銀貨の重み (前)
「フィル、大丈夫なの?」
母屋に戻ると、弟妹が遊ぶのを見守っていた姉のイルゼが問いかけてくる。フィルはあいまいにうなずいた。
「エルン先生を呼んでくれてありがと、姉さん」
母がイルゼに尋ね返す。
「ソールさんは?」
「さっきの貴族様が、大鷲を荷馬車で運びたいっていうので駅に行ったわ」
そういえば、大鷲が飛ぶには鷲台に行く必要があるのではとシュルクが言っていたなと思い出す。
「手間賃と言って、これを渡されたのだけど……」
イルゼが机の上を示す。それを見たフィルと母はそろって目を剥いた。
「銀貨!?」
「荷馬車の手配で!?」
置かれていた銀貨は、ここいらでは使う者のない高額貨幣だ。心なしか銀の輝きだけでなく、輪郭も百シル銅貨より綺麗なまん丸のような気がする。
母がほう、とため息をついた。
「……いただけないわ、こんな額」
そしてのろのろとフィルに視線を向ける。
「フィル、明日、やっぱり行くの?」
「もう断れなくない?」
「そうだけど……」
母は、机の上の銀貨を睨みつけるようにする。まるで娘の代わりにと差し出されたような、その大金を。
「預かっておけばいいと思うわ、母さん」
そんな母に向かって、イルゼはあっけらかんと言う。
「でも、イルゼ」
「フィルがお屋敷でうっかり高い食器を割らないとも限らないし、何か急に入り用になる可能性もあるでしょう。弁償するにしろ急いでお館に向かうにしろ、いざというとき手元にお金があった方ができることは増えるわ」
「それは確かに」
「フィル!」
母の叱責の声にフィルは首をすくめる。
「エルン先生は?」
「今、父さんと話してる」
フィルの返事にイルゼはうなずいた。
「終わったら、先生にもこの銀貨確認してもらいましょ。それでフィルが仕事とやらを終えて戻ってきたら、使わなかった分は返せばいいわよ」
よっこらせ、と大きくなってきた腹を抱えてイルゼが立ち上がる。
「姉さん気をつけて」
「あんたが言うの?」
イルゼが苦笑する。そして机に手をついて、フィルのほおに反対の手を伸ばした。
「良くわからないけど、無理はしないのよ?」
フィルはうなずく。
「お屋敷なんて丘の上だし、トビヘビいっぱいいそうだけど、気を取られて仕事放り出すんじゃないわよ?」
「……」
母がため息をついた。
「それで神殿の反省室に入れられたこともあったわね……」
やっぱりやめた方が、と話が堂々巡りしそうな気配を察して、フィルは立ち上がる。
「じゃあ準備はそんなにいらないってことだし、早く寝た方がいいよね」
イルゼがはっと気づいたように叫んだ。
「待ちなさいフィル、あんた行商から帰ってきたばっかりなんだから、まずは風呂で念入りに洗うのよ!」
「げ」
フィルが何か言う前に、母がフィルの腕をしっかりとつかんだ。心なしか、目が据わっている。
「イルゼの言う通りね。来なさいフィル」
「ちょっと、この歳になって親に洗われるとか……」
「普段から髪を乾かさずに布団に入ったりするからよ」
イルゼが呆れたように声を上げる。分が悪いと諦めて母について行こうとするフィルをイルゼが呼び止めた。
「バタバタしてて言いそびれたからね。……フィル、お帰り。気をつけて、いってらっしゃい」
フィルはうなずき返した。
「いってきます」
◇◇◇
「というわけで、セリウス様はうちの家族にすごく警戒されています」
「なるほど」
エルンがうなずき、セリウスが苦笑する。
「良かれと思ったんですけどね」
「桁がちょっと違いましたね」
フィルが帰宅してからひと月ほど経って、神殿経由でセリウスから連絡が来た。報酬の支払いをするので、エルンとともにグラスリーの神殿まで来てほしいと言われたのだ。
「領都ではそこまで破格ってほどじゃないですよ」
言い訳めいたセリウスのつぶやきに、エルンが首を傾げる。
「金銭感覚の差もですが、何をさせるかを十分に説明せず権力者が子どもを連れて行く、という構図がやはりまずかったのではと思います」
「それに関しては反省しました。その節は口添えを本当にありがとうございます」
「……で、うちの親から返すようにと預かったんですが」
フィルは布に包んだ銀貨を取り出した。
「えー、そこまで……」
セリウスが頭を抱える傍らで、エルンが瞬きをした。
「大鷲を荷馬車で運んだのは本当でしょう。支度金などの意味もあるでしょうし、そこまで固辞しなくてもいいのでは」
