後始末のやり直し
ヒルデガルドが、戻ってきたウィルフォードを抱きしめている。
「あなたはよくやったわ、ウィル。……でももし、今度があったら、私も連れて行きなさい」
顔をウィルフォードの肩口に埋めて表情は見えぬのに、いいわね、と念を押す様子には有無を言わさぬ迫力があった。
「ええと……」
言い訳か何かしようとする気配を感じて、隣にいたフィルは必死で首を横に振る。今は理屈ではない、とにかくうなずいておけ、と。
通じたのかどうか、ウィルフォードは一言、心配をおかけしてすみません、とだけつぶやいた。
フィルはアウローラに引っ叩かれた。
ふざけないで死ぬ気なのちっぽけな魔力しか持たない平民のくせによくも私を置いて行ったわね。
平民云々以外はヒルデガルドがウィルフォードに言ったものと同じような意味合いなのに、この差はなんだ。解せない。一月前は面と向かってクソとか毒付いても手が出るとこまで行かなかったのに。
思い切り引っ叩いてくれたあと、フィルにぎゅうぎゅうに抱きついてくるアウローラをファビアンが微笑ましそうに見ている。どういう感情なんだろう。まあ次期領主夫妻が仲睦まじいのはいいことだ。窒息する前には助けてほしいが。
「ヒルデガルド殿」
ヴァレリスが声をかけると、ヒルデガルドがウィルフォードを離してその場に跪いた。
「風の領主ヴァレリス殿に、魔力災害発生へのお見舞いと、事態の収束への感謝、そしてご無事で戻られたことにお喜びを申し上げます」
「見舞いに感謝する。滞在中にこのような不測の事態、申し訳ない。詳細はゲルトルート殿にもお知らせするが、まずは詫びを受け取っていただければ幸いに存ずる」
「いえ、魔力災害の発生は時期の読めぬものですし、それに関して領主に責はございません。不運ではありましたが、代わりに興味深いものも見れましたし」
そう言って、ヒルデガルドはにこりと笑った。ヴァレリスがため息をつく。
「……それに関してだが、少々お待ちいただけるだろうか。少々、家内を統一する必要があってだな」
「もちろんです。魔力災害の後ですもの、処理事項がたくさんおありでしょう。私どもは客用館で大人しくしておりますので」
「重ね重ね、申し訳ないな」
そして、一度天を仰いだ後、再びヒルデガルドに真っ直ぐ視線を向けた。
「今後の情勢によって、火領の意向が変わることもありうると思う。だからこれは、あくまで現段階でという話なのだが。ヒルデガルド殿は、我が息子ウィルフォードとの縁組の約束について、何か思うところはあるだろうか」
ヒルデガルドが瞳を細めて、とてもきれいに笑った。
「ウィルが十八になるのが待ち遠しいです。どうかよろしくお願いしますね、お義父様」
「……」
とてもきれいなのに、なんかすごく怖い、とフィルは思った。どうか、ウィルフォードとヴァレリスにはがんばってほしい。
視線に気づいたのか、チラリとヒルデガルドがフィルの方を見た。
「住居をどこに構えるかなど、まだ色々話し合う必要がありますけど、私がこちらにくる際はぜひフィルに侍女を務めてもらいたいです。この数日のおもてなしが、とても楽しかったので」
ヴァレリスが何か言う前にアウローラが切って捨てた。
「申し訳ありませんがフィルは私の侍女です」
「そうなのか?」
「そうらしいです」
「あら、お義姉様は心が狭いわね。私の滞在中くらい貸してくれてもいいじゃない」
「あなたとフィルが一緒になると、誰かしらの胃に穴が開いたのでだめです」
「開いたんですか?」
「セリウスもシュナもここ数日胃薬を飲んでいたわよ」
「それ私のせいですか?」
「あなたが原因の一つであることは間違いないと思うわ」
「いっそウィルと一緒に火領にきてもいいのよ、フィル」
「水混じりには火領の空気は負担が大きいのでお断りします」
「なんでアウローラ殿が断るのよ」
フィルもウィルフォードも領主も置いてきぼりにしそうな二人の勢いに、扇子が欲しいな、とフィルは思った。二人が暴走し始めたら、パチリと鳴らすのだ。
