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帰郷

 翌日、フィルは朝食を取った後、自身の使った白鷺館の部屋を片付けていた。

 来る時は何も持たずに身一つだった。ここから持っていくものは、仕事内容の契約書が数枚だ。片付けさえ済めば、支度はそう大変ではない。


「フィル、本当に今日帰ってしまいますの?」


 アウローラがため息をつく。


「あの方は当初の予定通り十日は滞在するとかおっしゃってましたけど。……むしろ、天神殿からの回答が返ってくるまでいるとかおっしゃってますけど」

「まあ、ヒルデは……ねえ」


 本人がウィルフォードの状態を気にしているというのもあるし、天神殿の見解について、火領の領主様方に報告する必要もあるだろう。


「現状の報告を上げるために、侍女の方がお一人、先に戻られたそうなんですが……。この上ゲルトルート様まで乗り込んできたらどうしようとセイレア様とシュナがため息をついていらしたわ」

「……」


 であるならばなおさら、フィルはさっさと退散しなくてはと思った。ウィルフォードの身代わりを務めていたフィルは「ウィルフォードが金の髪になったのは魔力風穴発生時点です」という風領の公式見解を覆す生き証人なのだ。

 おそらく火領の領主様にはいずれこっそり真実を伝えるだろうが、火領を騙そうとした証拠として認識されたくはない。


「一応髪は隠しておきます」

「それが無難でしょうね……。そういえば、セイレア様のショールは燃えてしまったんですって?」


 フィルは肩を落とした。


「ルッカ毛の高級品だから風の魔力が豊富だったそうです……。そういえば直接お詫びできてない」


 アウローラが首を傾げる。


「セイレア様は、フィルにあげたのだからとおっしゃっていたわよ。燃えたのなら新しいのを用意しなきゃって」

「いえ、そんなこれ以上!」


 慌てるフィルにアウローラが笑った。


「頂いておきなさいな。空の上は寒いのでしょう?」

「いえ、帰りは普通に行きますが」


 アウローラが瞬きをする。


「普通って……領都から?」

「はい。領都からグラスリー行きの乗合馬車が出てるのでそれに乗って、グラスリーからは荷馬車を当たるか、ルッカを借りてもいいかなと」

「だってあなた、馬車で行ったらグラスリーに着く頃は夜でしょう?」

「ですから今日はそちらで泊まって、明日の朝カルデンに向かいます」


 こうして考えるとやはり大鷲というのは早いのだなとフィルは思った。……またいつか、乗ることができるだろうか。

 ふと見ると、アウローラが机で何か書き付けている。


「ローラ?」

「グラスリーに着いたら、貴族街の『白星亭』に行きなさい。今、私から紹介状を書くから。この時期なら満室ということもないでしょうし、万が一のことがあってもちゃんと他の宿を紹介してくれます」

「絶対お高い宿ですよね!?」

「私の侍女をそこらへんの安宿に泊まらせるわけないでしょう。心配しなくてもグラスリーの家につけておくようにと書いておくわ」

「いや厚遇すぎて逆に心配」

「これくらい素直に受け取りなさい!」



 結局、宿の紹介状とシュナの持ってきた高級ショールを渡され──念のため領都を出るまで髪を隠してくださいね、とにっこり言われてさっと巻かれてしまった──二人に礼を告げてルッカ小屋に向かう。


「フィルさん」


 ルッカの小屋には、ウィルフォードがいた。向けられた笑顔の屈託のなさに、昨日の家族の話し合いの結果をなんとなく察する。


「お会いできてよかった。……もう、帰られるんですね」

「はい、火領の方の目も気になりますし」


 ルッカを引いて、ヴァレリスがやってくる。


「落ち着かないですまないな。報酬の支払いなどは、またセリウスを通じて連絡する」

「恐れ入ります」

「領都から帰ると聞いたが、せっかくだから下まで同行しよう」

「え、そんな」

「ぜひ!」


 遠慮はウィルフォードの嬉しそうな声にかき消された。


「僕たちはこれから領都の神殿に向かうんです。二年前に魔力熱を見てくださった神官様に、状況をお伝えしてもう一度診断していただこうと。……たぶんその後、天神殿へ向かうことになると思うんですが」


