幕間 ーウィルフォードの決意ー
レイネシアの名に、セリウスとシュナが表情を改めた。
「……フィルさんにですからお話ししますが、ヴァレリス様が、ウィルフォード様のことを天神殿に伝えるとお話しされた際に、その……レイネシア様はえらく取り乱されまして」
セリウスが言いにくそうに話し始める。
「ヴァレリス様が出発される時には、実質お部屋の方に、その、閉じ込められていたような状態で」
「そうだったんですか……」
ウィルフォードが天の医師に見てもらいたいと訴えた時の、レイネシアの様子を思い出した。
「水領からレイネシア殿についていらした侍女殿も、護衛も念のためお部屋の前に置いていたんですが、突破されまして」
「……はい?」
フィルは思わず聞き返した。突破ってなんだ。ヒルデガルドじゃあるまいし。
「ただその時にはもう、ロクサーネ様がいらした後で、館中てんやわんやの状態で……」
「あげくにウィルフォード様が魔力風穴に向かって行ってしまったらしいという……」
レイネシア視点で見たら悪夢のような展開だろうなとフィルは思った。
「もうレイネシア様が倒れてしまわれるのではと危ぶんだのですが……その状況で、踏みとどまったというか、少々居直られたようでして」
「居直る?」
セリウスがため息をつく。
「……ウィルフォード様のあの行動は、ウィルフォード様なりに色々考えた結果の暴走だったんでしょうが、根底にはご自身が統承二位であったことがあると思われます。もし、属性に変化がみられた時に早々に天の判断を仰いでいて、ウィルフォード様が統承を外れていたら、少なくとも魔力風穴に向かって飛び出すようなことにはならなかったのではないかと」
「……それは」
フィルは言いかけて口をつぐむ。なんと言ったらいいかわからない。シュナが微笑んだ。
「もともとあの方も水領の統承持ちです。魔力災害に対する統承の心構えは教育されていらっしゃる立場ですもの。セイレア様にあとは頼むと言われ、アウローラ様と一緒に、館の動向と奥向きをまとめていらっしゃいました。……風穴が閉じて、ウィルフォード様とヴァレリス様、セイレア様がご無事と連絡が来たので、お休みいただきましたが……今、ご家族でお話をされていると思います」
――領主家の、話し合い。
ここ一月、フィルが入り込んでいた場所に、ウィルフォードが戻ることができたのなら。
「……うまくいくと、いいですね」
「そうですね」
シュナの入れてくれたお茶は、優しい香りがした。
◇◇◇
「ご無事で戻られたこと、心より安堵しております。風穴に赴かれた皆様より先に倒れるなど、不甲斐なくて申し訳ありません」
レイネシアが深々と平伏する。
「レイネシア殿、顔をお上げなさい。あなたはちゃんと、館を落ち着かせてくれたと、アウローラ殿もシュナも言っていましたよ」
「いえ、本当にお二人がしっかりされてらして……アウローラ殿などまだお若くいらっしゃるのに、本当に頼りにさせていただくばかりで」
いえいえ、とファビアンが軽く口を挟む。
「ローラはまだ私の婚約者の立場でしかありませんからね。レイネシア殿がローラの後見をしてくださったのは、本当に頼もしかったですよ」
「ファビアン、あなたはもう少しなんとかならなかったのですか!」
セイレアが雷を落とすとファビアンは肩をすくめた。
「ウィルが飛び出したのを止められなかったでしょう。重臣たちが、この上私まで何か無茶をやらかしては取り返しがつかないとばかりに、執務室にほぼ軟禁状態にされまして」
「領の緊急事態にはそれが普通です! その上で領主代理としてやるべきことをやれといっているのです!」
「いやあ、レイネシア殿と優秀な婚約者が次々に報告をあげてくれたおかげで、それを処理するだけでだいぶ格好がつきました」
「惚気ている場合ですか!」
セイレアに怒られるファビアンを見て、ウィルフォードも肩をすくめた。自分が飛び出したことによる弊害がこんな形で兄に降りかかるなんて。
「まあセイレア。ファビアンも立派に統承一位の役割を果たしたのだ、褒めてやれ。──レイネシア」
ヴァレリスの声に、レイネシアがゆっくりと顔を上げた。
「そなたも、立派に統承二位の役目を果たした息子を褒めてやりなさい。……ウィルフォード」
父に、そっと背中を押され、母の前に進み出た。母のどこか面やつれした、それでも美しい顔がみるみると歪む。
「……ウィル」
