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風穴のほとり

 そこは、異様な雰囲気だった。

 周囲では木の枝が折れたり石が転がったり、何かぶつかり合うような音が絶えず聞こえるのに、その中心部だけが妙に静かであった

 ……地に、穴が空いている。直径は一モール程か、小さな子どもなら頭まですっぽり嵌ってしまいそうな、黒くぽっかりと空いた穴。

 自分の想像に、フィルは思わず震えた。

 穴から五モールほど離れた位置に、顔色の悪い男性が立っている。その髪色は金だった。


「ネイト師」


 ロクサーネが呼びかける。


「ロクサーネさん、領主殿は」


 こちらを振り向きもせずに答える彼は、穴を……魔力風穴を、睨みつけている。


「領主は不在でした。魔力風穴のことを知らせに領主館の大鷲を飛ばしています。連絡がつけば、直接こちらに向かうでしょう。領主館からは、ひとまず第一夫人がむかってきています。……リアン師は?」

「観測所に記録紙をとりに行きました」

「……あれだけ持ち込んでいたのに?」

「全然 !足りません!」


 ネイト師と呼ばれた天氏族が、突然くわっと目を見開いて叫んだ。


「古代に通じる魔力風穴の拡大を、この目で見られたというのに! 時間経過と拡大、吸収と停滞、それに伴う周囲の魔力の影響、全部漏らさず記録せねば! というか、本来なら膨張と崩壊まで至らせたいんですが!」

「至らせずに閉じてください」


 フィルは呆気に取られていたが、冷静なロクサーネの声に遅ればせながら気づく。

 この天氏族、今、魔力風穴を崩壊させたいって言ったか。


「あの、それって周囲はどうなるんですか」

「記録によると、風の魔力吸収量が増えるにつれ、周囲の物体の流入や穴の縁の崩壊が起き、穴そのものが形を保てなくなります。穴の形が崩れると一時的に魔力収束目標の座標が失われ、収束途中の魔力が逆流します。そこに集まりかけていた魔力とぶつかり合い、混じり合って」

「つまりどうなるんですか」


 思わず遮ってしまった。


「わかりません」


 即答だった。


「その先の記録が断片でしか伝わっていないのです。ですので、この貴重な機会に是非とも観察し、記録したい」

「記録が残っていないって、それ、崩壊に巻き込まれてるんじゃないですか?」

「速やかに風穴を閉じてください」

「いやー閉じたいのは山々なんですけどねー、天属性の自分では力不足でー、領主夫人の到着までにちょびっと崩壊するのは仕方ないかもー」

「そこをどきなさい変わります」

「あ、ロクサーネさんもう少しだけ! リアン師が戻るまででいいので!」


 なんというか、天氏族とか以前に、初めて見る人種だと思った。強いていうなら大鷲に夢中になっている時のカイルやシュルクの雰囲気にちょっとだけ似ている。

 状況も忘れて呆れていたフィルの前を、ウィルフォードが歩み出してネイトに並んだ。

 突如現れた天属性の少年に、ネイトが怪訝な顔を浮かべる。


「君、どこの子? 危ないから下がりなさい」

「失礼します」


 ウィルフォードがセイレアのショールを手放す。ショールはふわりと浮いた後、穴に向かって吸い込まれるように飛んでいく。そして穴の手前で動きを止めたと思うと、次の瞬間宙で燃え上がった。


「え!?」


 炎は一瞬で消えたが、焼き切れたショールの灰と、燃え残ったいくつかの端切れが穴の中に吸い込まれていく。


「ああ……なるほど」


 ネイトが真面目な顔になってつぶやいた。


「今のはルッカ毛? 魔力は追えてる?」

「大きい切れ端と、灰の動きはなんとなくわかります。灰の集まっていくあたりが集積点でしょうか」

「惜しいな。風穴が地面にできた場合の魔力集積点は地中にあると考えられてる。だから灰を撒くのは悪くない。とりあえず、魔力は穴の底に届けるような意識で構わない。そのまま続けて……って、子どもは危ないから駄目だって」

