風領の領主
風の領主……つまり風の氏族の代表で一番偉い人の目の前に、フィルは膝をついて頭を下げたまま息をひとつ吐くと、挨拶を述べた。
「良き風の吹く日に、カルデンのフィルがご挨拶いたします」
「うむ。良き風を呼ぶ出会いに感謝を。顔を上げて、楽にしなさい」
言われて恐る恐る顔を上げる。ヴァレリスはフィルをみてにっと笑った。フィルの父とは同年代であろうか。確か跡取りの長子様もそろそろ成人されるはずだ。ヴァレリスは絨毯の上にどかりと腰を下ろしてあぐらをかく。
「フィルさん、頭の布をお取りなさい」
ヴァレリスの斜め後ろに控えたセリウスが、自分の頭を指す。あ、と気づいてフィルは髪を隠すように巻いていた布を外した。ヴァレリスの視線がフィルの髪へと向かう。軽く目を細めた後、その視線はフィルの顔へと戻ってきた。
「そう緊張しなくていい。セリウスから聞いているかと思うが、実は内密に頼みたいことがあってここまで来てもらった」
「……はい」
内密、というと同時、ヴァレリスの視線がフィルの後ろのエルンに向いた。
エルンは腕組みをして立ったままだ。領主様に対してその態度っていいんだろうか。フィルはそっとエルンの服の裾を引く。エルンは跪いたままのフィルを見下ろすと安心させるようににこりと笑い、再び領主に向かって丁寧に言った。
「恐れ入りますが椅子をいただいても?」
そうじゃない――フィルは目を剥いた。ヴァレリスが、おお、と声を上げる。
「これは気が利かんで申し訳ない。あなた方は椅子の方が落ち着くのでしたな」
「フィルはどうしますか?」
絨毯にあぐらをかいた領主様の前で椅子に座る――それが許される礼儀なのか、目の前のエルンから教わったことはなかった気がする。
「あの、先生って領主様とお知り合いなんですか……?」
エルンの笑みが深くなる。
「我々、神殿学校の教師たちはみな中央神殿からの派遣です。大切な領民の方々の初等教育を担当させていただくのですから、採用時には必ず領主殿との面接がありますし、定期的に報告会もさせていただいてますよ。……ところでフィル」
エルンは笑顔のまま続けた。
「国の成り立ちの授業を聞いていましたか?」
藪蛇、と目を逸らしたところにセリウスが椅子を持ってきた。
「ありがとうございます」
エルンはセリウスに礼を言うと、椅子に腰掛けた。フィルは迷ったが、結局その隣にあぐらをかいた。風の領主の前で風の民風に振る舞うのは、たぶん失礼には当たらないだろう。
と、ヴァレリスが豪快に笑い声を上げた。
「いやいや、懐かしいですな。私もその年頃には教師の授業をどう切り抜けるか苦心していたものです」
ふう、とエルンがため息をついた。
「授業を生徒たちが退屈と思うのでしたら、それは我々の力不足ですね。精進いたします」
ヴァレリスが苦笑の顔になる。
「さすが、天の方々は仕事に忠実で真面目でいらっしゃいますな。では、用向きをお伝えしたいのですが――」
ヴァレリスが言葉を切る。目がわずかに細められ、雰囲気が引き締まった。
「まず、これからの話は外に漏れないようにしていただきたい。お約束いただけますかな」
「内容によります」
先生――!
フィルの驚愕と焦りをよそに、エルンは淡々と言葉を続けた。
「私はフィルの両親から、彼女の安全と不当な扱いを受けないよう守ることを請け負いました。領主殿のお話がそれに反するものであった場合、彼女の両親に対して口をつぐむわけにはまいりません」
「ふむ」
ヴァレリスがあごに手を当てる。
「確かに、あなた方に嘘やごまかしを強要するわけにはいきませんな。……せめて、この件に関して沈黙をお願いすることは?」
「それも内容によります」
もうフィルの背は冷や汗だらけである。しかし、先生ってこんな領主様に対して対等の立場で物申せるんだ……というか今、領主様はなんと言った? 天の方々?
