収束
すっとロクサーネが進み出た。その手が地面に空いた穴の方に向けられている。
「リアン師、失礼」
そのままリアンと位置を入れ替える。下がってきたリアンがよろよろと膝をついた。
「リアン師!」
「まだ大丈夫です……でもちょっと立てないです……」
セリウスがリアンに手を貸して座らせる。
「すいません、お手数をかけます」
「いえ、風領のためのご尽力、ありがとうございます」
「魔力の補充は」
「いえいえ、そっちは風領の方が使うものなので」
へらりと笑ってリアンが手を振った。その手が小刻みに震えている。魔力が枯渇している状態に近いのだろう。
「リアン師、寒気や空腹感などは」
「少し寒いですが大丈夫です。あ、できれば私の代わりに記録を……風穴の変化の状態をぜひ……ロクサーネさんの魔力補充の前後の変化を特に重点的に……」
とりあえず大丈夫そうだな、とこの期に及んで記録にかける執念に呆れていると、エルンがウィルフォードに記録紙を差し出した。
「ウィルフォード殿も魔力操作はいったん終わりにしてください。代わりに、あなたに見える範囲でいいので、風穴の変化を記録してください。……次回のための、貴重な記録です」
ウィルフォードはハッとした顔をしてうなずくと、記録紙を持ってロクサーネに近寄った。フィルは己の不明を恥じたが、同時に観測所の二人も、こういう言い方をしてくれればいいのにとちょっと思った。あの二人の言動では風穴観察が趣味にしか思えない。
セイレアがすっと立ち上がった。おそらく、ロクサーネの魔力が枯渇してなお風穴が収まらないときのための備えだ。ウィルフォードの策は、どれくらい効果があったのだろうか。皆の見つめる先で、穴の上部にある空間の風が凪いだ。
風は目には見えない。けれど、音や周囲を揺らす様子から、どんな風が吹いているのかはなんとなくわかるものだ。だが、そこでは一切が止まっていた。風の魔力の本質は空気の操作とフィルに言ったのは誰だったか。
魔力によって空気の流れを止めた空間は、高密度の風の魔力の塊だ。それは少しずつ大きくなっていく。先ほどまで風に舞っていた枝や木の葉、小石はその空間の縁に触れると、見えない壁に引っかかった様に空中で止まった。
ロクサーネが手を振り下ろした。地に空いた穴に魔力の塊がぶつかり、穴の淵が抉れ始めた。魔力に押しつぶされ、すり鉢状に穴が拡大していく。しばらくして穴の拡大が止まると、魔力の塊は崩れ、引っかかっていた物ごと穴の奥に吸い込まれていった。
「セイレア殿」
エルンが静かに名を呼ぶと、セイレアもまたロクサーネの位置まで進み出た。セイレアが手をかざし、ロクサーネと同様に魔力の塊を作り出す。ロクサーネがその場にふらふらと座り込んだ。
「失礼します」
セリウスがロクサーネを支えてこちらに戻ってくる。
「ロクサーネさん!お水、飲めますか!?」
フィルが魔力水とやらの入った瓶を差し出せば、セリウスが蓋を開けてロクサーネに渡した。ロクサーネが一息でそれを飲み干す。
「風穴はどんな感じ?」
ネイトがじっと風穴の方を見て、答える。
「いい感じですね。ロクサーネさんの魔力を吸い込んだ後、魔力を吸収する勢いも落ち着いてきています。領主夫人もロクサーネさんと同じくらいの魔力量のようですから、これをもう二、三回くりかえせば閉じると思いますよ」
「二、三回ですか」
簡単に言ってくれる、とロクサーネは苦笑し、フィルは青くなった。
「え、だってもうフラフラじゃないですか!」
ロクサーネは答えず、もう一本の魔力水を飲んだ。セイレアの操る魔力の塊が、先ほど同様風穴に飲み込まれていくのを見て、ロクサーネが再び立ち上がった。
「ロクサーネさん、僕も……」
ウィルフォードが言うのを、ロクサーネが頭を乱暴に撫でてさえぎる。
「子どもは引っ込んでなさい」
「でも」
「そうだな、ウィルの出番はまだ先だ」
低い声がそう言って、ウィルフォードの頭に手を置いた。
はっと振り返ったロクサーネが膝をついて礼を取る。フィルも慌ててそれにならった。
「父上――」
振り返ったウィルフォードに、現れたヴァレリスは安心させるような笑みを浮かべた。
「遅くなってすまなかった。無事だったか?」
「僕は大丈夫です。でも今、セイレア様が……」
「そのようだな。天のお方、今からセイレアと交代しても大丈夫だろうか」