「でも、師の魔力も結構枯渇してきてますよね?」


 ウィルフォードの指摘に「まだいけるよ」とネイトが嘯いた。とはいえ、顔色が良くないのは変わりない。


「であれば、私が代わります」


 天属性二人の会話にロクサーネが割って入る。ネイトが首を振った。


「ロクサーネさんの出番は風属性の方が揃ってからです。風の属性魔力を流すときは、一気に流す方がいいので」


 ロクサーネがため息をつく。


「セイレア殿たち、どこで寄り道なさってるのかしら」

「一気に風の魔力を流すんですか?」


 ウィルフォードが風穴に意識を向けたまま、そう尋ねる。


「理屈としてはそう。魔力の特異点……異常空隙点に向けて、周囲と調和する魔力をぶち込む」

「ぶち込む」


 後方で、フィルはうっかり復唱してしまった。ロクサーネが肩をすくめる。


「観測所の天氏族に会うのは初めてかい?」

「はい」

「なんというか、町の神殿にいる神官様とは別物だと思った方がいい」

「……」


 なんとなく納得した。というか、別物でよかった。と、ウィルフォードが首を傾げた。


「でも、このあたりの魔力って、水も混ざってますよね?」

「水領が近いからね。ただ、風の割合が多いのは変わらないから、領主殿の風の魔力量でねじ伏せてもらう感じかな」


 そう言って、ふと、ネイトはその場にしゃがみ込んで地面に手を当てる。


「……確かに、言われてみればちょっと水の属性値が高いかもな、このあたり。最初に閉じた後、再拡大したのもその辺りが原因か……?」


 水の属性値が周囲とずれて調和が乱れて……とつぶやきだすネイトに、ロクサーネが声をかける。


「ネイト師。それは、私やセイレア殿が風の魔力で風穴を閉じた後、また穴が開く可能性があるということでしょうか」

「あるかもしれません。いやあ、大変希少な現象ですね!」

「目を輝かせている場合じゃないでしょう!」

「では、水の魔力も合わせて補充した方がいいですか?」


 ウィルフォードの問いかけに、ネイトが苦笑する。


「理屈でいえばその可能性もありそうだけど、その割合を見定めるのは難しい。ロクサーネさんは風の魔力を高出力で補充できるけど、水の魔力を混ぜるなら、どんな媒体でどの程度補充すればいいか……。うーん、絶対研究する価値はあるんだけどな、これ」


 観測方法と水の魔力媒体とその保管と供給……火領側の風穴も観察したいな……とぶつぶつつぶやき始めるネイトに、フィルは声をかける。


「あの、水の魔力があったら役に立つんですか?」

「現状でうかつに混ぜるのは危ないかな。調和している状態であることが優先だから」


 そして振り返ってフィルを見る。


「その髪は水混じりっぽいけど、君の魔力量だと一瞬で枯渇するから、危ないこと考えたら駄目だよ」


 ロクサーネの手がフィルの首根っこを捕らえた。何か警戒されているような気がするが、さすがにそこまで向こう見ずではない。そもそも大鷲で飛んでくる間の魔力操作で、フィルは結構魔力を消費していた。


