天の見解
幸いなことに、その機会はすぐにやってきた。
「ひとまずお伝えしておくべきかと思いまして」
翌日にやってきたエルンは、フィルにカルデン村の動向を伝えてくれた。
イルゼの産んだ赤ん坊がハルトと名付けられたこと。
髪も瞳も赤っぽい印象はあるが、父であるソールと同じくらいの色味であり、本質的には風属性と思われること。
イルゼの経過は良好であるが、やはりドーラの指示で、ハルトともども五日ほど神殿に滞在して経過を見ること。
「カイルも学校に戻りました。だいぶ後ろ髪を引かれている様子でしたが」
「ハルト、かわいかったですからね」
そう言って、ふと気づく。上級学校で、魔力や属性についても詳しく教わるのだとすれば、カイルもまたフィルのように、ハルトの属性やイルゼの体調を心配しているのかもしれない。
「それで、フィルは何か私に尋ねたいことがあるのですか?」
エルンの問いに、フィルはうなずく。今日の雲雀館にはフィルが一人だ。エルンが来ているのを、診察のためと火領側には誤魔化している。もちろんヒルデガルドには、フィルの学校の先生である天氏族が様子を見にくるのだとこっそり伝えてあるのだが。
最初はヒルデガルドも同席したいと希望していたが、相談の上、まずはフィル一人でエルンに質問をすることになった。
――この間は、私の質問にもいろいろ答えていただいたのですけれど、本来のあの方の役目は領の平民に対する教師であって、貴族が必要とする知識を教えることではないと思うのです。
アウローラの見解に、フィルは首を傾げた。
――でも先生は、いろんなこと知ってると思いますけど。
――もちろんあの方は……領の神殿学校に赴任するような天氏族の方は、広く知識を修めていらっしゃるでしょう。ですが、立場によって必要とする知識は変わります。教えるべき内容も。エルン師は、おそらく貴族の内情に関わってくる情報を、開示してはくださらないと思うのです。
そんなものか、とうなずくフィルに、ヒルデガルドも言った。
――初対面の相手がいろいろ突っ込んだ質問をするのも警戒されそうだものね。確認して欲しいことについては今、擦り合わせましょう。質問は、フィルにお願いするわ。
そのような相談のもと、フィルはエルンへの質問役を任されたのである。
「えーっとですね、属性についての質問なんですが」
「ふむ」
「……後天的に、属性が変わるということってあるのでしょうか」
エルンが一つ瞬きをした。
「……例えば、ハルトくんには、生まれた時に火属性の兆候がありました。イルゼさんの出産の経緯もそうです。けれど、このような場合でも長じてみたら両親と同じ風属性、ということは多いです。むしろ、血筋に火属性がいたとはいえ、いきなり属性違いが生まれることの方が稀ではあります」
「両親の属性が違う場合などでは?」
「これはあくまで傾向の話ではあるのですが、表出するのはどちらか一つの属性、ということが多いですね。フィルもご家族も水混じりと言われますが、実際に水の魔術を使える方はいないでしょう?」
「……例えば、風と水の夫婦の子どもで、生まれた時は風属性だったとしても、後から水属性とか、その他の属性に変わることなどは……」
「少なくとも、私は風領でそのような事例を見たことはないですね。ところでフィル」
エルンの声の調子は変わらなかったが、ただ、フィルを見る眼差しには、微かに疑念の色が混ざっていた。
「一つ確認したいのですが。あなたのその質問は、本当にあなたが疑問に思っていることですか?」
「……えっと、どういうことでしょうか」
ふう、とエルンがため息をつく。
「あなたが誰かに、それを尋ねるように頼まれていないか、ということです」
「……頼まれてないわけではないですが、私自身も気になっていることです」
「頼んだのは誰ですか?」
正直に答えたものか、一瞬迷う。けれど、どうせエルンに誤魔化しは通用しない。そして今は、質問への答えが欲しかった。
