レイネシアの真意
まずレイネシアに交渉に行こうとしたのは、ウィルフォードの意思が固い以上、一番の味方になってくれるのは母である彼女だと思ったからだ。
フィルが雲雀館を使い始めた後は、レイネシアは大鷲館の奥向きの部屋で過ごしている。フィルとはあの歓迎の宴の日以降、顔を合わせてはいなかった。
まずは、本物のウィルフォードが会いたがっていると、アウローラにレイネシアをこっそり隼館に呼び出してもらった。「ウィル」とヒルデガルドは客用館で過ごしているということにして。
最初はフィルと、なんならヒルデガルドもウィルフォードと同席するつもりであったが、アウローラに止められた。レイネシアの考えを聞いて説得するのであれば、最初は親子だけで話したほうがいいから、と。そして万一、レイネシアがヒルデガルドに対して敵愾心を抱くようなことがあれば話がややこしくなるから、と。
「まったく、アウローラ殿ときたら私をなんだと思っているのかしら」
「まあ、火領の姫君がウィル様の状態を知ってるとかいう話になると、色々ややこしくなりますし……」
部屋の片隅にさりげなく配置した衝立越しに二人が室内の様子をうかがっていると、戸を叩く音と共に、レイネシアが足早に入ってきた。
「母上。お呼びたてして――」
すみません、とウィルフォードが全て言い切る前に、レイネシアがウィルフォードの前まで来た。
「ウィル、体の調子は? どこか変わりはありませんか?」
そう言いながら、レイネシアがウィルフォードの様子を確認していく。
「大丈夫です、母上」
「食事は取れていますか? 暑くなってきたけど、夜は眠れている?」
「大丈夫です。母上こそ、お加減は大丈夫ですか?」
「母のことは心配いりません。……ファビアン殿が、あなたもがんばっていると教えてくれましたが」
「はい、兄上はいつも気にかけてくださいます」
「……なら、よかったけれど」
ようやくレイネシアは少し落ち着いたようである。フィルの隣で、ヒルデガルドが「なんだか過保護ね」とつぶやいた。その感想はわからなくはないが、ウィルフォードの体調不良から全てが始まったと思えば、レイネシアが多少過敏になっても仕方ないだろうとフィルは苦笑する。
……そういえば、ヒルデガルドとアウローラが未来の義姉妹なら、レイネシアとは嫁姑関係になるわけだ。領主家の男性陣は頑張って欲しい、とフィルは思った。
「母上、今日はお願いがあって、来ていただきました」
「なにかしら」
「領都神殿の神官医師、セルマ師にまた診察をお願いすることはできないでしょうか」
「……なぜ?」
わずかな間の後に落ちたその声には、なんの抑揚もなかった。知らず、フィルは息を飲む。隣でヒルデガルドも微かに身じろぎをした。
「僕が魔力を使えなくなって、もうすぐ二年です。……それに、この髪の色」
ウィルが自分の前髪を示したようだった。
「青い色が抜けているだけでなくて、金色に変わっているように見えて。……それだけで、その、なにか突飛なことを言い出すつもりはないのですが、今の自分の状態について、しっかり確認しておきたいと――」
「誰がそんなことを?」
ウィルフォードの訴えの途中で、再び、平坦な声が場に落ちる。
「え?」
「それにウィル、部屋を出る時には髪を隠すようにと約束したでしょう。約束を破ったの?」
「……母上?」
「駄目よ、ウィル」
今度の声は優しかった。子どもの悪戯を微笑ましく見守る母の声のようだった。
「そんなことを言っては駄目。……天に、連れて行かれてしまうわ」
フィルがその場で飛び出さなかったのは、先に動いた隣のヒルデガルドを反射的に押さえたせいだ。もしヒルデガルドが構わず飛び出そうとすればきっとフィルでは抑えきれなかっただろうけど、幸いヒルデガルドは冷静さを取り戻したようで、再び衝立の裏にしゃがみ込む。
「……そんなことは」
ウィルフォードの声も震えているようだった。
レイネシアの言った「天に連れて行かれる」──これは、フィルたち四領の民にとって、直接的な表現を避けた「死」の意味だ。
人や生き物の死そのものは、悲しみがまつわることは多くとも、自然の理だ。ただ、その理を受け入れることが難しいような場合――可愛がっていた動物の死を理解できない小さな子どもや、子の突然の死を受け止めきれない親などに対して「天が連れて行った」と周囲が声をかけるのは、慰めであり、死者の安息を願う言葉である。
ただ、それを生きている者に対して、まるで脅しのように使うのは、天神殿が厳しく諌める忌み言葉だ。ましてや、親が子に言うなど――。
「驚かせたわね、ごめんなさい」
レイネシアが、ウィルフォードを抱き寄せたような気配がする。衝立の向こうで、レイネシアがどんな表情をしているのか気になって仕方がない。怖いけれど、確認したい。
「あなたが心配したような意味ではないのよ。……ねえ、ウィル。四領で、天属性の子どもが生まれることがあるのを知っている?」
「え?」
まだ衝撃が抜けきらないように、ウィルフォードがぼんやりと聞き返す。
「他属性の間の子や……市井でも、風領では多いと聞くわ。上の世代に、複数の属性がいるような夫婦の間に、金の髪を持つ子が生まれることがあるの。もちろん、すごく稀なことではあるけど……天氏族はね、そうやって生まれてくるのよ」
瞬間的に、フィルの脳裏に閃いたのは、昨日生まれたばかりの甥っ子だ。水混じりの風の母、火混じりの風の父の間に生まれたフィルの甥っ子。生まれる直前に火の属性の気配を発し、赤みを帯びた髪を持ったあの子は……。
ぎゅっとフィルの手が握り締められた。ヒルデガルドだ。そっとそちらに顔を向けると、ヒルデガルドが小声でささやく。
「私も教わったわ。でも、本当にすごく稀なことなのですって。……そんなにそこらからポンポン、天の氏族は生えてこないわよ」
ヒルデガルドの言い方にうっかり笑いそうになって堪えた。ヒルデガルドに姉の出産のことは伝えていないが、ひょっとするとフィルの水混じりを案じてくれたのかもしれない。
「でもね、ウィル。天属性の子どもは体が弱いの。だから生まれると、天氏族がトゥーレに連れて行くのよ」
レイネシアの言葉が続き、フィルとヒルデガルドは再びそちらに意識を集中する。
「その子は、トゥーレで……神殿で、どうなるのですか?」
ウィルフォードが震えた声で尋ねる。
「わからないわ。……でも、私の知っている子は、まだ帰ってきていない」
「……」
「生まれたばかりの天氏族の子どもが、四領では体を壊すというのはわかるわ。魔力熱や懐郷病のようなものなのでしょう。でも、ならばなぜ、あの子は大人になっても帰ってきていないの? 天氏族の大人は、四領に滞在できるのに」
レイネシアの声が震える。
「もしあなたが天属性の子どもで……トゥーレに行ってしまったら、あなたは私の子ではなくなってしまうの?そんなのは、駄目よ」
「母上」
「私の子を、絶対に渡したりしないわ」
すすり泣くような声が聞こえる。大丈夫です、僕はどこにもいきません。そう言って宥めるウィルフォードの声も。
それを聞きながら、フィルとヒルデガルドは、互いを押さえるように息を殺していた。
風が使えなくても構わない。ここにいてちょうだい、ウィル。母も、あなたを守りますから……




