瑞稀の過去中学三年)その1
自分の部屋で目を開けた。 ぼんやりとする頭を抱えながら、リビングへ向かう。
テーブルには、お母さんと弟がいた。
「おはよう⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯」
席につく。 そして、そこに用意してあったご飯を食べる。
会話はない、それがいつものことだった。 ただ、弟は横でニコニコ楽しそうにしているだけだった。
でも私は弟にも話しかけたりしない、今はそんな雰囲気ではないからだ。
ご飯を食べて、支度をする。 今日から、中学三年生だ。
私には、中学に上がった時から、友達がいなかった。 でも別に、いじめられていたわけではない。 話しかけられれば答えたし、グループ作業にも参加した。 ただ、休み時間に誰かと机をくっつけることもなければ、放課後に寄り道をする相手もいなかっただけだ。
一人でいるのは、嫌いではなかった。 休み時間は机で本を読んだり勉強をした。 窓際の席で、集中している時は、教室のざわめきが遠ざかった。
先生たちも、私のことを「手のかからない、大人しい子」と思っていただろうね。
学校で私はそうやって過ごした。 三年生も平穏のまま、終わるはずだった。
しかし、三年生のクラス替えで、三人組と、同じクラスになった。
最初の数日間、瑞稀はその三人を、視界に入れないようにしていた。 彼女たちもまた、瑞稀のことなど見ていなかった。
教室にはいくらでも面白い相手がいて、地味で目立たない瑞稀は、彼女たちにとって背景の一部に過ぎなかった。
もし、ずっとそのままだったら、私は無事に卒業できていたと思う。
ーーでも、世の中甘くはなかったんだ。
三人組が私を揶揄う始まりは、ただの気まぐれだったーー
「ねえ、あの子、いつも一人じゃない?」
「ほんとだー。 あとさ暗くない?」
「友達いないのかな? 可哀想~」
くすくす、という笑い声。 瑞稀は足を止めた。自分のことを言われているのか、確証はなかった。違う子のことかもしれないと思おうとした。
「ちょっとさー、イジメよっか?」
「いいね~」
「賛成!」
彼女たちの声が、軽かった。 新しいゲームを思いついた、みたいな声だった。
その日の放課後、瑞稀の靴きの中に、画鋲が入っていた。
それが分かった瞬間、瑞稀は、全部理解した。 あの三人が、自分を「玩具」に選んだのだと。 そして、自分には、それを拒む手段が一つもないのだと。
いじめは、毎日少しずつ、形を変えた。
ある日は、瑞稀の教科書の全ページに、赤ペンで小さな「死ね」が書かれていた。何百個も、米粒みたいな字で。
ある日は、ロッカーの中身が全部、男子トイレの便器に突っ込まれていた。
ある日は、瑞稀の上靴に、絵の具が塗りたくられていた。
ある日は、何もされなかった。 何もされない日が、一番怖かった。
三人組は、毎朝、新しい嫌がらせを思いつくのを楽しんでいるようだった。
「今日は何しよっか」
「あれいいんじゃね~」
「いいね、やろ~」
授業中、後ろの席から、彼女たちの囁き声が聞こえてきた。
瑞稀は、ノートに鉛筆を走らせながら、息を殺した。 心臓の音が、自分の耳の中で、太鼓みたいに鳴っていた。
クラスメイトたちは、見ていないフリをしていた。
ーー誰かが、瑞稀のために怒ってくれることは、最後までなかった。
教室で、私は完全に「見えない人間」になった。 三人にいじめられている時だけ、瑞稀は「見える」存在だった。 それ以外の時間、誰も瑞稀に話しかけなかった。 話しかけたら、自分が次の標的になる、ということを、クラス全員が知っていた。
廊下で待ち伏せされて、肩をぶつけられて、「あ、ごめーん」と笑われる。
その繰り返しが、一日に何度もあった。 トイレで、便座に座って、ただじっと時間が過ぎるのを待った。 スカートのポケットに、四つ折りにされたメモが入っていた。
「今日も生きてるんだ ww」
誰の字か、見なくても分かった。 涙は出なかった。 泣くことを、いつのまにか体が忘れていた。
だって涙なんて、既に枯れていたからーー
家では、瑞稀は「無」を演じた。
お母さんに心配をかけたくなかった。 言ったら、母の仕事の邪魔をするからだ。 ご飯の用意をしてくれるだけで感謝しなくてはいけない。
お父さんも同じだ。 最近になって、やっと繁盛してきた所なのに、私のことで迷惑をかけられない。
そこで私は、自分の部屋で弟と会話する。
当然うるさくないように、小声でだ。
または、夕食の席で瑞稀は、弟とその日あった「いいこと」を探して話した。
今日は給食の唐揚げが美味しかった、とか。
理科の実験が面白かった、とか。
ーー全部、嘘だった。 給食は、ほとんど喉を通っていなかった。
弟は瑞稀の話に笑顔で頷いてくれた。 お母さんもお父さんも、忙しくて家にいなかった。
私は泣きながら、ご飯を弟と一緒に食べるのだった。




