桐原家の食卓
ダイニングに足を踏み入れると、舞香がぱっと振り返った。
「りんちゃん、こっちこっち! りんちゃんの席、ここね!」
「⋯⋯うん」
五人がけのテーブルには、お皿が五つ。 ご飯茶碗も、お味噌汁のお椀も、五つずつ。 箸も五膳だ。
誰もいないはずの席に、湯気の立つご飯が置かれている。
「お母さんね、今日はりんちゃんが来てくれたから、張り切っちゃって!」
「⋯⋯へえ」
「ハンバーグ、美味しそうでしょ? お母さんのハンバーグ、世界一なんだから!」
舞香は、誰もいない正面の席に向かって、得意げに笑った。 その視線の先には、空いた椅子があるだけ。
でも、舞香の中では、お母さんは確かにそこにいて、照れたように笑っているのかもしれない。
「⋯⋯すごいね」
私は、そう絞り出した。 声が少しだけ震える。
彩乃が、隣の椅子をすっと引いてくれた。
「凛ちゃん、座って」
「⋯⋯ありがとう、ございます」
椅子に腰を下ろす。 目の前のハンバーグは、本当に美味しそうだった。 じゅうじゅうと音を立てそうな、艶のあるデミグラスソース。 ふんわり盛られた白いご飯。 本当に美味しそうね! 彩乃が、作ったのよね?
「いただきます!」
舞香が、両手を合わせた。 その向かいの席に向かって、にこにこと頷きながら。
「うんうん。 いただきまーす!」
舞香の耳には、「いただきます」の声が、四人分聞こえているのよね。
「⋯⋯い、いただきます」
私も、手を合わせる。 彩乃も、いただきますと呟いた。
ハンバーグを、一口。 ーー美味しすぎるわよ!
「ね、お父さん。 りんちゃんね、私の大切な親友なの。 体育大会の時、私のためにすっごく頑張ってくれたんだよ! ……そうなの!」
舞香が、空いた席に向かって話しかける。 うんうん、と頷いて。 くすくす、と笑って。
「えへへ。 お父さん、りんちゃんのこと褒めてくれてる」
「⋯⋯そう、なんだ」
「お母さんもだよ!」
「⋯⋯うん。 ありがとう」
私は、誰もいない椅子に向かって、ぺこりと頭を下げた。
彩乃を、ちらりと見る。 彩乃は、黙々と箸を動かしていた。
いや、ドヤ顔だった。 自画自賛かしら?
「あ、そうだ! お母さん、お父さん! お願いがあるの!」
舞香が、ハンバーグを頬張ったまま、手を合わせる。
「今日ね、りんちゃん、うちにお泊りしてもいい?」
「⋯⋯!」
私は、思わず顔を上げた。 私がお願いしたかったことを先に言われた。
「……りんちゃん、なんだか元気ないの。 お家でね、いろいろあったみたいで…… だから、今日は私が一緒にいてあげたいの! ね、いいでしょ? ……うん。 本当に! ありがとう!」
舞香は、誰もいない両親に向かって、必死に頼み込んでいた。 うん、うん、と頷きながら。
「⋯⋯えへへ。 いいって!」
「⋯⋯舞香」
「お姉ちゃんは? いい?」
舞香が、彩乃を見る。 彩乃は、ふっと微笑んだ。 その微笑みは、今までで一番、自然に見えた。
「⋯⋯もちろん。 いいわよ?」
「⋯⋯ありがとうございます。 彩乃さん」
私は、深く、頭を下げた。
ーーこの家にいる間だけは、一人じゃない。
舞香が空席に話しかけている中、彩乃が私に話しかけてきた。
「黒田さん」
「はい」
「……深夜、外で……」
彩乃が、私に向けてそう告げるのだった。




