消えない汚れ、握られる主導権
夕食までの間、私の部屋で櫻井さんは、勧めもしないのに、勝手に私のベッドに腰掛けていた。 お嬢様らしからぬ態度で寝そべっている彼女を見て複雑な気持ちになった。
櫻井さんが、この部屋にいることは、珍しいことではない。 むしろ、ここ最近ではいつもの様に、彼女はこうしていた。
一方私は、ローテーブルを挟んだ向かい側のクッションに座っていた。
櫻井さんに、聞きたいことがあった。 三人組に連れ込まれた、あの廃墟。
私を取り囲んでいた、あの三人。 嗤いながら、私の制服に手をかけ、私の髪を引っ張り、私の背中を踏みつけて。 さらに、その先のことを私にしようとしていた。
あの時、櫻井さんは何もしなかった。 ただ不気味な声を発しただけーー
なのに、あの三人は崩れ落ちた。
声も出せずに、冷たい汗を額に浮かべて、糸の切れた人形のように、頭を垂れて。
私は、見ていた。最初から最後まで、全部、見ていた。 あれは、何だったのか。
櫻井さんは、何をしたのか。
私にも、あの力があればよかったのにーー
「櫻井さん」
「……む」
櫻井さんは、わかりやすく無視をした。 ミウミウと呼べということかなーー
でも私はそれを無視して、櫻井さんに話しかける。
「……あの、聞きたいことが、あるんです」
「……なんですの?」
「廃墟での、あの……あの三人を、ひれ伏させた、あの」
「……瑞稀」
私の言葉を、櫻井さんは静かに遮った。 顔を上げる。 櫻井さんは私を見ていた。 その表情は、笑っていなかった。
「瑞稀、汚れているわ。 お風呂に入って、いつもの服に着替えてくださいまし!」
「……え?」
「正確には、汚されたと申し上げるべきかしら?」
私は、何も言えなかった。 なぜなら、彼女の表情が怖かったからだ。
「あの方々の手のひら。 あの方々の指先。 あの方々の唾液。 そういったものが、瑞稀のお肌に、髪に、制服に、こびりついておりますの! 粘りつくような、薄汚れた膜のように……それは見た目だけの話ではなく、貴方の心にも……」
「……っ」
息が、止まった。 櫻井さんが言っていることが、私には、わかる。
私自身が、たった今、感じていることだから。 廃墟で押さえつけられた腕の感触。 耳元で囁かれた汚らしい言葉。 膝に擦り付けられた、瓦礫の埃。 それが、まだ全部、私の身体に残っている。
何度シャワーを浴びれば落ちるんだろう。 落ちるんだろうか? 落ちないかもしれない。
汚い、消したい。 汚らわしい、最悪だ! 消えろ。 消えてよ!
「ですから、瑞稀」
「……」
櫻井さんは、私の方へと、しなやかに歩み寄ってきた。 そして、私の前で立ち止まると、白い指先を、ふわりと私の頬の輪郭に沿わせた。 触れない、ぎりぎりのところで。
「瑞稀。 お風呂に入って、心を落ち着けてくださいませ」
「……っ」
「あなたのお話は、その後でゆっくりと伺いますわ。 けれど、そのお身体のままで、わたくしの隣にいらっしゃるのは、頂けなくてよ」
櫻井さんの声は、優しかった。 そして、有無を言わさない響きがあった。
「ごゆっくりどうぞ」
「……わかりました」
私はクローゼットから制服を引っ張り出した。 下着も、部屋着も、全部きちんと持っていく。 櫻井さんの前で、いつもの私になりたい気分ではなかったから。
私は着替え一式を抱えて、自分の部屋を出た。
熱いシャワーを頭から浴びて、肌が赤くなるくらいゴシゴシ擦った。 落ちないのはわかっている。 でも、擦らずにはいられない。 湯気の中で、廃墟であの三人に押さえつけられた感触が、ぼんやりと蘇って、消えて、また蘇る。
「……落ちない。 落ちないよ…… 汚れが……」
誰にも聞こえない様に、ボソボソ呟く私。 誰にも、聞こえていない、はずだった。
「……瑞稀」
◇◇◇
時が経ち、お風呂から出た私は身体を拭いて、脱衣所の棚に手を伸ばした、その時だった。
「……え?」
棚の中にあったのは、私が用意した着替えではなかった。 そこにあったのはいつもの私の服だった。
「……なんで?」
声が震えた。 誰かが、入れ替えた。 考えるまでもない。家にいるのは、お母さんとそして――
顔から血の気が引いて、次の瞬間にはカッと熱くなる。 恥ずかしい、というのとも違う。 羞恥よりも、暴かれたような、見透かされたような、そういう感覚。
ーーまさか、私の一人言を聞かれた?
仕方なく、私はいつもの服に袖を通した。 鏡に映る自分は、普段の私と、何も変わらない。 違うのは、髪がまだ濡れていることくらいだ。
「……櫻井さん!」
部屋に戻ると、櫻井さんは私のベッドに腰掛けて、優雅に頬杖をついていた。私の声に、ゆっくりと顔を上げる。その口元が、ふっと弧を描いた。
「あら? 瑞稀。 お風呂はいかがでしたかしら?」
「いかがでしたかしら、じゃないよ! 服を替えたでしょう!」
「ああ、その装いのことですわね! やっぱり、瑞稀はその格好がいいですわ!」
櫻井さんは、悪びれもせずに頷いた。
「……なんで、こんなこと」
「だって、瑞稀。 私の前では、貴方の『いつもの』が見たかったのですもの」
「……っ」
「制服の鎧がない、ただの瑞稀が見たかったのですわ!」
意味がわからない。 私は、声を荒げるしかなかった。 私は櫻井さんの前で自分を見せたくなかったのにーー
「最低です、櫻井さん!」
そう叫んだ私を見て、櫻井さんはなぜか嬉しそうに、微笑んだ。
「ふふ。 よろしくてよ、その表情。 後は……」
「……」
「瑞稀って、いつも勝手に一人で抱え込んでいますわね。 でも今みたいに、ここまではっきりとお怒っている瑞稀を見るのは、初めてですわね?」
「…………」
私は言葉を失った。 櫻井さんは、何を言っているんだろう? 意味がわからないよ? 私を怒らせて意味あるの?
その時、私は気がついた。 櫻井さんの手元に、見覚えのあるものが置かれていることに。
私のスクールバッグ。 その中身が全部、テーブルの上に並べられていた。
藁人形。 五寸釘。 マッチ。 そして、ナイフーー
「……っ!」
「瑞稀、これの説明をしてくれますわよね?」
私は完全に、彼女のペースに乗せられていたーー




