統承の真実
エルンの声は静かなものだったのに、頭を殴られたような衝撃があった。
「そんなのは、だめです」
言葉の内容を理解するより先に、震えた声が口からこぼれ出る。
「だって、そんなの、死んじゃうじゃないですか!」
少女の口から飛び出した忌み言葉に、場の視線が一斉にこちらを向いた。おそらく非難の色も混じったその中を、アウローラが焦りの色を浮かべて近寄ってくる。
「フィル、どうしたの。落ち着きなさい」
「落ち着いてなんて……だって、セイレア様が!」
取り乱すフィルに変わって、エルンが室内に向かって「失礼しました」と詫びる。
「一旦出ますよ、フィル」
エルンに促され、フィルは呆然と廊下に出る。アウローラは迷ったような顔をしたが、セイレアの方が気にかかるのだろう、フィルを気遣わしげに見たあと部屋の中に戻った。
「……なんとかならないんですか」
二人きりの廊下で、フィルはエルンに訴える。エルンは天氏族だ。風の民より、よっぽど強い力を持つという、天の属性の持ち主なら、何かできることが……。
「魔力風穴への対処という意味でしたら、『魔力をもってその地点の魔力の差を均す』以上に効果的な方法は確立されていません。そしてそれをなすのは、セイレア殿も言われていましたが、領主の役目となります」
「……なんで?」
「四領の領主は、その領の中で最も濃い血筋を……属性を継いでいるからです。各領で起きる魔力災害は、当然その地の属性の魔力が大きく関わっている。風領の魔力風穴なら、風の魔力でその場の魔力勾配を均すのが最も効果的です。また、魔力量の微細な調整が求められるので、数人の魔力を合わせるよりも一人でやる方が失敗が少ない。……これは、大災害の頃から、人が多くの犠牲を払って得た記憶であり、根拠のある対処法です」
フィルは頭を振った。エルンの説明は理屈として理解はできても、どうしても飲み込めない。
「風の、領主様は」
「大災害以降、生き残った人々は自然と自らの持つ属性の地に集まりました。そして、また魔力災害が起きた時にはその対処を引き受ける覚悟を持った者が、各地で領主となったのです。天神殿との、誓約の元で」
天神殿との誓約。それは、この国で決して覆されることのない、最上級の契約を意味する。フィルはごくりと唾を飲んだ。
「……もし、ここにヴァレリス様がいらしたら」
「ヴァレリス殿が行かれたでしょうね。……ただフィル、先ほども言いましたが、なぜ領主がその役目を負うかというと、属性が高く魔力量の多い彼らの成功率が、最も高いからです。無事に魔力が均され、風穴が閉じることだってあり得るのですよ」
「……セイレア様にも、できますか?」
すっとエルンが表情を消した。
「セイレア殿は、領主一族と深く縁を結んでいる風領貴族の出身です。確か出生順も第二子で、両親から風属性の素質は多く受け継いでいるでしょう」
天氏族は、偽りを口にしない。
今の言葉が、エルンの言える精一杯なのだと、フィルは悟った。
「ロクサーネ様とセリウス様も行かれるというのは……」
「……ロクサーネ殿はヴァレリス殿の叔母、すなわち先代領主の妹であり領主の直系です。セイレア殿で事態がおさまらない場合の控えという意味合いでしょう。セリウス殿は、一番危険な場所での介添と伝令役でしょうね」
一瞬ためらった末に、口に出した。
「天の氏族は、助けてくれないんですか?」
エルンは一度口を引き結び、それからゆっくりと言った。
「これは、天と領主の誓約であり、領主の領分、役目です。天氏族の私が口を挟むことはできません。……もし、天の氏族が全てを負うなら、四領は存続する必要があるでしょうか?」
フィルは目を見開いた。
天の氏族を恐ろしいといった、セリウスの言葉がゆっくりと染み込んでくる。
「……四領が、私たちが存在しているのは、必要だからですか?」
「そうですね。トゥーレの調和のためには、天氏族と天神殿だけでなく、多くの生命が、循環する魔力があった方が、世界全体として安定します」