◇◇◇
まずは領主一族の「家内の話」を済ませるらしく、セリウスがヴァレリスたちを呼びにきた。ヒルデガルドはいったん客用館に戻っていく。
去り際に「あなたがウィルと大鷲で相乗りしたことは覚えておくわ」と言われた。怖い。ウィルフォードには成長して体重が重くなりすぎる前に、ヒルデガルドを大鷲に乗せてあげてほしい。
「フィルさんは、いったん白鷺にいていただけますか。雲雀にはウィルフォード様とレイネシア様が戻られますので。荷物は後ほどお持ちしますね」
シュナに言われて、確かに、とうなずいた。そして気づく。
「あの、シュナさん」
「なんでしょう?」
フィルは声をひそめる。
「レイネシア様は……?」
シュナは少し困ったような顔で、人差し指を口にあてた。
「後からすぐに参りますので、白鷺で少々お待ちください」
「……承知しました」
白鷺館はアウローラが主に使っているが、客用館も兼ねている。雲雀に移る前に使っていた部屋の寝台に転がっていると、来訪を知らせる音がした。
「どなたですか」
「セリウスとシュナです。入ってよろしいですか?」
「少々お待ちください」
言って、フィルは部屋の扉を開けにいく。シュナが、合格、というようににこりと笑った。
セリウスは、なにやら書類をたくさん持っている。
「契約事項の確認は、またエルン師に立会をお願いしようと思っていますが、ひとまず報酬の試算をいたしました。これで大丈夫かどうか、後ほどゆっくりご確認ください」
「ありがとうございます」
仕事が早い。
「ただ、先にいくつかお話をさせていただければ、と」
「……はい」
フィルは居住まいを正す。シュナが柔らかく笑って立ち上がった。
「お茶をお入れしますね。セリウスは先に話を始めてください」
シュナに促され、フィルとセリウスは腰を下ろして書類を広げた。
「まずは、こちらから出す条件の確認です。不安があればいったん保留として、ご両親やエルン師に相談しても構いません。ただ、ご両親にも口止めは必ずお願いします」
「承知しました」
フィルがうなずくと、セリウスは一つ咳払いをした。
「まず、この一月半。あなたは火領のお客を迎える準備をしていた領主館の、人手不足を補うための下働きとして出稼ぎに来ました」
「……はい」
「そこで気働きを認められ、次期領主夫人であるアウローラ様に召し上げられます。アウローラ殿はあなたをいずれご自身の侍女とされることを希望し、仕事の傍ら、礼儀作法等をシュナに教育させます」
「はい」
「そして火領一行が来られたとき、案内役のアウローラ殿に付き添っていたあなたを、ヒルデガルド様が見初めます」
「……? はい」
なんだか妙な言い回しだな、と思ったところにシュナの冷たい声が飛んだ。
「セリウス」
「失礼、いたく気に入られます。それでアウローラ殿にフィルさんを譲ってくれと依頼します」
「……はあ」
「そこについてはまだ決着はついていません。ヒルデガルド様がお輿入れされるのは早くても六年後ですし、またその時に話をしようということになっています」
「聞いておりませんが」
「そういうことになりました」
「……承知しました」
「ウィルフォード様とヒルデガルド様は予定通り親交を深めていたのですが……。ウィルフォード様の魔力循環に不調が出ます」
「突然ですね」
「突然だったのです」
フィルのつぶやきにセリウスはうんうんと頷いた。
「驚いたヴァレリス様が天に似たような事例が無いかとこっそりお伺いをたてに行っている途中で、魔力災害が起きます。そこからはフィルさんも知っての通り、魔力が使えなくなったことと統承の立場を思い詰めたウィルフォード様が、セイレア様に先駆けて魔力風穴を訪れます。そして、そこで我々には計り知れぬ魔力的な何かの作用が起きた結果、驚くべきことにウィルフォード様は天属性へと変化されました」
「……」
なんかそんなことを、風切峠でも言っていたなと思い出した。
「これは一大事ですので、ひとまず今、領主家で対応を協議しています。そして方針が決まり次第、天の神殿に診断を依頼、状況を伝えにいきます」