その細い腕にかき抱かれた。ふと、昨日のことを思い出す。天神殿には連れて行かせない、ここにいて、と嘆く声は、いまだ耳の中にある。けれど、今ウィルフォードにとどく母の嗚咽は、ただひたすら安堵と、それから後悔の響きがあった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「母上、どうされたのですか」
謝る声に、驚いてその背をさする。小柄な自分からしたら、母の腕の中はまだまだ自分をすっぽり包み隠してしまうほどの広さがある。……昨日は、それを重く感じなかったといえば、嘘になる。
「私が、ちゃんとあなたの状態を把握していれば……怖がらずにちゃんと天の方にお見せしていれば、こんな中途半端な状態であなたが無茶をすることもなかったのに」
「……それは」
「あなたが失われるかもしれないと、そればかりに捕らわれて……ごめんなさい」
謝り続けるレイネシアごと、ウィルフォードを包む腕があった。
「レイネシア、私は褒めてやれと言ったのだが? 役目を果たしたことと……なにより、無事にそなたの元へ帰って来たことを、褒めてやりなさい」
そう言って、ヴァレリスがウィルフォードの顔を見た。
「よくやったな、ウィルフォード」
「父上」
セイレアがため息をつく。
「私は少々言いたいことがあります。子どもはおとなしく待っていなさいと言ったのに、どうして大鷲に乗って飛び出すの。ずっと、ウィルフォード殿はファビアンに比べて、聞き分けが良くて物の道理をわかっている良い子だと思っていたのに……」
「そりゃ、ウィルが母上の前ではいい子にしていたからですよ。私だってさすがに風穴に抜け駆けしたと聞いた時は驚きましたけど、まあウィルならそれくらいのことはするかなって」
ファビアンのセリフに、セイレアが再び雷を落とした。
「だったら危険に向かう弟を止めなさい!」
「さすがに予測までは無理でした。……まあ、私もウィルも父上の子ですしね」
「これだから男子は……! まったく、ソアリスが居てくれたら!」
ソアリス、の名にレイネシアの腕に力がこもった。確か、ウィルフォードが生まれる前に亡くなった、姉の名だ。セイレアの二人目の子。元、統承二位。
その名にファビアンが瞬きをして、それからゆっくりと首を傾げた。
「……ソアリスがいたら、それは母上の娘でウィルの姉でしょう? 果たして抑止力になりますかね。フィルさんが二人になったようなものじゃないですか」
「……」
セイレアが無言で肩を落とした。そこでウィルフォードはふと気づいた。ソアリスが生きていたら、おそらくフィルと同じくらいの年だったのだ。
「……大鷲に乗って飛び出すのが三人になっただけじゃないでしょうか」
思わずそうつぶやいた。視線がウィルフォードに集まる。くす、と笑う気配が腕から伝わった。
「その場合、ウィルは置いていかれたんじゃないかしら。あの子たち、年下のことは多分庇うと思うわ」
レイネシアが、微かに震える声でそう言った。
「あの子たち」と言ったレイネシアの声音に、セイレアだけでなく、彼女の中にもまだソアリスの存在があることを感じた。会ったことのない、もう一人の「姉」。
会ってみたかったな、と思いを馳せるウィルフォードの頭を、ヴァレリスが優しくなでた。
「さて」
ヴァレリスが部屋の皆に呼びかける。
「指定魔力災害たる魔力風穴は無事収束した。人的被害を全く出すことなく。これは僥倖である。だが、ここで一つ問題が残っている。……現場に現れた統承二位が、金の髪をしていたことだ」
レイネシアの腕が再び強張る。セイレア、ファビアンが姿勢を正した。
「母上、大丈夫です」
ウィルフォードは、安心させるように母の背を叩く。
「僕はここにいますから」
一度、ぎゅっと力を込めたレイネシアの腕が、ゆっくりと離れる。心配そうにウィルフォードをのぞき込むレイネシアに微笑んで、ウィルフォードもまた姿勢を正した。
ファビアンが挙手をする。
「セリウスが、ウィルフォードの髪が現場についたら金に変わっていた、と言っていましたが」
「……まあ、公にはその線で行く。変化を隠していた、というところは省く」
いいのかな、とウィルフォードは思った。ヴァレリスが苦笑する。
「無論、ウィルフォードの診察を依頼する医師と、天神殿には真実をお伝えするが……。まあ、天神殿というのは、魔力関連の情報に関しては我々以上に慎重だ。殊更に虚偽を広めるようなことをしなければ、風領の公式見解には口を出さんだろう。……天神殿が気にする物事の按配については、注意して覚えておきなさい、ファビアン」
「はい」
