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母の手の記憶

 リアンは観測所に向かってすいすいと踏み分け道を上がっていく。フィルは一生懸命その後に続いた。先ほどの水で魔力が回復したのか、体が軽く感じる。助かったと思うのと同時、魔力を補充するウィルフォードやセイレアたちにとって必要なものだったのでは、とちょっと不安になった。

 観測所は堅固そうな壁の建物だった。もちろん長年風にさらされているようで、それなりの傷はついているのだが、すごく直線的な設計に見える。


「リアン師? どうされたんです?」


 銀の髪の、風属性とおぼしき男性が寄ってくる。観測所に勤めている風領の民だろうか。彼はフィルを見て一瞬怪訝な顔をするしたが、すぐにリアンに向き直った。


「ネイト師はご無事ですか? 風穴は?」

「それがですね、途中で風の領主夫人ご一行と出くわしまして、ご案内していたので、風穴にたどり着けていないんですよ……。早く戻らなきゃ、風穴が閉じちゃう」

「いや、閉じてください。なんのためにいるんですか、あんたたち」


 男性の目が冷たくなった。天の方々について少々ぞんざいに過ぎる気がしたが、「町の神官とは別物と思え」というロクサーネの言を思い出した。そういうことなのだろう。


「リアン師は何を取りにいらしたんですか? 魔力水は準備を続けていますが……」

「あ、それちょっと待って。凪咲花じゃなくて流水藻を準備して」

「え?」

「環境中の水属性魔力を吸収したいんだって。だから完全乾燥じゃなくて、生きてるやつ優先で」


 そう言いながらリアンが進む先は地下に降りる階段だった。あまり見ない構造にフィルは驚く。フィルたちの住む傾斜のある地域では地下構造は不適当だし、平地に近い街でも大きな商家や役場の倉庫などにしか聞かない。

 厳重に閉じられた扉の一つに、リアンが鍵を差した。男性が何やら書き付けている。開門時刻の記録のようだ。


「フィルさんはここにいてね」


 そう言い残してリアンと男性が入っていく。空いた扉の先には水槽と、ぼんやり発光している水草が見えた。


──あれが流水藻?


 凪咲花のように、水領で魔力過多症状の魔力放出に使用される、魔力吸収植物。確か、ウィルフォードの症状にも使われていたのでは無かったか。

 しばらくして出てきたリアンは、蓋の閉まる容器をたくさん抱えていた。


「はいフィルさん、半分持って」

「あ、はい」

「待ってください、リアン師はまた風穴に戻られるんですよね?  その子は……」

「ここまできて仲間はずれはひどいでしょう。フィルさんも風穴がどうなるか見たいですよね!」


 リアンの言葉はフィルの思いとは多少ずれていたが、それは紛うことなく善意による提案で、しかもフィルの意思には沿っていた。


「もちろんです!」

「水は重いので途中で現地調達しましょうね! 空の容器を持てるだけ持ってください」


 男性がため息と共に持たせてくれた容器を背負って、フィルはリアンと再び風穴に向かった。


 

 リアンとともに容器と、途中で汲んだ水を持って風穴に戻ると、その場の風氏族三人がフィルに対してどうして戻ってきた、という顔をしたが――ちなみにエルンはどこか諦めたような顔をしていた――リアンの「流水藻持ってきました! 水あるから重かったです! あ、風穴! どうなったんですか大きくなりましたかあれ意外と変わってない」という怒涛の発言に色々飲み込んだようだった。おそらくこの件の後、セリウスの天氏族への苦手意識は強くなるだろう。

 一方、エルンは何か吹っ切ったようだった。


「なるほど、このような形で流水藻を運ぶのですね。短距離なら水も少なく済みますし、重量も嵩みませんね。ではさっそく、環境の水属性魔力を吸収させたいのですが」


 流水藻の入った容器を検分しながらエルンが言う。蓋を開けた容器の中には、湿った綿に包まれるように、先ほど地下の水槽に垣間見えた水草がぎっしり詰まっていた。


「流水藻を水に浸せば、周囲の水の魔力の吸収が始まるはずですが」

「……僕がやってみていいですか」


 ウィルフォードがエルンの傍に進み出る。


「リアン師、ちょっと風穴の維持変わって。ウィルくん、流水藻には詳しいの?」


 ネイトがウィルフォードの隣から流水藻を覗き込む。後ろでリアンが「ずるい!」とかなんとか言っていたが無視されていた。


「体調の悪い時、母がこれを使ってくれて」

「へえ、ウィルくんは水領の出身?」

「ネイト師」

「あ、すいません単なる興味です。ウィルくん続けて」


 まあいきなり現れた天属性が風領の領主の息子とは思わないだろうな……とフィルは来る途中の川で汲んだ水をウィルフォードに差し出した。

 ウィルフォードが流水藻を水の中に入れると、水草の枝分かれしている部分が開き始める。何となく、凪咲花の開花を連想した。

 凪咲花が開花すると風が止む。そういえば、凪咲花がたくさん咲いているところには近寄ってはいけない、と親も神官たちも言っていた。気付かぬうちに魔力が吸われてしまうのだと。

 おもむろに、ウィルフォードが容器の中に右手を沈めた。


「ウィル様!?」

「大丈夫です」


 ウィルフォードのもう一方の手は風穴側に向けられている。しばらくすると、流水藻が発光し始めた。開いた枝の縁に、光る泡のようなものがくっついている。

 それをじっと見つめていたウィルフォードがふと口を開いた。


「魔力熱でうなされていたとき、神官のお医者様が、水の属性の魔力を感じるとおっしゃって。母上が、流水藻を準備してくれたんです。今みたいに手を水の中に入れると、水の魔力が吸い出されるからって。……そのときも、こんなふうに水が光ってました。水が光らなくなるまで、母上はつきっきりで、水槽を交換してくれた。手を握って魔力を一緒に流して、でも流し過ぎにならないようにって、ずっと」


 ぽつりぽつりとウィルフォードがつぶやく。まるで当時の感覚を追うように。


「フィルさん、次の水をお願いできますか?」


 気づけば容器の中の水は眩ゆいばかりの光を放っている。フィルが同じように水を入れた容器を新しく用意していると、セリウスが水を汲んでくる、と立ち上がった。

 ウィルフォードが流水藻を光らせ、新しい水を用意する、という作業をしばらく繰り返すうち、リアンが悲鳴のような声を上げた。


「何だか魔力に反発があります!」

「……ここまでかな」


 ネイトがロクサーネとセイレアに向き直った。


「そろそろ、風の魔力の準備をお願いします。できるだけ純度の高い風属性の魔力を、可能な限り一度に大量に、風穴の奥に押し込める様な感覚で。周囲から水の属性を除くことができているので、おそらく負担は軽くなったのではないかと思いますが。よろしいですか?」

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