急転
重臣たちを集めて会議した後、ヴァレリスは数人の供を連れ、トゥーレ神殿に向かったという。
フィルはヴァレリスに頼まれた通り、エルンにしばらく領主館に留まって欲しいと伝えに行った。
鷲台で風読みと何やら話していたエルンに声をかける、その一瞬は緊張したが、振り返った彼はいつも通りの「先生」だった。
「ではフィル、次に風領の植生の分布についてですが――」
そして雲雀館で昼食をとった後は、エルンとの一対一の授業が始まっていた。
なぜ。
いや、大変ありがたい。わかっているのだが……。
「わかります、フィル。昼食の後は眠いですよね。ですが、この辺りの植物は魔力環境の指標になります。学問としても大変重要ですし、実践的にも役立ちますので、入試対策としても行商の上でもぜひ覚えてください」
「……なるほど」
授業のありがたみも内容の重要性も分かってはいるのだが、どうにも気が乗らない。……気にかかることがあるせいだ。
「先生、ここから天神殿ってどのくらいかかるんでしょう」
授業への集中を諦めたフィルに、エルンが苦笑した。
「神殿都市の門まではそれほどかかりませんが……通行の許可取りからとなると、どうでしょうね」
「領主様でもですか?」
「……理由如何によります。そして今回の件は、緊急の取次を頼むために門番に理由を話すというわけにもいかないでしょうし。特段の理由がなければ、通行は申請順になります。風領にヒルデガルド殿たちが滞在している状態で、領主殿もそれほど時間はかけるつもりはないと思いますが」
神殿都市に入るにも手続きが必要なのか、と思ってふと気づく。
「トゥーレって、天属性以外の人間は長居できないって教わりましたが」
「神殿都市は、全ての属性魔力が集まる土地ですからね。とはいっても成人の、それも領主やその側近の魔力量が多い方々であれば、数日で影響が出るようなことはないですよ」
ふと気になって、口を開く。
「……仮に、なんですが。天属性の方が、四領それぞれの属性の人と結婚を望んだら、どうなるんですか?」
「色々です。天氏族の役割には神殿で務めるものと、各領に赴任して行うものがあります。四領の方と天氏族が出会うのは、四領に赴任中ということがほとんどでしょう。赴任している領の方と結婚する場合は、そのままそこで勤めを続けるということが多いようです」
「えーと、たとえばエルン先生が風領で風属性の恋人を見つけて結婚したら、神殿学校の先生を続けながら風領で暮らすってことですか」
「そう希望する方が多いでしょうね。まあ勤務内容自体は、数年で変更を命じられると思いますが」
フィルは首を傾げた。
「なんでですか?」
「一人の天氏族が一つの場所にずっと留まると、その天氏族に対する人望が集まりすぎるから、と言われています」
「……ダメなんですか? 先生が長くいてくださったら嬉しいですけど」
エルンが笑う。
「ありがとうございます。……天氏族といえども、一人の人間ですからね。長く同じところに留まると、周囲の方に対する情も湧きますし、やり方や考え方が硬直しやすくなります。しばらく天神殿の仕事に戻ったり、他の領に異動したりもしますが……四領の方と結婚したのであれば、その領の中での異動になると思いますよ」
「でも、メリアばあちゃん……いえ、メリア師は、私が子どもの頃からずっと今の神殿にいますよね?」
「そうですね。あの方は天の神官の中でも上位の方です。風領に赴任した天氏族たちの統括も務めていらっしゃいますから、比較的長く風領でお勤めされていると思います。もちろん定期的に中央神殿に戻り、面談や報告などはされていますが」
フィルはぽかんと口を開けた。
「メリアばあちゃんって、そんな偉い人なんですか?」
「偉い……というか、経験を積まれ、それを活かす立場にいるといいますか」