「とは言っても、実質身一つで行って、神殿からの馬も大鷲も、運賃を取られたわけでもないし、土産は持たされて帰ってくるしで、もう恐縮しきってるんですよね」
うーん、とセリウスが頭を掻く。
「これはまだ本決まりじゃないんですが」
「……」
嫌な予感しかない前置きだと思った。
「火領のお方が婚約者と一緒にカルデンに行きたいとおっしゃってまして」
「……」
フィルはそっと目をそらした。
「見るとこなんてないですよ、うちの村なんて」
「そりゃそうですが」
「……」
自分で言ったことではあるが、人から言われるとなんか面白くない。
「あの方々は、要はフィルさんのお家に遊びに行きたいと言ってるわけなので」
「止めてください」
フィルは即座に不満を引っ込めた。セリウスにはがんばってほしい。
「ええまあ流石にね……。警護とかウィルフォード様の髪とか色々ありますしね……」
「髪といえば」
エルンが茶を飲んでいた碗を置いて言った。
「ウィルフォード殿とヴァレリス殿はお戻りになられたそうですが、天神殿はどのように?」
セリウスもまた姿勢を正す。フィルもつられて畏まった。
「とても稀な事例であるが、ウィルフォード様が天の属性を持っていることは間違い無いと認定されました。天神殿としてはいつでも天の氏族として受け入れる、と」
「なるほど」
何がなるほどなのだろう、とフィルは思いながら尋ねる。
「それでしたら、ウィル様は風領にお戻りに?」
「……我々としては、そうして頂きたいのですが」
セリウスが息を深々と吐き出した。
「え、なんですか不安になります。……お戻りに、なりますよね?」
「もちろんです。が、統承の件については天神殿からも保留とされまして……」
「保留?」
訝しげな声を上げたのはエルンである。
「やはり、天属性の者が四領の領主に就くというのは認められないのではないか、ということらしいのですが……。ただ、ウィルフォード様には実績がおありです。今回の魔力風穴の対処に貢献したという実績が。それであれば統承は認めていいのではないか、という見解が天神殿でも出たそうで」
セリウスがエルンを見る。
「……これは個人的な興味からの質問なのですが。天氏族の方は、純粋な属性魔力を扱うのは不得意なのですか?」
その質問に、フィルはふとネイトの言葉を思い出した。
——調和した魔力から、一部の属性だけを抜き出すのは効率が悪い。
エルンが苦笑した。
「普段であれば、そんなことをする必要性がないですからね。セリウス殿は風を呼ぶとき、ご自身の魔力から純粋な風の魔力のみを取り出して使用されていますか?」
「……なるほど」
セリウスが軽く息を吐いた。
「まあとにかく、天属性としてもウィルフォード様は少々例外的な資質と背景をお持ちであるということのようです」
「そうでしょうね」
「……だから、ということなのかどうか。天神殿からウィルフォード様に、お誘いがきています」
「おや」
エルンが瞬きをした。
「統承については保留ということですが、所属については?」
「ウィルフォード様もヴァレリス様も、統承はさておき、風領の所属のままでありたいと表明されたそうです。ただ、属性変化によって、健康上やその他に影響が出る可能性はないかと質問されたところ、不明点が多いので、しばらく天神殿で過ごしてみないか、と」
「大丈夫なんですか、それ」
フィルが思わずそう口にすると、エルンが困ったように笑った。
「天氏族も天神殿も、偽りを口にはしませんよ。実際、属性変化の例は珍しいです。ウィルフォード殿の健康状態を心配しているのは本当でしょう。魔力の扱いやその影響については、天神殿は事例をたくさん集めていますし」
「ウィル様がその事例として集められてしまわないかと心配しています」
「なかなか鋭い視点ですね。何かそのような例が?」
「お金持ちとか貴族様が平民の見つけた珍しいものをちょっとのお金とか脅しとかで持っていっちゃうなんて話はよくあるじゃないですか」
セリウスが眉をひそめる。
「聞き捨てなりませんよ、フィルさん。どこでそんな話が罷り通っていると?」
「私が領主館にいっている間に、学校でものすごく流行ってました。ご存知ですか?『風見台の三人』とか『狩師姉妹』とか」
「……少年読本の話ですか」
セリウスががくりと肩を落とした。
「おやセリウス殿、読本の流行りはなかなか侮れませんよ。授業中に何回注意したことか」
「……天氏族の目を盗もうとするとは、中々性根が据わっていますね」