「ヒルデとローラ……三人で、聞きたいことを整理しました」
エルンが意表を突かれたような顔をした。少し珍しい。
「ヒルデガルド殿と、アウローラ殿ですか?セリウス殿たちではなく? ……いえ、それ以前にフィル、なぜ、あなたとその二人の組み合わせで話をしているのです」
セリウスたち?と首を傾げたフィルは、最後の質問に肩をすくめる。
「……ヒルデに、身代わりがバレました」
「……」
「そのまま、えーと気づいたら、ウィル様の状態もバレてました」
ここまでは言っていいはずだ。
――念のため、ですけどフィル。ウィルフォード様の天属性化の可能性については、エルン師の前でははっきりと口にしないように。
アウローラの言いつけである。色々と、はっきり告げてしまえば、エルンだって立場的に黙認するわけにいかないかもしれないから、と。
フィルだって、ガラスの弁償の件に続いて、先生に迷惑をかけたくない。
そのエルンは額を押さえて頭痛をこらえるような顔をしていた。
「……他の、火領の方々には」
「ヒルデから、折を見て話すと」
「あなた方の目的は?」
「えーと、ウィル様とヒルデの婚約の継続、でしょうか」
「……ヒルデガルド殿は、ウィルフォード殿の属性消失を知ったのですね? それでもなお、ヒルデガルド殿がウィルフォード殿との結婚を望むというなら、あなたかアウローラ殿が間に入って、ヴァレリス殿に交渉すれば良いのでは?」
「……」
ウィルフォードの状態が、属性消失というだけなら、それで良かったのかもしれないが。
「えーと、やっぱり周囲の説得のためにも、ウィル様の状態をちゃんと把握するのが大事だと思いまして」
「それは正しいと思います。ただ、それはあなたからの伝聞で、私が判断できることではありません。正確な状態というのであれば、属性と人の体に詳しい神官医師に診せるべきです」
そこでエルンが首を傾げた。
「……最初は、診察にレイネシア殿が反対しているというお話でしたか?」
フィルはぎくりとする。
「フィル」
「ちょっと雑談をしてもよろしいでしょうか!」
このまま話を続けていたらあっという間に全部吐かされる――そんな危機感で強引に話題の転換を試みた。
「………………どうぞ」
たっぷりと空いた間に、エルンの葛藤と手心を感じながら、フィルは次の質問をした。
「天属性の子どもが、市井に生まれることがあるというのは本当でしょうか」
「……稀ではありますが、本当です。アウローラ殿でしたらもう教わっているでしょうし、上級学校でも教えるはずの内容です」
「それでは、天属性の子どもが、トゥーレに連れて行かれるというのは?」
エルンが瞬きを一つする。
「事実だけ見ればその通りです。天属性とは、風火水土の属性が調和している状態ですので、全ての属性魔術が使えます。ただ、魔力の操作がおぼつかず、自ら生み出す魔力がまだ少ない子どもでは、魔力の枯渇状態になりやすいのです。属性が偏った環境……四領であれば尚更です」
「……えーと」
「天属性は全ての魔力が使えますが、自分で制御できない状態では、体内の魔力が過剰に流れ出てしまうことがあります。元々魔力の少ない幼児や赤ん坊は、魔力熱にかかったり、衰弱状態に陥ったりしやすいのです」
フィルはなるほど、と思いながら質問を重ねる。
「その症状は、トゥーレ神殿なら改善するんですか?」
「はい。神殿都市は、四領の中心にあって、四属性全ての魔力が集結する地です。全ての属性魔力に満ちていますので、天属性にとっては魔力的な負担が少ないのです」
もちろん魔力熱の研究が進んでいるというのもありますが、とエルンは続けた。
「それでは、連れて行かれた……いえ、魔力熱とかの治療のためにトゥーレに行った天属性の子どもは、体が丈夫になったら親のところに帰ってくるんですか?」
エルンが瞬きをしてから、ゆっくりと言った。
「本人が望むなら」
「……」