フィルはぎゅっと拳を握った。
「……必要がなくても、私たちは存在しています」
脳裏に浮かんだのは、初めて大鷲に乗った時に見た風だ。その風が巡るフィルの故郷。人々が暮らす、風領の空と大地。
エルンが微笑んだ。
「あなたのいうとおりです。必要だから、ではない。そこに存在する命も自然も、存在していることそのものが尊いと私は思います」
そして、部屋の扉に視線を向けた。
「ですので、私には止めることはできない。――天は、見守ることが役目です」
扉が開き、セイレアとロクサーネ、そしてセリウスが出てきた。
セイレアはエルンを見とめると、深々と礼をした。
「見届け役をお願いできますでしょうか、エルン師」
「承知いたしました」
セイレアは姿勢を正すと、ふとフィルを見て微笑んだ。
「これは私の役目なので、悲しむことはないですが。でも、あなたが惜しんでくれたことが、私には嬉しかったですよ」
「……セイレア様が私にそんなことを言ったら、ローラが怒ります。やきもち焼きなんですから、あの子」
ふふ、とセイレアが笑った。
「あの子は私の頼もしい後継ぎですからね」
「フィルさん」
続いてセリウスがフィルに声をかけてきた。
「あなたの後見の件は、シュナが引き受けます。ぜひとも上級学校に入って、できれば卒業後はアウローラ様たちをささえてくれたら嬉しいです」
「……それはセリウス様がやってください」
「領主様方を支える手が多いに越したことはないですからね」
しれっとセリウスが言ったその時、廊下に足音が響いた。
駆け込んできたのは、ウィルフォードだった。
「セイレア様、セリウス……! 魔力風穴の場に、行かれるって……」
真っ青なその顔に、まだ十二の彼も、状況を理解しているということを悟る。それも統承を持つ者に課される義務なのだろうか。
セイレアが微笑んでウィルフォードに向かい合った。
「見送りありがとう。あなたのことも見届けたかったのですけど」
ウィルフォードの顔が泣きそうに歪む。それを堪えるようにうつむいて、言った。
「僕では、役に立ちませんか?」
セイレアが瞬きをした。
「僕は、統承二位なのに、今まで風領の何の役にも立ってない! ……みんなに心配かけるばかりで、これからだって」
「それは、あなたはまだ子どもですもの」
セイレアがおかしそうに笑う。
「あなたの役目は、ただ、成長することです。あなたに与えられた生を生きて、その上で周囲を助けることができるようになれれば儲け物、くらいに考えておきなさい」
そう言って、彼女はそっとウィルフォードを抱きしめる。
「ヒルデガルド殿とのこと、応援していますからね。……レイネシア殿を、大切に。あと、これからもファビアンと仲良くしてくれると嬉しいわ」
セイレアは身を起こすと、ウィルフォードに向けて微笑んだ。
「あなたが進む先に、いつも良き風が吹きますように」
ロクサーネが静かに、セイレア殿、と促す。
「では、行ってきますね」
ちょっとそこまで、のような調子でセイレアは言った。エルンが静かに三人の後に続く。立ち尽くすウィルフォードに、フィルは寄り添った。
「……僕が、大人だったら」
ぽつ、と落ちたつぶやき。
もし、ウィルフォードが大人で、領主の風の魔力を継いでいたなら、セイレアの役目はひょっとしたらウィルフォードのものだったのだろうか。
――統承は絶対。
ここ数日で何度も繰り返し聞いた言葉の、もう一つの意味にフィルは気づく。
領主の「替え」。
いざという時、混乱しないための「順番」。
ぎゅっと唇を噛み締めた。
「……ウィル様、鷲台へ行きましょう」
大鷲をすべて準備するように、とセリウスが指示を出していた。多分、皆そこにくるはずだ。
ウィルフォードもまた、同じように唇を噛み締めている。足元を睨みつけながら、彼は言った。
「……フィルさん。お願いが、あります」




