風切峠へ
大鷲は賢い生き物だ。風の魔力を纏って飛ぶ、風領の象徴。
その背の上で、フィルとウィルフォードは互いを呆然と見つめていた。
「……だって、大鷲に乗るのを手伝って欲しいって言ったじゃないですか」
「鷲の二人乗りなんて、子どもだけです」
「じゃあ一人で行くつもりだったんですか!? 初めて乗るのに!?」
「フィルさんだって、二人乗りしかしたことないんですよね!?」
「でも、筋がいいって言われました!」
褒めたのが鷲が苦手なセリウスというのは黙っておく。
と、鷲がぐんと高度を下げた。慌ててフィルは手綱を握る。
「蒼流、このまま飛んで!」
ウィルフォードの指示に従うように、大鷲が頭をもたげる。
「でもフィルさん、行く先は魔力風穴ですよ!? あなたまで危険な目に遭います!」
「えーとですね、私だけ残って手引きしたことがバレたら、流石にただじゃ済まないと思うんですが」
ウィルフォードが押し黙る。手伝ってくれ、と言ったのは間違いなく彼だ。
「ウィル様が無事に帰ってきて、私のことをとりなしてくださらないと、確実に身の破滅……というかたぶん真っ先にヒルデに燃やされるんですが」
「……」
「なので、共犯者の私のために、ウィル様は無事に戻ってください」
「……でも」
と、大鷲がぐっと高度を下げて、館の周りを旋回する。
「ちょ、なに!?」
フィルは空気操作に集中する。風読みの制止を振り切って出てきたのだ。賢い大鷲が、二つの荷物を積んだ上で、飛べる風を見定めてくれたと、そう信じているのだが。
「……ウィル様、絶対に手を離さないでくださいね。万一落ちたら、全力で風を地面に向かって吹かせて下さい」
「それでなんとかなるんですか?」
「運が良ければ、とグラスリーの風読みが言ってました」
「運……」とウィルフォードが呆気に取られたようにつぶやき……それから唐突に吹き出した。
「ウィル様?」
「いえ、だって僕、魔力風穴に行こうとして大鷲に乗ったのに。……風領のためなら、どうなってもいいって思ったはずなのに。ここで大鷲から落ちるのを怖がるなんて、おかしくて」
「いやおかしくないですよ。着く前に落ちてバラバラになるとか嫌です」
怒ったヒルデに燃やされるのとどっちがマシだろうと考えたとき、視界の端、はるか下方に、宝石のような赤が映った。
「――ウィル!?」
気がつけば、大鷲が館の周囲を回って客用館の近くに出ていたらしい。
窓から身を乗り出さんばかりにこちらを見上げるヒルデガルドと、確かに目があったと感じた。紅い髪が大鷲の起こす風に煽られ、巻き上がって乱れるのまで、はっきり見えたと思った。
けれどそれは一瞬のことで、荒れ狂う風を捕まえた大鷲は、行く先をやっと見据えたかのように高度を上げる。あっという間に領主館ごと、景色が後ろに飛んでいくのをみて、フィルは視線を前に戻した。
「……バレちゃった」
フィルはボソリとつぶやいた。
「火領の人たちには詳細バレずに済むかなと思ってたんですけど、めっちゃ見られましたね」
「そうですね。……ヒルデの声が聞けてよかった」
最後に、とでもいうような雰囲気でつぶやくウィルフォードに、フィルは憤然と言い返す。
「なにしみじみおっしゃってるんですか。これで余計に私一人、のこのこ帰るわけに行かなくなりましたからね。責任とってウィル様はちゃんとヒルデのとこに帰ってください。それで、フィルは僕の命令を聞いただけなので怒るなら僕にって、とりなしてください。ローラはそうしてました」
「……僕はフィルさんを連れて行くつもりはなかったんですけど」
「言っておきますが、ヒルデが私に対して怒ったときは、ヴァレリス様が間に入って守るって契約書がありますからね? 領主一族として、ヴァレリス様の代わりにヒルデの怒りから守ってくれなきゃ契約違反ですよ」
ウィルフォードが笑った。
「たぶん、父上にも想定外の事態でしょうね」
◇◇◇
蒼流は、驚くくらいウィルフォードの指示をよく聞いた。まるでエルンの乗る大鷲のように、安定して飛んでいく。