「なにか誤解があるようですが、フィル。天神殿は、天の氏族を縛り付けたりはしていませんよ。確かに天神殿には規律があり、天神殿に属する天の氏族は、その規律に従って生活して、さまざまな活動……仕事をします。ですが、天神殿に属すること自体は強制ではありません。希望するなら、成長して魔力の制御を身につけて、親元に帰ることもできます」
フィルはぽかんと口を開けた。
「……それじゃそこら辺に、天神殿に属さず、普通に暮らしてる天属性もいるってことですか?」
「いるかもしれませんね。ただ、天神殿から離れるなら魔術の行使については厳しく制限がかかります。天の氏族の魔術が、他と比べて強力なことは事実ですから」
「……」
言われてみれば、火領の狩師たちにだって使用魔術には制限がかかっているのだ。周囲に影響を及ぼすような魔術を制限されるのは、天属性であっても同じということだろう。
「……先生は、親御さんのところに帰ろうとか、思ったことはないんですか?」
エルンはゆっくりと首を傾げた。
「私はちょっと出身が特殊なのです。両親ともに、神殿に属する天氏族ですので」
「……はい?」
「ですので私は生まれた時から神殿都市で育ちました。半分は親元で育ったようなものですね。両親共に忙しい人たちですので、各領から来た天属性の子供たちと一緒に育てられた場面もありますが」
「……先生」
「なんでしょう」
「天氏族の神官様って、結婚できるんですか」
「できます」
「……」
なんとなく、周囲の神官たちが先生たちも含めてみんな独身だったので、神官は結婚を禁じられているのかと思っていた。
それなら、仮にウィルフォードが天属性でトゥーレに行ったとして、最終的にヒルデガルドとの間に障害はないのではないか。風領の統承とか二人の間に子供ができた場合とか、そういう政治的なあれこれは調整をがんばってもらうとしても。
であるなら、あとはレイネシアの天神殿に対する恐れを解いて、説得できれば……。
「フィル」
道が見えてきたのではないか、と胸を弾ませるフィルを、エルンが呼んだ。いつも通りの穏やかな声。けれどなぜか、冷たい水を浴びせられたような気がして、フィルはびくりと身を震わせた。その様子に、エルンは緊張をほぐすように微笑んだ。
「私はあなたの教師です。その立場に則って、世界と天神殿の理についての生徒の質問に答えました。ですが私は、同時に天氏族としての使命を負っています。……世界の調和を守るという使命を」
世界の調和。
それは神官たちの口癖だ。トゥーレは救う神も、罰する神も持たない。その代わり、世界には大いなる流れがあり、それが調和していることでこの世界は存在していられる、と彼らは説く。
世界の調和はトゥーレの存在の前提であり、目標でもある。だから神官たちは、調和を乱す原因になる争いを厭い、その原因を徹底的に排除するのだ。
「確認なのですが。……あなたの質問から、私には一つの仮説が浮かびました。そしてこれが正しいとすると、天の定めに関わる非常に重大な現象が起きているのではないかと思われます」
知らず、唾を飲んでいた。フィルはこんなエルンは――エルン「先生」は、知らない。
――どちらかといえば、私は天の方々の方が、よっぽど恐ろしいと思いますが。
蘇ったのは、先日のセリウスの言葉。あのときフィルは「先生は先生です」と返した。
けれど今、初めてフィルは思った。
先生は助けてくれないかもしれない。……いや、エルン「師」にとっては、フィルの願いやウィルフォードの思いよりも、優先すべきことがあるのかもしれない。
――ここにいてちょうだい、ウィル。
レイネシアの悲痛な声を思い出す。フィルは思わず拳を握った。あの母子に対して、自分は何かとんでもないことをしてしまったのではないか。
エルンが微笑む。それはどこか悲しげに見えた。
「フィル。世界の調和という観点において――あなたは、相談すべきことがありますね?」




