天の資質
「……それは、本物?」
ウィルフォードの髪に視線を据えながら問うロクサーネに、ウィルフォードはうなずいた。
「二年前の魔力熱の後に変化したようです」
「そんなことって……」
ロクサーネが呆然とつぶやいたとき、風が強く吹いた。ウィルフォードの手にしていたショールが激しくはためく。ロクサーネの表情が、我に返ったように厳しいものへと変わった。
「ウィルフォード。あなたがその見かけ通り天の属性を持つ者だとするなら、なおさら魔力風穴の対処は風属性の者に任せるべきだわ。天の方々も風の魔力の操作はできるけど、属性の強さでいうなら風の民の方が上なの。長丁場で必要とする魔力も多い風穴の対処は、風属性のもっとも強い、領主かその統承が行うべきよ」
ウィルフォードはにこりと笑った。
「大叔母様、僕は風の統承二位でもあるんですよ。風の魔力には幼い頃から親しんでいます」
そう言って、ウィルフォードははためくショールを引き寄せた。
「フィルさん、ルッカのショールって、風の魔力を含んでるんでしたっけ?」
急に話を振られ、フィルはきょとんとしながら答えた。
「そうです。それはセイレア様からお借りしたものですし、最高級品だと思います」
「なるほど」
そうウィルフォードが言った途端、ショールがはたりと動きを止めて落ちてきた。風の吹く中で、そこだけ何の影響もないように、手の中に収まっている。
「……できると思います。風の魔力の操作」
「え?」
ウィルフォードがフィルに笑顔を見せる。
「大鷲の上で、ずっと風から僕を庇ってくれていたでしょう? 魔力の流れに触れて、感覚を思い出しました」
ふと思い出したのは、イルゼの出産に立ち会った時のことだ。イルゼに魔力を流すようにと言われ、手を握った。風の魔力をイルゼに届けるように、周囲に巡らせた。あの時のように、風の魔力がウィルフォードに届いていたのだとしたら。
再び、ショールがふわりと舞い上がる。
それは周囲のめちゃくちゃな風の流れとは違う動きで、ゆっくりと一点に向かって宙を滑っていく。
「魔力風穴は、あちらですね」
歩き出すウィルフォードに、フィルとロクサーネは一瞬顔を見合わせたが、無言で従った。
この先で起きていることをわかった上で、その先へ進む手助けをするような佇まいが、なんとなくエルンに似ていると思った。
◇◇◇
ウィルフォードは迷いなく、木立の中を進んでいく。足元の悪いその踏み分け道を、フィルとロクサーネはどうにか遅れずについていった。まるで先導するようにウィルフォードの先に浮かんでいるショールを見て、フィルはふと思い出した。
「あの、ロクサーネ様。セイレア様と、セリウス様は」
ん?とロクサーネがフィルを見る。
「様はいらない。三十年前に貴族籍は抜けたから。セイレア殿と書記の坊やなら、天のお方に頼んできたけど」
「……まだ来ませんね」
色々と突っ込みたいところがあったが、ひとまず優先順位を考えて、そう言った。
「セイレア殿はねえ……魔力量は少なくないけど、なにせ運動神経がねえ……」
なんだそれ。そんな話は知らない。そりゃ多少ふくよかでいらっしゃるとは思っていたけど、年嵩の貴人の奥方ってそんなもんだし。
「……セリウス様は」
足元の悪さに気をつけながら、フィルは尋ねる。そういえばウィルフォードは特に気にする様子もなく進んでいくなと思った。ロクサーネがため息をつく。
「たまにいるのよね。魔力量も運動神経も足りてるはずなのに、大鷲と相性の悪い子。まあ、天のお方に言い含められれば、大鷲もここまで運んでくるくらいはしてくれるでしょ」
行手をさえぎる枝を払いのけながら、ふと気づく。
「運んでくるって、大鷲がセリウス様を?」
「他に何がいるの」
「……いえ」
そういえば、蒼流も鷲台の大鷲たちも、ウィルフォードの言うことはよく聞いていた。初めて鷲に乗るというウィルフォードの、まるで意を汲むように動いてくれた。
子どもであるウィルフォードの魔力量がそこまで多いとは思えないのだが、天氏族というのは大鷲に親しむ術でも持っているのだろうか。
「……ええと、あなた」
だんだん強まってくる風に顔をしかめながら、ロクサーネがフィルに話しかける。
「フィルと申します」
「フィル、あなた平民だと聞いたけど」
「……ウィル様の変化を誤魔化すための、影武者をしていました」
思い切ってそう告げた。貴族籍を抜けているということはこの人も平民扱いなのだろうし、多分この騒ぎが終われば影武者云々はうやむやになるだろう。……まあ、生き残れれば、ではあるが。