おそらく、風の魔力の乱れている方向へ向けて。水領との境は普段から風が吹き荒れているが、それでも近づくにつれて、フィルにも異常が感じ取れるようになった。
「観測所ってどこでしょう」
ウィルフォードのつぶやきに、フィルは苦笑する。
「風切峠っていってましたからね。今、下に見えてる街道が水領に向かう道ですから、そこから少し中央の方に向いてください。あそこの崖、先が切り立ってる感じになってる場所がわかります?あれです」
地形を説明すれば、ウィルフォードが蒼流に指示を出した。
「連れてきて、よかったでしょう?」
そうですね、とウィルフォードは笑った。
「あそこが観測所かな。建物がある」
「一番近い人家って言ってましたもんね。……裏がちょっと平らになってます。鷲が降りられそうじゃないですか?」
「やってみます」
おそらく観測所用の鷲台なのだろうそこに、ふわりと蒼流が着地した。フィルは鞍から滑り降り、続いてウィルフォードに手を貸した。
ウィルフォードの顔色が悪い。
先ほどよりも近づいたせいか、フィルにも魔力の乱れがわかる。……いや、今まで乱れていた魔力が、どこか一点に向けて集まって行くような。
風がどこかに向けて吹いて行くのは当たり前のことなのに、その流れはなぜか、肌をざわめかせる。そちらへ行きたくないと、本能的に思った。
「……行きましょう」
「フィルさんは、ここで蒼流と待っていたり……」
「しないです」
往生際悪く一人で行こうとするウィルフォードにぴったりついて、観測所を目指す。
岩陰をぐるっと回れば、石造りの建物と、その入り口の前に待ち構えている人影があった。
「来たわね、向こう見ずども」
「なんで?」
フィルが間抜けな声を上げると、短い銀の髪をかきあげ、ロクサーネがぎろりと視線を向けてくる。
「初めて鷲に乗るようなひよっこの、しかも二人乗りに遅れをとるわけないでしょう」
そして軽くため息をついた。
「……まさか本当に、ここにくるとは思ってなかったけど」
「え?」
「統承の責任に錯乱したか、とにかくどこかに逃げ出したのかと思ったのよ。一緒にいたのは平民だっていうし」
「……」
まあ、はたから見たらやってることも組み合わせも意味不明な行動である。
「でも、セイレア殿もセリウスも、あんたたちは責任を放り出したりしない、やらかすなら風穴に突撃する方だって言うから」
セイレア様、とウィルフォードが感極まったようにつぶやく。
ウィルフォードの感慨はわからないではないが、フィルとしてはもうちょっと冷静になった方がいいと思った。たぶん二人の言い方は、自分とウィルフォードが何かやらかすという方向に比重が置かれていると思う。
ふと、ロクサーネがウィルフォードに視線を据える。
「……あなたが、ウィルフォード?」
ハッとウィルフォードが顔を上げる。
「ロクサーネ大叔母様。お初にお目にかかります。風の領主ヴァレリスの次子……統承二位の、ウィルフォードです」
ふう、とロクサーネがため息をつく。
「まったく兄弟揃って……。ここで統承を名乗る理由が、わかっていて?」
「はい。領主不在の折の指定魔力災害の発生につき、本来なら統承一位の兄が参るところですが、今現在、風領には次代の統承が二人しかおりません。兄もまだ未婚で子がおりませんので、まずは二位の僕から役目に就かせて頂きます」
「……十二歳のすることじゃないわ。年齢も、資質としても。それをいうなら、成人で先々代の統承持ちである私が先よ」
「大叔母様には、ぜひ、介添えをお願いしたく思います。なにぶん、初めてのことなので」
「初めても何も、魔力風穴なんてそうそう発生するものじゃ……」
ロクサーネの言葉が途中で途切れた。ウィルフォードが、髪に巻いていたショールを外したからだ。
日差しを受けて、金の髪が輝く。
「資質は、これで補えるでしょうか」
ウィルフォードが橙色の瞳をロクサーネに向けた。




