パラレルワールド 瑞稀家の惨状 ーー吉澤ひとみ視点
「⋯⋯吉澤さん。 よかったら、私の家に来ない?」
放課後、教室の片隅で文化祭の発表計画を練っていた時、瑞稀がぽつりとそう言った。
アタイは内心、ほくそ笑んだ。 ーー来た。 駒の方から距離を詰めてくるなんて、扱いやすいったらないぜ。 奴のすべてを把握する絶好の機会だ!
「はわわ。 いいんですか? 倉石さんのお家にお邪魔しても?」
「うん。 吉澤さんなら⋯⋯私、嬉しいよ」
瑞稀は、ほんの少しだけアタイを見て、目を伏せた。 その横顔は、相変わらず暗かったが、まあいい。
ーーフン。 せいぜい、もてなしてもらうとしようかなぁ?
アタイは、瑞稀と一緒に家に向かった。 こぢんまりとした一軒家。 外観は普通だ。
ーーしかし、玄関先に立った瞬間、アタイは違和感を覚えた。
郵便受けに、新聞が何日分も溜まっている。 玄関ポーチには、枯れた鉢植え。
アタイがそれを注視していると、瑞稀がアワアワし始める。
「……ごめん。 あんまり見ないで……」
「あうう。 すみません」
アタイは瑞稀の指示に従ったが、家の中の様子が心配になってきたぜ。
「……どうぞ」
「はわわ。 お邪魔します!」
ーー中に入った瞬間、アタイは息を呑んだ。
玄関には、雑多に脱ぎ散らかされた靴。
アタイは、リビングに通された。 テーブルの上には、コンビニ弁当の空き容器が積み上げられていた。 カップ麺のカップ。 ペットボトル。 菓子の袋。 日付が一週間前のおにぎりの包装。
ソファの上には、洗濯物が山のように積まれていた。 いつから放置されているのか、わからない衣類たち。
台所を覗き込めば、シンクにはまともな調理をした形跡がない。
ーーなんだ、これは。
アタイは、本気で眉をひそめていた。
「⋯⋯ごめんね、吉澤さん。 散らかってて⋯⋯」
「あ、あの⋯⋯倉石さん。 ご家族は⋯⋯?」
「⋯⋯お父さんは、単身赴任なんだ。 もう一年以上、家に帰ってきてない」
「⋯⋯お母様は?」
「⋯⋯お母さんはね、もう駄目なんだ。 ……私のせいでね」
瑞稀は、ぽつりと、淡々と告げた。
「⋯⋯入院してるんだ。 精神科。 私が⋯⋯何度も引きこもったり、何度もダメになったりしたから⋯⋯お母さんも、心が壊れちゃって。 今は廃人みたいになってる、って⋯⋯先生が」
「……」
アタイは、言葉を失った。 壊れた娘の世話をして、母親も壊れた。
壊れた家を支えるはずの父親は、単身赴任で帰ってこない。
ーー残されたのは、瑞稀一人。
この高校生の少女が、たった一人で、この家に住んでいる。 コンビニ弁当とカップ麺で、命を繋いでいる。
ーーおいおい。 最悪じゃねぇか!
アタイの胸の奥で、また、あのざわつきが起きた。 今度は、不快感ではなかった。 もっと、言葉にならない、不可解な感情。
誰に対しての怒りなのか、自分でもわからない。 単身赴任の父親に? 壊れた母親に? 瑞稀をここまで追い込んだ、神子様による『あの件』に?
ーー神子様に対して怒り? 馬鹿な! 神子様は絶対だ。 神子様に対して、怒りなど抱くわけがない!
「⋯⋯倉石さん。 今日、ご飯はどうしてるんですか?」
「⋯⋯コンビニで買ってきた、おにぎり⋯⋯と、カップ麺⋯⋯」
「⋯⋯倉石さん。 私、お味噌汁を作ります」
「⋯⋯え?」
「だって⋯⋯これじゃあ、身体壊しちゃいます。 文化祭、大事な日が来るんですよ? その日まで、倉石さんには元気でいてもらわないと⋯⋯ダメじゃないですか」
ーーああ、そうだ。 あくまで、これは『計画のため』だ、あくまでもな。
文化祭当日、神子様の生贄として最高のコンディションで捧げるためには、駒の健康管理は必須だ。 そうだ。 そうに決まっているぜ。
断じて、瑞稀を、放っておけなかったわけじゃないからな?
「でも⋯⋯材料が、なにもないよ⋯⋯」
「休日に作るから用意しておいてください! えっと⋯⋯お味噌、お出汁の素、お豆腐、お葱⋯⋯あと、お米とお鍋。 今日はもう、私もそんなに時間がないので⋯⋯次回、一緒に作りましょう?」
「⋯⋯面倒くさいなぁ」
「ハアァ?」
「……吉澤さん?」
「ゴホン。 はわわ、よろしくお願いしますね?」
瑞稀は、ぽかんとアタイを見ていた。 まるで、自分が何を言われているのかわからないという顔をしていた。
ーーそうだ。 コイツはきっと、こういう『普通の優しさ』を、長らく受けていない。
アタイの猫被りの『偽物の優しさ』ですら、コイツには『本物』に見えてしまう。
「⋯⋯吉澤さん」
「はい?」
「⋯⋯ありがとう。 本当に⋯⋯ありがとう」
瑞稀の目に、涙が滲んでいた。 暗かった目に、ささやかに、光が灯っていた。
ーー使える、はずだ。 アタイは、早くも瑞稀の心に取り入った。 その日はそれだけ言い残して、アタイは瑞稀の家を後にした。
約束の日、アタイは再び瑞稀の家を訪れた。 アタイは一張羅のワンピースに身を包んでいた。
ーーすべては、瑞稀に好印象を見せるためだ。
「倉石さん、材料は揃いましたか? はわわ、楽しみですね、お味噌汁ーー」
ーーそして、絶句した。 台所には『残骸』が広がっていた。
コンロの上の鍋の中身は『味噌汁みたいななにか』だった。 いや、見た目だけは味噌汁だな。 けど、アタイは絶対にこれを味噌汁だとは言わないぜ!
その横の炊飯器の中には、米が、炊かれていた。 表面に、ぬか臭い白い汚れが浮いている。
ーーなんだ、これは。 まさか、研いでないのか?
アタイは、思わず瑞稀を振り返った。 瑞稀は、目を輝かせながら、アタイにいう。
「⋯⋯お味噌って簡単だね? 沸騰したお湯の中に具材を投入するだけでいいんだもん。 米もお水を入れてスイッチオン! これだけでできるんだね〜」
なにも知らずに、ニコニコしている瑞稀に、アタイは指摘する。
「お米って洗うものだって、知ってます?」
「⋯⋯え? お米って、洗うの?」
ーーマジか。 アタイは、本気で頭を抱えた。
いや、待て。 よく考えろ! この少女は、母親が病む前は、母親に世話をされていた。 母親が病んでから今までは、コンビニ弁当とカップ麺で生きてきた。
そしておそらく、家庭科の調理実習なども参加してない。
ーー料理の経験が、ゼロなのだ。
高校生にもなって、米の研ぎ方を知らない少女。 味噌汁の作り方を知らない少女。
ーーこんな奴が、たった一人で、この家で生きてきた。
胸の奥が、また、ざわつく。 アタイは、舌打ちした。
「今度、アタイが美味しい味噌汁を作ってやるからな……」
「はい?」
「……その前に、掃除しますよ、倉石さん!」
ーーその後、お味噌汁とご飯は、頑張って二人で食べたぜ!