「今、ウィル様の婚約者でいらっしゃる火領の姫が、領主館に逗留されてますので」
「あら」
ロクサーネが瞬きをした。
「そうだったの? 貴族のやりとりには疎くて。どんなお姫様?」
「どんな、といいますか……」
きれいで、かっこよくて。
火領で狩師をしていて。
風領のことを、ルッカも泥ガニもスズナリも、興味を持って話を聞いてくれて。
「それで、ウィル様のことが大好きです」
ロクサーネがふっと笑うその顔は、なんとなくセイレアに似ていた。
「それは、よかったわ」
「……あの、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なに?」
この際であると思い切って尋ねた。
「どうして、駆け落ちなんてされたんですか?」
ロクサーネの笑みが深くなる。
「知っていたの?」
「ファビアン様とウィル様の大叔母様ってことは、ヴァレリス様の叔母様ですよね。領主の直系っておっしゃってたし。……三十年前に、火領との縁談を断った方なのかなって」
三十年前に駆け落ちしたという姫君は、粗暴と評判で文化の違う火領へ嫁ぐのを嫌がったのかと思っていた。でも、髪を短く切って大鷲を駆り、貴族籍を外れてなお領主の直系の義務を果たそうとするこの人が、そんなに火領を怖がったり、無責任なことをするようには見えない。
「まあ、なんていうか、縁談の相手と合わなかったのよね」
「……」
ダメじゃん、とフィルは思った。いや、合わなかったこと自体は仕方ない。人間同士、相性はある。けれど。
「普通に断るんじゃダメだったんですか」
「……私は断りたかったんだけど、なんだか相手の人にうまく話が通じなかったのよね。周りもすごく、お似合いだ、めでたいって雰囲気になっていて。……まあ確かに、私にももっとやりようがあったと思うのだけど」
若かったのよね、とロクサーネがため息をつきながら、行手に倒れた木を乗り越える。
「……ご主人のこと、お好きだったんですね」
「いや、そんなに」
「そんなに!?」
フィルは疲れも忘れて大声を上げた。先をいくウィルフォードが振り向くのに、なんでもないですと手振りで示して、フィルはロクサーネに問いただした。
「だって、駆け落ちされたんですよね!?」
「勝手についてきたのよ。自分は護衛だからって」
「……お子がいらしたんですよね?」
「うん、まあ、こいつどこまで本気なんだろうって思ったんだけどねえ。主人のわがままを聞くにも限度ってもんがあると思うんだけど」
「……」
聞かなきゃよかったかもしれない。少なくともヒルデガルドには言えない。アウローラには告げ口したい。
「そのくせ最後は人を置いてさっさと天に上がっちゃうんだから」
ハッと気がついた。そうだった。この人は、駆け落ちまでした……いや、真実がちょっと怪しくなってきたけど、とにかくその後三十年連れ添った夫を亡くされていたんだった。
「ついてくるっていうなら最後まで付き合ってもらわないと」
「……」
「自分がいなくても元気で長生きしてくださいとか、無責任にも程があるわ」
情緒、とフィルは思った。ついでに言うならこの人にだけは無責任とか言われたくないんじゃなかろうか。
「そこは、旦那さんの言うこと聞いてあげてくださいよ」
ふん、とロクサーネは鼻を鳴らした。アウローラよりよっぽど年季の入った仕草だ。この人だってお姫様だったはずなんだけど。
「おとなしく夫の言うことを聞いたことなんて、この三十年……いえ、結婚する前にだってなかったわ」
護衛だったという旦那さんの苦労が偲ばれる……と思ったとき、一際強く風が吹き、折れた枝が行く先に向かって飛んでいった。
「ウィル様!」
振り向いたウィルフォードの脇を、枝が通り過ぎていく。ウィルフォードは恐れる様子もなく、その先を見据えると、再び歩き出す。
「……まあそういうわけで、天属性だろうが統承二位だろうが、危ないと思ったら後ろにぶん投げるから、あなたはあの子を連れて避難しなさい」
「……ロクサーネさんは?」
ふと、ロクサーネが表情を和らげる。
「火領の方には、申し訳ないことをしたと思っているのよ。せめて当代のお姫様には、婚約者を返してあげて」
フィルはうなずいた。
「ええまあ、私も燃やされたくはないので」
ロクサーネが瞬きの後、くすりと笑った。
「がんばってちょうだい。……よろしくね」