フィルは眉根を寄せる。天のお方――いわゆる天の氏族は、風、火、水、土の全てを統べる天属性をもつ。他の氏族より人数は少なく、普段は四領の中心部、塀で囲まれたトゥーレ神殿都市で暮らしている……と教わった気がする。フィルの視線に気づくと、エルンは苦笑と共に説明した。
「これはあえて声を大にしては言わないのですが、神殿の初等学校を運営しているのは各地の氏族や領主殿ではなく、中央の天神殿なんです」
「え……?」
「教師は基本天属性ですね。各領の特色の教育などは各領地の出身者が行なっていますが」
「……それじゃ先生は」
「天の神殿から風領の地方神殿に派遣され、そこであなたたちの学校の教師に任命されたのですよ」
つまり、先生も天のお方なわけだ。セリウスや領主への態度もうなずける……いや。
「あの、天のお方って、領主様より偉いんですか?」
フィルが尋ねたと同時、ごほん、と咳払いが聞こえた。振り向くとセリウスがすました顔でこちらを見ている。
「あ、ええと……」
確かに領主様本人の前で聞くことではなかったかもしれない。フィルがあせっていると、エルンが穏やかに答える。
「天氏族と四領は、特にどちらかが偉いという関係ではありません。天神殿は世界の調和を司りますが、それは風領や他の領とは役割が違うということであって、その役割に上下はないのですよ」
そういうと、エルンはヴァレリスたちへと向き直る。
「先ほども申し上げましたが、私は調和を重んじる天の氏族として、また風領の子の教育を天より任命されたエルン=メナ=ルミナエルとして、教え子であるフィルの安全と権利に責任を負ってここにおります。今から領主殿が彼女に依頼する話というのは、彼女の安全を侵害する可能性はありませんか?」
ヴァレリスはエルンとフィルに向けて、力強くうなずいた。
「我らが氏族、そして天の神殿より領主として任じられた風の領の民を、領主たる私が害することなどできましょうか。彼女が天と風領の法を守る限り、私も彼女を守りましょう」
「彼女の正当な権利、利益も保証していただきたい」
「風の民の財産、権利を守ることは生命の安全を守ることと同様、私の義務です」
「そして彼女はまだ十四歳です。彼女の保護者に同意を得てください」
ここでヴァレリスは顔をしかめた。
「……事情を知ることが、安全を脅かす可能性があるとしても?」
フィルはぎょっとした。
「待ってください、うちの家族が危険になるかもしれないんですか?」
「事情を知らなければ、そして秘密が守られ事が無事に済めば、そなたの家族にまで危険が及ぶことはまずない」
ヴァレリスの言葉にエルンがため息をつく。
「その言い方は卑怯ですよ、領主殿。知ると危険だから知らせない、というのはあなた方の都合であり言い訳です」
む、とヴァレリスは腕を組む。
「だが彼女の家族もまた風の民だ。その安全を守ることも私にとっては等しく義務となる」
「彼女の両親はどう思うでしょう? 娘一人を危険かもしれない場所におかれ、危ないからと言って遠ざけられて納得できるでしょうか?」
「せ、先生」
フィルはたまらず先生の袖をつかんだ。
「父さんと母さんは確かにそう言うかもだけど、セイラやリィヤもいるんです。あと姉さんのお腹の子も」
「……カルデンのフィルよ」
「は、はい」
呼びかけられてフィルはエルンの袖をつかんだままかしこまった。
「私は、そんなに非道な領主に見えるか」
「え、ええと」
「善良な民から親思いの娘を、幼子から弟妹を大事にする姉を、有無を言わさず取り上げる悪徳領主と思うか?」
「……」
はい、ともいいえ、とも答えられずフィルは口をぱくぱくとさせる。
「ですからそう言う物言いが卑怯と申し上げております」
代わりにエルンがバッサリと切り捨てた。
「フィルはまだ子どもではありますが、意思も判断力もある一人の人間です。……そして善良な、優しい子です。身の安全や家族を盾に脅すのではなく、正確な情報を与え、彼女の判断を尊重してください」
「……ふむ」
ヴァレリスはしばらく考え込むように黙った。
「……これから依頼する仕事について、詳細をフィルと、それからエルン師にお話しする。仕事を受けるかはフィルの判断だが、両親に話すかはエルン師とも相談して決めてほしい。こちらとしては知らせないでほしいが、それに関しては二人の判断に任せる。ただし依頼の内容については知らせるとしても両親まで、そして両親にも口止めをすること。……このような条件で、ひとまず話を聞いてもらうことはできるか?」
「……依頼を聞いた上で断ってもいいと、セリウス様から聞いています」
「それはもちろんだ。領主としてフィルの身の安全は守るが、危険がないとは言い切れない。話を聞いた上で判断してくれればいい」
その場合も報酬は出るんですよね、とさすがにそこまでは口に出せなかった。代わりに腹に力を込めて、ヴァレリスの顔をしっかりと見る。エルンの方は振り返らない。先生の顔を見たら、どうしたらいいですかと聞いてしまいそうだから。
「お伺いいたします」
ヴァレリスはフィルの視線を受けて、重々しくうなずいた。
「感謝する。では、カルデンのフィル」
「はい」
「私の息子になってもらえないだろうか」
「……はい?」




