした。
「りんちゃん、私のパジャマ似合うね!」
「⋯⋯ありがとう」
「ふふっ。 ねえ、寝るまで、おしゃべりしよ?」
舞香のベッドは、シングルだった。 二人で寝るには、当然だけど少し狭い。 でも、舞香は嬉しそうに、私を引っ張り込んだ。
お布団の中、向かい合わせ。 舞香の目が、すぐ近くにある。
「りんちゃん」
「⋯⋯うん」
「私ね、りんちゃんがうちに来てくれて、すっごく嬉しい!」
「⋯⋯私も」
「家族みんなで、りんちゃんを迎えられて、嬉しい」
「……」
ーー家族みんなで。
その言葉に、胸の奥がきゅっと痛んだ。
舞香の家族は、舞香と、彩乃さんだけ。 なのに、舞香は「家族みんなで」と言う。
「⋯⋯ねえ、舞香」
「ん?」
「舞香にとって、一番大切な人は誰?」
「うーん⋯⋯」
舞香は、少し考えてから、にっこり笑った。
「お母さんと、お父さんと、お姉ちゃん。 それから、りんちゃんと、瑞稀ちゃんと、ことねちゃんと、健ちゃんと⋯⋯」
「⋯⋯ふふっ」
「みんな、大切! 順番なんて、つけられないよ!」
「⋯⋯そっか」
「りんちゃんは?」
「⋯⋯私は」
私は、少しだけ考えた。
「⋯⋯舞香。 舞香が、一番大切ね」
「⋯⋯えへへ」
舞香は、嬉しそうに、私の手を握った。
「⋯⋯おやすみ、りんちゃん」
「⋯⋯おやすみ、舞香」
舞香の寝息は、すぐに聞こえてきた。 すうすうと、規則正しい呼吸。 穏やかな寝顔。
ーーごめんね、舞香。
私は、布団から抜け出した。 夜の空気は、冷たかった。
桐原家の玄関を出て、少し歩いたところに、小さなベンチがあった。 街灯の明かりが、ぼんやりとそこを照らしている。
彩乃は、もう、そこにいた。 薄手のカーディガンを羽織って、両手で温かい何かを持っている。 近づくと、ココアの甘い香りがした。
「⋯⋯舞香、寝た?」
「⋯⋯うん。 今、寝たばかり」
「そう。 ありがとう、来てくれて」
彩乃が、もう一つのマグカップを、私に差し出した。
「⋯⋯飲んで。 あったまるから」
「⋯⋯ありがとうございます」
マグカップを受け取る。 じんわりと、手のひらに温かさが伝わってきた。
彩乃が、ベンチの端に寄って、座る場所を空けてくれた。 私は、そっと、隣に腰を下ろした。
しばらく、二人とも、黙っていた。 虫の声が、どこからか聞こえる。
彩乃が長い息を吐いた。 白い息が、街灯の光の中で、ふわりと消えていく。
「⋯⋯凛ちゃん」
「⋯⋯はい」
「これから話すこと。 舞香には、絶対に言わないでね」
「⋯⋯はい」
彩乃は、マグカップを、両手でぎゅっと握りしめた。 その指先が、少しだけ、震えていた。
そんな中でも、彩乃はおもむろに口を開いた。
「……舞香はね。 あの子が描く『理想』の日々を過ごしているのよ……」