エルン師の口添えもあるしな、とヴァレリスがつぶやいた。火領に対して口添えをしてくれるとの言があったのだという。
……火領。
「あの、ヒルデガルド様たちに対しては」
ウィルフォードは恐る恐る尋ねた。
「……公式見解は先のもので押し通すが、ひとまず天の見解を尋ねてからだな。婚姻となると、どうしても子のことが絡む。天氏族同士でも結婚は禁じられてはいないということだし、領同士の約束に天神殿が口を挟んでくるとは考えにくいが」
「……天神殿が、ウィルを天属性と認定したとして、ウィルの所属はどうなるのでしょう」
レイネシアが、ぽつりと言った。その声に感情はなかったが、握りしめた手が震えているのをウィルフォードは見た。
「それもフィルがエルン師から聞いたそうなのだが、天の属性を持っているからといって、天神殿に必ず属さねばならないわけではないと。魔術の使用等に制限はかかるが、希望すれば親元に帰れるということだ」
ヴァレリスの言葉に、レイネシアの頬に血の気が差した。
「本当ですか。それならば、ウィルが天属性だとしても……」
「風領に戻ってくることは可能だろう。統承については、万一の事態に領主を継ぐことが可能なのか、またウィルフォードの子がどのような属性を持つかなどの要素が絡んでくるので、天の意をお尋ねせねばならんだろうが」
ファビアンが首を傾げた。
「ですが、妻がヒルデガルド殿となると、その間にできる子は天なんでしょうか、火なんでしょうか。風の統承を継ぐことは、可能なんですかね?」
妻、との言葉にウィルフォードは赤面する。
「そこもわからんな。……統承の話でいうなら、先に風属性との間に子があると安心ではあるが」
先?とウィルフォードは瞬きをする。セイレアがため息をついた。
「おやめなさいませ。私、ヒルデガルド殿を説得できる気がしませんよ」
レイネシアも言った。
「ただでさえ、ヒルデガルド殿は三つも年上ですもの。ウィルが十八になったその後に、さらに風属性の子を持つまで待てとは言えませんでしょう?」
……先って、そういうことか。ウィルフォードは視線をさまよわせた。
「私としては、ヒルデガルド殿が……火領がウィルの後ろ盾についてくれるなら、頼もしいと思います」
「まあそうだな」
ヴァレリスが言った。
「それらも含めて、ウィルフォードを天神殿に連れていき、相談をしてきたいと思うが、どうか」
視線がレイネシアに集中する。レイネシアは、うっすらと微笑んだ。
「先にセルマ師にお伝えなさいませ。……二年前、彼女には不義理をいたしました。あんなに心配してくださっていたのに。セルマ師から天神殿に連絡をとっていただければ、おそらくすぐに話が通るでしょう」
「……それが良さそうだな」
「私は、天のお方の言葉を信じます。ウィルが望めば、帰ってこられると。……ウィルフォード」
「はい」
母の呼びかけに、ウィルフォードはレイネシアに向き直る。
「あなたのことを、天神殿がどのように診断するかはわかりません。天属性を持つというなら、天の神殿に来るようにと言われるかもしれない。……けれど、焦って一人で決めてしまわないで。少なくとも一度帰ってきて、母と、セイレア様やファビアン様と、それからヒルデガルド様とも相談してください。……約束してくれますか?」
ウィルフォードは母の目をまっすぐに見て、うなずく。
「約束します。僕は父上と母上の子で、風の統承二位です。役目を黙って放り出すことはしません。もし新たな役目を提示されるのだとしても、家族にちゃんと相談します」
レイネシアが再びウィルフォードを抱きしめる。今は、それ以上は口にしなかった。
──ウィルの身代わりをする子が、どんな報酬を欲しがったと思う?
隼館に閉じこもっていたウィルフォードに、ファビアンがこっそり教えてくれた話。ウィルフォードの身代わりを務めた、フィルの欲しがっていたもの。
——上級学校に行く、奨学金が欲しいって言ったんだって。
かつての自分と同じ色の髪を持つ、まるで姉のような彼女。
彼女の望みは、どこまでも未来を見ている。上級学校に行って、世界の仕組みを学び、魔力の扱いを身につけて。
その先の彼女の姿は、とてもまぶしいと思った。
初めて大鷲に乗って、見た景色のように。
母の子であることを、風領の統承二位、ヒルデガルドの婚約者であることを諦めるつもりはまったくないけれど。……いや、だからこそ。
自分のことを知りたい。自分に何ができるのかを。
そのために何をすればいいのか、今はなんとなくわかる気がした。