 最後は小声になってウィルフォードが言った。ウィルフォードはその金の髪をさらしていた。大鷲ではなくルッカで行くということは、道中で風領の民にも髪色が見えると思うが、いいのだろうか。首を傾げたとき、ウィルフォードを探す声が聞こえた。


「ウィル、こちらにいるの? ……あら、フィルもいたのね」


 二人揃って振り向けば、紅い髪が視界に映る。ヒルデガルドがこちらに向かって歩いてくるところだった。


「ヒルデ、それでは行ってきます」


 ウィルフォードがヒルデガルドに向き合って、にこりと笑った。ヒルデガルドも笑みを返す。


「待っているわ」


 お邪魔かな、と視線を巡らせたフィルを、ヒルデガルドが見た。


「あなたはこれからどうするの?」

「はい、仕事が終わったので家に帰ります」

「え? 私が火領に帰るまでいたら?」


 アウローラ殿にいじめられたの? と尋ねてくるヒルデガルドに苦笑する。


「……天神殿がどんな判断をするのかは私も気にかかるんですが、この先は一平民の私の踏み込める話じゃないですし。それに甥っ子も生まれたばかりなので、お土産買って行かないと」

「え?」

「あら、そうなの?」


 そういえばこの二人には言っていなかったか。ハルトが生まれるときカルデン村まで往復したのが遠い昔のことのような気がしていたが、あれはたった三日前のことだったのだ。

 ヒルデガルドがふっと笑った。


「聞いてもいいかしら? あなたが住んでいるのはどこ?」


 問いを受けて、フィルはゆっくりと口を開く。


「……カルデン村といいます。グラスリーの、水領との境寄りにある丘陵の中腹にあります」

「そこでルッカを飼っているの?」

「はい。うちにもいます」

「なるほどね。……風毛(かざげ)ルッカだったかしら。今の時期は短く刈った毛が銀色に光るのよね」

「……そうです」


 フィルの話したことを、ヒルデガルドはちゃんと覚えてくれている。

 ヒルデガルドがウィルフォードを振り返った。


「今度一緒に見に行きましょうよ。なんなら風の季になってからでもいいわね。ルッカがもこもこになってるところを見てみたいわ」


 ウィルフォードが笑顔になる。


「僕もぜひ、見たいです」

「……風の季になると、うちのあたりはすごく寒いですよ」


 統承二位の若様と婚約者の火領の姫がルッカを見にきたら、家族がひっくり返るな、とフィルは思った。


「そういえば、あなたの口から聞きそびれていたのよね」


 ふと、思い出したようにヒルデガルドが言った。


「私、あなたのこと結構好きなの」


 いきなりどうした、とフィルは瞬きしながら答えた。


「光栄です」

「私が風領に来た時には、ぜひ侍女を務めてほしいわ」

「……努力します」


 礼儀作法とか礼儀作法とか、あとたぶん体力作りとか。とりあえず、優先すべきは上級学校の受験だろうか。

 そんなことを考えていると、ヒルデガルドの朝日のような瞳が、真っ直ぐにフィルを見据えた。

 その眼差しの力強さに、思わず姿勢を正す。


「私は火領の統承三位、ヒルデガルド。──あなたの、名前は?」


 はっと目を見開いた。唾を一つ飲み込んで、それからフィルもヒルデガルドを真っ直ぐに見て告げた。


「カルデンのフィルと申します。次代の火を支えるヒルデガルド様に、良き風が吹きますように」


 あの日、名乗り損ねたフィルの名をようやく告げれば、ヒルデガルドはとてもきれいに笑った。

 