「で、実際に天氏族がそんな風に珍しい属性のウィル様を閉じ込めちゃうとかないんですか」
「それを私に聞きますか」
「それについては私もぜひ、エルン師の口から『そんなことはない』とおっしゃって頂きたいのですが」
くすりとエルンが笑った。
「天神殿がそのような非情なことをすると思いますか?」
なんだか聞き覚えのある言葉選びだった。セリウスがため息をつく。
「……それをフィルさんにおっしゃったのはヴァレリス様で、私ではありません」
「まあそれは冗談として」
「天のお方が軽々しく冗談など言わないでいただきたいのですが」
「エルン先生はけっこう冗談もいいます。すべること多いけど」
「今のはちょっと悲しいです、フィル」
「先生の冗談は本気との区別がつきにくいんです」
「……精進しましょう」
セリウスが天井を仰いだ。
「冗談を使いこなす天氏族とかやめて欲しいんですが。……それで、エルン師は『天氏族は天神殿にウィルフォード様を閉じ込めたりしない』とおっしゃってくださらないんですか」
本題に引き戻され、エルンは軽く「失礼しました」と謝った。
「ウィルフォード殿ご本人が天神殿を出て風領に帰るという意思を示していれば、それを強引に閉じ込めるようなことはしないでしょう。もちろん、天神殿であれば治療の見込みがある体調不良などに陥っている際は、引き止めて説明と説得をするとは思いますが。少なくとも、本人の意思に反してご家族との手紙のやり取りや面会を禁じるということはありません」
「……」
なんとなく胡散臭く聞こえる気がするのは、考えすぎだろうか。フィルの眉根に寄せた皺を見て、エルンが苦笑した。
「これは独り言ですが」
エルンの宣言にセリウスが無言で姿勢を正した。
「天神殿の中でも、意見の相違はあり得ます。……こと、『禁忌』に触れる可能性のある話題であれば」
低められた声に、セリウスが緊張したのがわかった。
「我々は魔力を観測し、記録し、また個人の領域に収まる範囲においてそれを操ります。ただ、魔力を以て我々が世界に働きかけるという事例に対しては、大変慎重な姿勢をとっています。……魔力指定災害は、その例外になりますが」
「……」
「ウィルフォード殿のような例は大変稀です。……おそらく天神殿が心配しているのが、この現象に再現性があるかどうかでしょう」
「エルン師、それは」
「独り言です。なのでまあ、領主直系の高い魔力と、十歳でかかった魔力熱のたまたまの後遺症と、たまたま調和が大きく崩れた数十年に一度の魔力風穴で、我々の計り知れない魔力のなんやかやが起きて属性が変化した、という説は天神殿にとっても都合がいいです」
「……褒めてくださってますか」
「独り言です」
「そしたら、ウィル様は天神殿が何を言ってきても、望めば帰れるってことですか」
「ウィルフォード殿が望めば」
「……」
やっぱりどことなく胡散臭い……というか、含みを感じる。ちらりと隣を見れば、セリウスもエルンを半目で見ていた。
「まあ、ウィル様がヒルデを悲しませたりするようなことはしないとは思うんですが」
「そうですね」
「面会も、できるんですね?」
「時期や期間の相談は必要ですが、天氏族が一時帰郷することも、ご家族が神殿都市に来ることもできますよ」
「え、それって私も行けたりします?」
「ちゃんと手続きを取ればもちろん」
はあ、とセリウスがため息をついた。
「統承と所属については保留という名目の保持。定期的な面会の実施と検閲なしでの手紙のやり取り。……長期に及ぶようであれば短期帰郷の実施もですかね。あと火領の方との交流も同様に。これくらいは認められるでしょうか」
「問題はないとおもいます」
フィルは、セリウスとエルンを交互に見た。
「……ウィル様は、天神殿に行くとおっしゃってるんですか?」
セリウスがうなずく。
「属性と魔力についての知識と扱い方。統承にも役立つ魔力災害の知識とその対応。天神殿や天氏族がどういうものかを学びたいとご希望されています」
「天神殿は、天属性の者が所属を希望するなら拒むことはありません。……これは大原則です」
「まあ我々としては、留学くらいの感じでお願いしたいんですけどね」
「そこもまた話し合いですね。ウィルフォード殿と、ご家族と、それから天神殿側も。……何か私にお力添えできることがあれば、いつでもおっしゃってください」
エルンの申し出に、セリウスが苦笑してうなずいた。
「頼りにさせて、いただきます」