「大丈夫ですが、ちょっと待ってください!風穴が閉じるときの詳細を……! 記録したい……!」
観測所の天氏族二人の反応に、初見のヴァレリスが困惑した気配を見せた。
「気にしないで交代して差し上げてください」
思わずフィルはそう言った。
◇◇◇
ヴァレリスによる風穴への魔力補充の後、風穴は一度周囲に魔力を吐き出し、その後沈黙した。
「逆流があったということは、魔力空隙は埋まったと考えてよろしいでしょうか」
その魔力の逆流で起こった暴風を、こともなげにさばいてみせたエルンがネイトに向かって尋ねる。
「ええ、空隙が埋まり、余剰分を吐き出すことで調和を取り戻すと文献にはあります。先の再拡大の例もありますからしばらくは観測を続けますが、おそらく問題ないでしょう」
ネイトとリアン、それからエルンが表情を改め、居住まいを正した。魔力の急激な減少で腰を下ろしていたヴァレリス、セイレア、ロクサーネに向かって深々と礼をする。
「風領領主並びに領主夫人、先々代統承五位殿。この度は魔力風穴の収束へのお役目、ご苦労でございました。発生並びに此度の収束までの経緯につきましては天神殿と共有し、また次回への備えといたします。トゥーレの調和が末長く保てますよう、我らも尽力いたします」
「こちらこそ、発生からの迅速な報告と、慣例を越えてのご協力に感謝する。これからも、トゥーレの調和のために、協力と良き関係を望む」
ヴァレリスが代表するように天氏族たちに礼を述べた。
終わったのか、とフィルは息をつく。
「ヴァレリス殿は、どうやってここへ?」
セイレアが尋ねる。
「ああ、神殿都市への入り待ちをしているところに大鷲が来てな。魔力風穴と聞いて、ひとまず私だけこちらへ先行した」
神殿都市の近くに鷲台はなかったはずだが、どうやって飛んだんだろう、とフィルは思った。さすがに領主夫妻の会話に口を挟む気にはならなかったが。セイレアがため息をつく。
「何か無茶をなさったんでしょう。おかげで助かりましたけれども」
セリウスが何か考えるように、ヴァレリスに尋ねた。
「……それでは、天神殿へは例の報告はまだ?」
「そうだな、事態が落ち着いたらまた来ると予告だけはしたが」
ふむ、とセリウスが顎に手を当てる。
「それでは、ウィルフォード様の髪が金になったのはついさっきです」
何を言い出すんだこの人、とフィルは瞬きをした。
「領主様不在で、領主夫人が風穴の処理に当たる準備をしている際に、心を痛めた統承二位が先走りました」
「……」
間違ってはいない。だが何か、作為を感じる。
「え、ウィルくんて統承二位?」
「領主殿のお子さん? え、なんで天属性?」
観測所の二人が首を傾げている。
「実はそうなんです。魔力熱の後遺症でしばらく魔力の不調を起こしていたんですが、急場で何か覚醒されたようで」
覚醒ってなんだ。
「そういうわけで、改めてこの事象については天神殿にお伺いをたてにいかないとですね。前例があるのかとか色々」
「属性の変化とかって聞いたことないです研究したい」
目を輝かせるリアンにウィルフォードが思わずといったように一歩下がり、間にロクサーネが割って入ってリアンを睨んだ。
「……そのように、ご承知おきいただけますか、ロクサーネ様」
セリウスに言われ、ロクサーネが肩をすくめる。
「私は一平民だからね。お上の難しい話はわからないし関わらないよ」
「ありがとうございます。……フィルさん」
「はい!?」
上擦った声で返事をすれば、セリウスはいつものうさんくさい笑みを浮かべた。
「あなたももう少し、この件については口をつぐんでいてください。この一月ちょっとで見聞きしたことについて、どこまで話していいかは後ほど確認しましょう。その誓約ののち、契約通り報酬をお渡しします」
報酬、の言葉にフィルは瞬きをする。
「……いいんですか」
ヒルデガルドには影武者がバレたし、他にもなんか色々やらかした自覚はあるのだが。
「いらないんですか?」
「いります」
うんうん、とセリウスがうなずく。
「先に片付けないといけないことが立て込んでいるので、ちょっと後回しになると思いますが、必ずお話ししますので待っててくださいね」
フィルはしっかりとうなずいた。
「……帰宅が延びたことだけ、先にご両親にお伝えしますね」
日当の計算でニヤニヤするフィルを見て、諦めたような口調でエルンが言った。