「風と火の良き出会いに感謝を。フィル、これからも私のことはヒルデとお呼びなさいね」

「……承知しました」



◇◇◇



 ヴァレリス、ウィルフォードと連れ立ってルッカで領都まで降りれば、まだ早目の時間なのに市が立っていた。フィルは乗合馬車の時間を確認して振り向く。

 少し離れたところに立っているヴァレリスとウィルフォードを、街ゆく人々がちらちらと見ている。

 年若い天属性というあまり見慣れぬ存在と、それからその傍に立つのが風の領主であることも、領都の民にはわかるのだろう。


「……なるほど」


 ヴァレリスと同道するウィルフォードの金の髪を隠していなかったのは、ウィルフォードの変化を風領の民にも見せておく意図があったのかもしれない。ウィルフォードが天属性であると確定した後、万一天神殿から帰してもらえないような事態を避けるために。


「ちょうどいい馬車はあったかな?」


 ヴァレリスが尋ねてくる。領主の話しかけた相手にも視線が集まるのに気づいて、フィルはさりげなくショールを引いて顔を隠した。


「少し時間があるので、家族へ土産でも買っていこうと思います」

「うむ、ご家族にもよろしく伝えてくれ。フィルの働きに満足していると」

「恐縮です」

「フィルさん、本当にありがとうございました。……ヒルデのことも、僕のことも」


 フィルはウィルフォードに笑顔を向ける。


「こちらこそ、貴重な体験をさせていただきました。報酬はもちろんですが、それ以外でも、とても大きな財産をいただきました」

「あなたと大鷲に乗ったこと、忘れません」

「ヒルデにはそれ、あまり言わないでくださいね。怖いので」


 ウィルフォードも笑った。フィルは二人に対して頭を下げた。


「お二人に、今日も良き風が吹きますように」

「ではまたな、息子よ」

「良き風が再会を呼ぶ日を、楽しみにしています」


 神殿へ向かう二人の背を見送ってから、市場の出店や周囲の店を見て回る。ふと気を惹かれたのは、ここ一月で覚えてしまった香ばしい香りだ。小麦の焼けるその香りをたどり、土領のパンを売っている店を見つけた。

 一月前は領都で売っているかはわからないと言われたのに、嬉しい驚きだ。柔らかなこれならきっと産後のイルゼも食べやすいだろう。

 出稼ぎの土産なので家に着く明日まで持たせたいと言ったら、店の奥から職人らしき人が出てきてあれやこれやと保存方法を教えてくれた。

 今は焼きたてだから冷めたら風で湿気を飛ばせ、その後すぐに油紙で包め、それを袋に入れて潰さないようにそっと運べ。グラスリーだと? 遠いな、ちょっと待て、今箱を出すから。


「温め直すならかまどで遠火だ。表面がちょっと熱くなるくらいでいい」

「もし乾燥してたら汁物にちょっとつけて食べるのもいいわ。お姉さん産後なの? 動けるようになったらぜひ店に来てちょうだいね」

「できるだけ明日中に食い切るんだぞ。時間が経つと風味も落ちるからな」


 新しいパンと商売にかける熱意を頼もしく思いながら礼を言う。次に領都に来たときには、もっと人気になっているだろう。

 別れ際、土産を買うならとヴァレリス曰く「小遣い」を巾着ごと渡されていたので、懐にはだいぶ余裕があった。お茶を取り扱っている出店で風露草(ふうろそう)を見つけたので、茶葉になっているものを買う。

 最後に、泥ガニ取りの日にヒルデガルドと食べた薄焼きパンを昼食用に購入して、馬車に乗った。


 

◇◇◇



 アウローラ紹介の白星亭は予想に違わぬ豪華な宿だった。よっぽど回れ右しようと思ったが、たぶんアウローラに会ったとき、ずっと言われる。下手すると「フィルはちゃんとグラスリーに到着したのか」とか、問い合わせが来かねない。