「フィルさんの魔力は水混じりですか?」


 ウィルフォードが、やはりこちらを振り返りもせず問うてくる。


「そうです。自分ではよくわからないし、水が出せるわけじゃないんですが」

「たぶん僕もそうです。そうだったはずです」

「え? 天属性なのに?」


 ネイトがウィルフォードの手元に視線を向け……そして表情を改めた。


「あまり極端な魔力操作をするんじゃない。調和した状態から一部の属性だけを抜き出すのは効率が悪い」

「そうなんですね」


 ウィルフォードが両手を地につける。


「水の魔力は、むしろ流さない方がいいのかな? あくまでここは風の地だから……」


 ぽつりとウィルフォードがつぶやく。


「なぜ、そう思う?」


 再び表情を改めて、ネイトが尋ねる。


「あの風穴に補充すべきは風の魔力なんですよね。でも、周囲の魔力には水が混ざってます。それを全部吸い込んじゃうことで、収まりが悪くなってるというか」

「ふむ。であれば、やっぱりロクサーネさんや到着する領主夫人にお願いすべきか」

「それか、この周囲に混ざってる水の魔力を、風穴とは別のところに吸収ってできませんか。流水藻(りゅうすいも)みたいに、水の魔力を吸収するような手段が何か……」

「興味深い仮説だね。試す価値がありそうだな。流水藻なら観測所に在庫しているし……。そこの君、ちょっと行って持ってきてくれないか」

「私ですか?」


 フィルはぽかんと聞き返した。


「ええと、観測所って勝手に入っていいんですか」

「今は緊急事態だ。おそらくリアン師がこちらに向かっているから、会えれば彼女と一緒に行ってきてくれ」


 ロクサーネがため息をついた。


「申し訳ないけど頼める? それで、観測所に残ってる大人に流水藻とやらのことは頼んで、あなたは観測所にいなさい。ここよりはまだ安全でしょ」

「……でも」

「あなたの気持ちは買うけど、こんなところにまであなたがいるのを見たらセイレア殿が卒倒するわ。観測所で待っていて」

「……ひとまず、行ってきます」


 フィルはウィルフォードの後ろ姿を見つめてから、先ほどの道を引き返した。

 魔力風穴に背を向けると、後ろに引っ張られるような感覚があって進みづらい。やっぱり周囲を魔力ごと引き寄せているのだろうか、と先ほどの暗い穴を思い出してゾッとした。

 折れた木の枝などがこちら側に向いているので、先ほどよりも注意を払いながら進んでいくと、人の声が聞こえた。


「フィル!」

「先生!? セイレア様、セリウス様も」

 踏み分け道をこちらに向かってきているのは、エルンと、動きやすそうな服装に身を包んだセイレア、セリウスだった。それから、金髪の若い女性が一人。

「フィル、あなたこんなところにまで……いえ、言い訳は結構。すぐ建物まで戻りなさい。……ウィルフォード殿はどうしたの」


 一息に言うセイレアに、フィルは苦笑する。一番にフィルを心配してくれるのが、申し訳なくもくすぐったい。


「ウィル様のこと含め、状況だけお伝えしてもよろしいでしょうか」

「お願いします」


 答えたのはエルンだ。


「風穴は拡大している様子ですか」

「どのくらいが基準なのかは分かりませんが、穴の直径は一モールほどに見えました」

「うーん、再拡大を始めた昼の時点からは、直径が倍くらいになってるかもしれません」


 何やら荷物をいっぱい持った女性が言う。この人がリアン師だろうか。


「現場にネイト師とロクサーネ殿、ウィルフォード殿がいるのですか?」

「はい。その……今は、ウィル様が魔力の操作をされてます。ウィル様によると、ネイト師も結構魔力枯渇が近いということで」

「どうしてウィルフォード殿が!? ロクサーネ殿は!?」


 セイレアの焦った声を上げる。


「ウィル様が、魔力操作の感覚を思い出したとおっしゃって……ロクサーネさんは自分がやるっておっしゃったんですが、ネイト師が、風の属性魔力を供給するのは風属性がそろってからの方がいいって」


 風の属性魔力、という言葉に勢いこむセイレアをセリウスが押さえる。


「フィル、ウィルフォード殿の魔力は……いえ、直接見た方が早いですね。あなたが戻ってきたのはなぜです?」

「そうでした。ええと、リアン師でいらっしゃいますか?」


 天氏族の女性に向かって問えば、彼女は瞬きしながらうなずいた。


「ネイト師から言いつかりました。観測所の流水藻をとってくるように、と」

「なぜです?」


 リアンの瞳がおもしろそうに輝く。この人もネイトと同じ系統に見える……と思いながらフィルは記憶を探る。天の氏族たちがよくわからないやりとりを始めた時は、とにかく言っていた通りに伝えるのが早い。


「風穴の周囲の水の魔力属性値?が高いので? えーと、流水藻で、風穴に吸収される周囲の風の魔力の調和が上がるかもとか……すいません、よくわからなくなってきました」

「いえ大丈夫。なるほど……それであなたが流水藻を取りに?」


 フィルがうなずくとエルンが言った。


「リアン師、ここまで来れば風穴の位置はわかります。フィルと一緒に、流水藻を持ってきてもらえますか」

「え、でもここまで来たのに」


 驚いたようにエルンを振り返るリアンから、エルンはさっさと荷物をとりあげた。


「記録紙と、魔力の補充水ですね。お預かりします。フィルをよろしく。ネイト師に何か伝えることなどは?」

「はい! 私が戻るまで風穴を閉じないでって!」


 セイレアとセリウスがギョッとした顔をリアンに向ける。こいつもか、とフィルは思った。エルンが笑みを深くする。


「申し訳ありませんがそれは聞けません。……聞かなかったことにしますので、速やかにフィルと流水藻を持ってきてください」


 リアンが気まずそうにセイレアとセリウスを見た。


「えーとすいません、行ってきます……。ええと、フィルさん?」

「はい」

「あなたも魔力結構減ってる? 水飲む?」

「いただいておきなさい、フィル。大鷲の飛行で消耗したのでしょう」


 遠慮しようとしたところにエルンに先回りされた。水を分けてもらうフィルに、エルンが笑みを向ける。


「あなたには言いたいことが、本当に山ほどありますが……まずは、この場を収めましょう」

「……はい」


 この場を収める、というエルンの言葉は、この上なく頼もしく、フィルには聞こえた。エルンが大丈夫というなら大丈夫だ、きっと。

 それはそれとして怖い。ヒルデガルドに燃やされる可能性の次に怖い。すぐ横にいたはずのリアンがさりげなく一歩引いていた。天氏族のくせに。


「では、お願いします」

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