抜け駆け
やたらと鳴る心臓を、努めて意識せぬよう鷲台に紛れ込んだ。
領主館の風読みのレグルと助手たちが、忙しく鷲に鞍を載せたりトビヘビの干物を与えたりしている。おそらくセイレアたちが飛ぶための準備だ。それに気づくと、先ほどとは違う嫌な鼓動が脈打つ。
ウィルフォードは迷いなく進んでいく。そしてそれに気づいた大鷲たちは、騒ぐでもなくウィルフォードを見つめていた。
陽光の下では隠しようもなくなってしまう金の髪は、先ほどまでフィルが巻いていた、セイレアのショールを巻いて隠している。けれど、大鷲たちの視線はショールの下のウィルフォードの髪に向かっているように、フィルには思えた。
「ウィルフォード様?」
大鷲たちの様子からこちらに気づいたのか、レグルの驚いたような声がする。ウィルフォードは落ち着き払ってそちらを見た。
「黙って入ってごめんなさい。……でも、少しだけここにいていいですか」
レグルが押し黙る。今準備している大鷲が──セイレアたちが、なんのために飛ぶのか知っているのだろう。
「鷲を、驚かさないでくださいね」
レグルはそれだけ言うと、仕事に戻っていった。
大鷲の全頭に鞍が載ってはいるが、おそらくセイレアとセリウスが乗るであろう大きめの鷲は、既に前方に用意されてうずくまっていた。もう一頭、ロクサーネが乗ってきた大鷲は一番前で、トビヘビを啄んでいる。
「トビヘビは魔力を持つから、大鷲の好物なんですって」
ウィルフォードがぽつりと言った。風切峠から飛んできて、またロクサーネを乗せて戻るのだ。魔力の補充も兼ねているのだろう。
「蒼流」
ウィルフォードが鷲の名を呼んだ。一頭の鷲が、ウィルフォードを見ている。
「……二年前、魔力熱にかかる前に、父上が鷲に乗せてくれるって言ってたんです。嬉しくて、だから熱が出たなんて言ったら、鷲はまた今度って言われると思って、具合が悪いのを隠しました。……まさかこんなことになるなんて、思わなかった」
「それは……」
ウィルフォードのせいではないと言ってやりたかった。ウィルフォードの不調を見逃したレイネシアやヴァレリスのせいでないのと同様に。
「二年前は、もっと小さかった気がする。大きくなった?」
ウィルフォードがそう言って手を出すと、蒼流は顎をウィルフォードの手の上に乗せた。ウィルフォードは嘴を軽く掻いてやっている。
「……」
なんかすごく慣れてるな、とフィルは思った。フィルが近寄っても、大鷲たちは金色の目をギロリと動かすだけなのに。セリウスの気持ちがなんだか分かりそうな気がした。
レグルの助手をしていた若者が、フィルにそっと干物を分けてくれた。トビヘビ好きとして微妙な気分になりながら半分をウィルフォードに渡す。蒼流が嘴をぱかっと開けて催促する。
「セリウス様が、大鷲に賄賂を渡すって言ってましたが」
干物を蒼流の嘴に入れながら、ウィルフォードがくすりと笑う。
「これも賄賂になるのかな?」
ハッと気付くと、周囲の鷲たちがフィルを見ていた。フィルの持っている残りのトビヘビが気になるのだろうか。迷ったが、そっと帯に隠す。
……ウィルフォードが、蒼流の鞍と手綱を確認している。
チラリと前方に視線をやった。他の大鷲に比べて小柄な蒼流なら、隙間を抜けて岩場に出られるだろうか。様子をうかがっていると、レグルが先ほどの若者になにか言いつけた。若者が岩場の外に足早に出ていき、鷲台に大人がレグル一人になる。
ウィルフォードにうなずいてみせると、彼はゆっくりと手綱を引いた。他の大鷲に、岩の影に紛れるように位置を変え、乗り手を待つ三頭と反対側の岩棚の降り口に向かってゆっくりと進む。
「蒼流。僕を乗せて」
岩の転がる足場で、ウィルフォードが静かに言った。その意を汲んだように、大鷲がその場にうずくまる。ウィルフォードが鞍に跨るのを、フィルは手助けした。
「蒼流? ……何してるんです!」
レグルが大声を上げる。気づかれた、とフィルはウィルフォードに指示を出す。
「鞍にしっかり捕まって、身を伏せてください」
レグルが鋭く笛を吹いた。おそらく制止の合図なのだろうその音に、大鷲がぶるりと身を震わせる。
「蒼流、行って」
大鷲の首元でウィルフォードが指示を出す。大鷲は岩棚の端までのそりと歩き、身を伏せた。
レグルが血相を変えて走ってくる。構わずフィルは岩を蹴るとウィルフォードの後ろに跨った。
「フィルさん?」
ウィルフォードが困惑の視線で振り返る。
「前を向いて伏せててください。……蒼流、お願い」
フィルは目前にひらけた視界の中に、スズナリを探す。
一瞬、吹き荒れていた風が止んだ。
──スズナリの音は、どこから聞こえる?
再び風の魔力が吹き荒れ始めると、目指すべきスズナリの音があちらこちらから聞こえてくる。
風が乱れている、とエルンがつぶやいたのを思い出した。
では、一番荒れ狂っているのはどこだ。風の乱れは、どちらの方角から来ている?
フィルが耳を澄ませた時、ウィルが何かを見つけたように頭を動かした。その方向を狙い定める。
「そこ!」
フィルの声に答えるように、大鷲が岩棚を飛び降りた。
内臓の浮く浮遊感。遠慮をしている場合ではないと、フィルはウィルフォードの後ろから手綱ごと身を伏せた。空気の抵抗がすごい。
あの時は、どうやったのだっけ。
どこかに風を吹かせるのではなく、体全体、ウィルフォードの周囲ごと、空気が流れ去っていかないように風を留める。
完全に止めるのは大変だから、ある程度は流れに沿って受け流す。前からぶつかってくる空気の勢いを、体を撫でるくらいにまで弱める。
気づけば鷲は水平飛行に移っていた。ほっと息をついた時、体の下でウィルフォードが叫んだ。
「なんでフィルさんが来るんですか!?」
一瞬遅れてその意味に気づいた。仰天してフィルは叫ぶ。
「置いていくつもりだったんですか!?」