「今」
「はい、まさしく今、話し合いの真っ最中ですね。ちょっとこの先については、まずウィルフォード様の属性を天に確認していただかないことには話が進みません。領主家に天属性が出た場合、統承はどうなるのか、所属はどうするのか、他領との婚姻や生まれた子の扱いはどうなるのか……。諸々含め、天にお伺いをたてます」
「なるほど」
だからヴァレリスは、「現状で」のヒルデガルドの意思を確認していたのか。火領に、婚約を続ける意向があるかどうか。
──よろしくお願いしますね、お義父様。
……少なくともヒルデガルドはやる気十分だった。対応する天氏族にはぜひとも空気を読んでいただきたい。
「いうまでもありませんが、これは領主家の統承、他領との婚姻問題を含む、取り扱いに厳重な注意が求められる情報です。世間話はもちろん、ご家族などにも口にすることのないように」
「商人のはしくれとして、守秘義務の重要性は理解しております」
「頼もしいです。さて、フィルさんの話に戻りますが」
「戻るんですか」
「最初の契約通り、あなたが上級学校に進学する際には奨学金の支給と、私、セリウス=フレイが……万が一この数年に私に何かあった場合は私に変わってシュナ=フレイが、あなたの後見となります」
「……どういう意味ですか」
「深い意味はありません。ただ、フレイ家としてあなたを後見する意思がある、という表明です」
「フィルさん、こちらを。私の署名もあります」
茶の準備をして戻ってきたシュナが指差した先は、奨学金と後見についての証書、そしてそこにはシュナの名も書かれていた。
「あの、私、まだ本当に進学するかも……」
「そこはぜひお願いします。エルン師も協力してくださるそうですし」
「……」
「フィルさん、これは私見ですが」
シュナが茶を注ぎながら言う。
「上級学校で適切な単位を取れば、身の回りのお世話をする侍女というだけでなく、領内の政にアウローラ様が関わる時に書記……秘書としても、側近として働きやすくなります。また、上級学校を卒業しているということは、出自が平民でも、そこいらの貴族に対して問題なく渡り合えます」
そう言ってシュナはセリウスを見た。
「……なるほど」
「もちろん、貴族館に勤めるのでなくても、大鷲関連の技術者や魔力観測所など、魔力やトゥーレの根幹に関わるような、そんな職業に就く道も開けます」
観測所ってさっきのあれか。あそこに勤めるってだいぶ怖いな、と考えながら、フィルはふと思い出した。
「……セリウス様、風穴で魔力が逆流してきた時、ヴァレリス様をかばったでしょう。私たちのことは無視して」
ちなみに、とっさにフィルはウィルフォードをかばい、その二人にセイレアがおおいかぶさっていた。セイレアには本当に頭が上がらない。
「位置関係と、優先順位ですかね。ヴァレリス様の魔力がいつも通りで、私がウィルフォード様の近くにいたならウィルフォード様をかばったと思います」
セリウスがしれっと言った。
まあ結局、エルンが一瞬で土の壁なんていう訳のわからないものを出現させたせいでうやむやになったのだが。
いつぞやの、学校のガラスを割った風以上にやばい魔術なんじゃ、と思ったフィルの前で、観測所の天氏族二人はすごくはしゃいでいた。
なにこれすごいどうなってるの、土魔術だから風には強いよねさすがですエルン師。目を輝かせる天氏族と呆然としている風氏族の前で役目を果たした土の壁は音もなく崩れ、エルンはなんのことでしょう、みたいな顔をしていた。
今さらだがセリウスはエルンに少し似ていると思う。自分の信念とか必要だと思うことのために、自分のできることをなんでもやっちゃうところとか。
そう言えば、セリウスは目に見えて嫌そうな顔をした。
「あの、私のことは、ひとまず大丈夫なんですが」
進学については、それこそ家族とも相談しながらゆっくり考えるとして。
「──レイネシア様は、どうされてますか」