 恐る恐る足を踏み入れれば、場違いに思える小娘の一人客相手に対してとても丁寧な対応をされ、これがグラスリーの高級宿か……と思った。

 紹介状を出せば、ただでさえ丁寧だった対応が最上客に対する扱いになった。そりゃグラスリー家のお姫様は最上客だよな、とフィルは諦め半分、なすがままにもてなされた。

 思えば一月ちょっと前、フィルはセイレアとアウローラに風呂に入れられたのだ。それを思えば豪華な宿くらいなんてことはない。

 開き直って柔らかな寝台を堪能した。半日の移動の疲れをとる素晴らしい睡眠が取れた。


 翌朝、白星亭の従業員の案内で、騎乗ルッカの小屋にたどり着いた。

 フィルが乗ると言う言葉に最初は不安気だった小屋番は、フィルが実際に乗ってみせるとあっさりと許可を出した。ルッカの乗り方を教えてもらったのは本当に役得だったと思う。騎乗用の手袋も、フィルの手に合わせて用意したのだからと持ち物に入れられていた。これからもありがたく使わせてもらおう。


 ルッカに乗ってカルデンまでの道を進む。途中でイルゼが出産した麓の神殿に寄ると、メリアが迎えてくれた。出産のときと同じくスッとする水で手を擦った後に、イルゼとハルトの部屋に通される。

 イルゼは眠ったところだというのでそっとしておくことにして、フィルは恐る恐るハルトを抱っこした。赤ん坊のリィヤを抱っこしたのがだいぶ前のことのような気がした。柔らかくてふにゃふにゃで、今のリィヤに比べれば全然軽いのに、なんだかすごく重いというか、存在感がある。

 赤みがかった銀の瞳が、真っ直ぐにフィルに向く。まだ見えてはいないだろうと思いながら、フィルは笑顔を浮かべた。


「ハルト、フィル叔母ちゃんだよ。あなたの進む先に、いつも良き風が吹きますように」


 火混じりなら、きっと風とは相性がいいだろう。赤みがかって見える、まだ全然薄い髪をそっと撫でた。


 イルゼが目を覚ましたら食べさせてあげて、とメリアに土領のパンを託す。もちろん、店で教えてもらった温め方も一緒に。店で言われた通りに包んだパンはまだふっくらしていた。一つをメリアと半分こして食べればメリアも目を輝かせたので、領都の店の場所を教えた。


 ルッカに乗れば、麓の神殿からカルデン村まではすぐだ。次第に勾配がきつくなるが、ルッカはスイスイと上がっていく。ふと、風切峠の踏み分け道をスイスイ進んで行ったウィルフォードとリアンを思い出した。

 風向きが変わってなんとなく空を見上げれば、上空に豆粒みたいな茶色が見えた。大鷲が飛んでいく。

 あれに乗ったなんて嘘みたいだ、と今さらながらフィルは思った。

 ふと辺りを見渡せば、風毛ルッカの銀色の毛並みがちらほらと見えてきていた。


「あれ、フィル?」

「しばらく見なかったね、どうしたの?」

「出稼ぎに行ったってエルン先生が言ってたよ」

「フィルってルッカに乗れたの?」


 声をかけてくる近所の人たちに手を振って、フィルはセイレアのショールを外す。

 故郷のカルデンの風が、フィルの青の一房混じった銀の髪を心地よく揺らした。

 季節外れのトビヘビが空を泳ぐ、その光が視界の端を過ぎる。



「あ、お姉ちゃん!」

「お父さん、お母さん、フィル姉ちゃんが帰ってきた!」


 家の前でルッカに餌をやっていたセイラとリィヤが、フィルの姿を見て声を上げた。


「フィル!」


 母が、父が駆け寄ってくる。

 一月と少し前に水領から帰ってきたとき、言いそびれていた言葉を、フィルは今度こそ笑顔で告げた。



「ただいま!」





第一章『身代わりの風の子』


──了──

一章本編完結です。お付き合いいただき本当にありがとうございました。

もし良かったら応援、評価等いただけると大変励みになります。


二章についても執筆中です。

そちらもぜひお付き合いください。


読んでくださってありがとうございます。

よければ応援、評価などいただけると励みになります。

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