フィルにとって、メリアばあちゃんは地域の相談役であり、知恵袋であり、ついでにいうなら反省室の神官様だ。
友達と喧嘩をしたり、諍いが起きかけたりすると、関係者全員が調和を乱したことを実感し、反省するまでトゥーレの成り立ちから大災害の経験とその戒めを滔々と聞かされると恐れられている。
エルンが苦笑した。
「そもそも、天の神官の中にも、大災害を語ることを許されている者は多くないのですよ。大災害は禁忌であり、決して再来を許してはなりませんが、それを用いて人々を脅し、煽動するのもまた禁忌です。少なくとも、メリア師の反省室……失礼、メリア師の教えの中で、子どもたちが大災害そのものに恐怖を煽られるような物言いはされませんでしょう?」
「どっちかというと話の長さを恐れています」
エルン先生もメリアばあちゃんの部屋を反省室って思ってたんだ……とフィルは思った。
そのとき、遠くでカァーンと鐘の鳴るような音が聞こえた。
すっとエルンが目を細め、窓際に向かう。
「先生?」
「静かに」
しばらくして再び鐘の音がする。今度は先ほどよりも大きく聞こえた。
いや、先ほどよりも近い位置の鐘が鳴らされているのか。
「鷲台に行きます」
唐突にエルンがそう言った。鷲台、の言葉に気付く。今のは、緊急事態で鷲を飛ばすときに鳴らす音だ。
「領主様たちでしょうか」
「いえ、天神殿の周囲には鷲台はありません。急な知らせがあったとしても、ヴァレリス殿が馬を走らせる方が早いでしょう」
それに、と一歩雲雀館を出たエルンが首を巡らせる。
「風が、乱れています」
フィルは目を見開いた。エルンの言葉に、じわりと不安が広がっていく。
「おそらく鷲が飛んでくるでしょう。私は鷲台に行きますが、フィルは部屋で待っていますか?」
「……いえ、一緒に行かせてください」
「おそらく風領の皆さんも集まるでしょう。念のため、髪を隠してから来なさい」
指摘にフィルは慌てて取って返すと、髪が目立たないように支度をして、先を行くエルンを追いかけた。
◇◇◇
鷲台に着くと、セリウスとファビアン、そして他にもヴァレリスの側近たちがいた。
「あなた、何をしていますの」
フィルの腕をつかんで小声で聞いてくるのは、セイレアと共に鷲台に登ってきたアウローラだ。
「エルン先生が鐘の音を聞いて、鷲が飛んでくるって。――それから、風が乱れているって」
後ろのセイレアが目を見開く。
「エルン師、それは――」
どういうことか、と尋ねようとした声は、周囲が急に騒がしくなったことで立ち消えた。風読みが、降り場で腕を大きく回している。その視線の先、空にあった豆粒のような茶色い点が、ぐんぐん大きくなりながら、こちらを一直線に目掛けてくる。
――速い。
今までに三度、フィルが乗ったときは散歩だったとでもいうような速さで、その鷲は風読みの誘導先に、文字通り飛び込んできた。
「領主様は?」
その声にフィルは目を見開いた。ややしわがれてはいたものの、女性の声だったからだ。
ものすごい速さで大鷲を着地させた女性は、領主の居所を尋ねながら頭に巻いていた布を外す。その下から現れたのは、多少艶を失ってはいるが、混じり気のない純銀の髪だった。短く切られたその髪を、彼女は無造作にかきあげる。
「ロクサーネ様!?」
セイレアが悲鳴のような声をあげて飛び出した。セイレアがそんな声をあげたことに、フィルはまず驚く。
「セイレア殿。領主様は」
「ただいま緊急の事態が起きて、天神殿に出向いております。……ロクサーネ様、あなたが飛んでいらしたということは」
ヴァレリスの不在を聞き、ロクサーネが「間の悪いこと」とつぶやいて天を仰ぐ。しかしすぐに、気を取り直したようにセイレアに向かって告げた。
「鐘を鳴らしてください。水領との境近く――風切峠の付近に、魔力風穴が開きました」




