天属性の色
フィルの思った通り、ヒルデガルドは苦もなく木を登り、二階の窓から隼館への侵入を果たした。
「ヒルデ姉様」
ウィルフォードの呼びかけに、ヒルデガルドは軽く服を払ってにこりと笑う。
「ひさしぶりね、ウィル。会えて嬉しいわ。……無事でよかった」
そう言って、颯爽とヒルデガルドはウィルフォードの前に進み出る。
「少し、背が伸びたかしら?」
ウィルフォードがぎゅっと拳を握って、うつむいた。
「……この度は、本当に申し訳ありません。姉様を騙すような真似をして……」
「本当よ。二年ぶりに会うのを、楽しみにしていたのに」
ヒルデガルドが口をとがらせる。
「うっかり、あなた以外の人とルッカを見に行ってしまったじゃない」
「……姉様」
ウィルフォードの顔をのぞき込むようにして、ヒルデガルドがふふ、と笑う。
「ところでウィル、あなたの結婚相手はお姉様なの? ……この質問も、私にとっては二回目なのだけど」
「えっと」
「ねえウィル、あなた、結婚したら相手のことはなんて呼びたい?」
「……ヒルデ」
ヒルデガルドがうなずいた。
「やっぱり本物の方が話が早いわね」
「そりゃそうでしょうよ」
「そういうのは二人の時にやってくださらないかしら」
部屋の片隅でフィルとアウローラ――こちらは普通に隼館の扉から入ってきた――はうんざりとした声を出す。
「えっと、あの、すみません」
「あなたが謝る必要はなくてよ、ウィル」
「そうですとも。殿方の部屋でこんなに堂々となさってるなんて、火領の教育はどうなっているのかしら」
「殿方の部屋にいるのはあなたたちも同じでしょう」
「私は義姉ですし、フィルは私の侍女です」
「……そうなの?」
「そうだったんですか?」
「さっき決めたわ」
「はあ」
ふうん、とヒルデガルドが目を細める。
「風領の貴族が民に横暴に振る舞うのは誤解ではなかったのかしら。ねえフィル、アウローラ殿の侍女が大変ならいつでも火領にいらっしゃい。フィルなら歓迎するわ」
「そうやって他領の者を魔害駆除に駆り出すおつもり?」
「あら、最初に私を泥ガニ取りに連れて行ってくれたのはフィルだけど?」
ウィルフォードの身代わりは返上したはずなのに、どうしていまだにこの二人はフィルを挟んで喧嘩しているのだ。楽しいのか。楽しそうだな……と二人の顔を見て、フィルは咳払いをする。
「えーとお二人とも、ウィル様が驚いていらっしゃいますが」
フィルの指摘に二人はぱっとウィルフォードの方を見て、お淑やかに微笑んだ。婚約者、もしくは婚約者の弟に対しては、彼女らはちゃんと一線を守る気があるようだ。
「ええと、まず今の状況なんですが」
フィルは仕切り直す。正直、なぜ自分が?と思わなくもない。
「ヒルデ以外の火領の方々は、身代わりに気づいていらっしゃるんですか?」
ヒルデガルドは首を横に振った。
「他の者はそれほどフィルと接していないし、私も確認するまでは黙っていようと思ったわ。皆がどう反応するかは読みきれなかったし、万が一にも私の勘違いだったら大変だから」
「……この後は」
「展開次第ね」
ヒルデガルドはにこりと笑う。まあこれに関しては、フィルや風領側がどうこう言えることではあるまい。
「私からも聞きたいのだけど、風領はどうして身代わりなんて立てたの? 今回はどうにかなったとしても、来年には無理だったでしょう」
アウローラがため息をついた。
「私に説明されていることでしたら、ひとまず、その一年の時間を稼ぎたいということはありました。……来年にはファビアン様も成人されます。ヴァレリス様に何かあったとき、それを継げる者が成人しているというのはひとつの基準ではあったでしょう」
「まるで火領が、ヴァレリス様に責任を取るよう迫るとでも言いたいみたいじゃない」
ヒルデガルドが目を細めてアウローラを見やる。アウローラは短く息をついた。
「その線も考慮に入れていらしたでしょうね」
「風領の統承がゴタゴタすることで、うちになんの利点があるのよ」
「叔父に続いて娘の婚約も勝手に破棄するとはどういうつもりだ……と火領が怒る可能性というのを、無視するわけにいかないでしょう」
「そんな、水領じゃあるまいし」
「え、水領ってそんなことするんですか」
水領との関わりがある身として、思わず口を出してしまった。ヒルデガルドが肩をすくめる。
「水領はネチネチしているし、弱みをつかませたらずっと蒸し返されるのよ」
「あら、では水領と親戚になったり、水領に親戚のいる侍女を勧誘するのはおやめになれば」
「領の傾向と個人の話をごっちゃにするとか、あなたこそ風領らしくない陰険さね」
「領間の問題で弱みを見せたくないこちらの気持ちをご理解いただければ何よりですわ」
目の前のやりとりを見て、そろそろ扇子が欲しいな、とフィルは思った。二人が脱線し始めたらパチンと鳴らすのだ。
「えーとまあ、風領の危機管理については、ご理解いただけたらと思います。弱みを持っている方は、いくらでも悪い方に考えますので」
フィルが口を挟むと、二人が同時にため息をついた。なんだかウィルフォードに尊敬の眼差しを向けられている気がする。できればウィルフォードにも協力してほしいが、十二の男子にそれは酷かと思い直した。ファビアンですらそっと視線を外したくらいだ。
「その、私の理解していた範囲では、属性消失というのがどう影響を及ぼすか分からなかったこともあり、慎重に動かざるを得なかったということなんですけど……」
フィルが口ごもると、二人が表情を改めた。ウィルフォードも不安そうな顔になる。すっとヒルデガルドが手のひらを上に、腕を伸ばす。一拍おいて、その手の上に炎が現れた。火の魔術でつけたのだろう。ランプに収まるくらいの大きさで、どういうわけかあまり熱さは感じない。その光が、ウィルフォードの髪と瞳を照らし出す。
「……金に見えるわ。瞳の方は、橙っぽくは見えるけど」
「火で照らしていますし、多少赤っぽく映る部分もあるかとは思いますが……少なくとも、お髪は金でいらっしゃいますよね」
「ウィル様は、お気づきではなかったんですか?」
フィルが尋ねるとウィルフォードがうつむいた。
「……青が抜けたことは分かっていましたが、その後はできるだけ髪を隠しているように、と母上が……」
「天氏族のお医者様にも診せてはいないと仰ってましたね。……すみません、ウィル様を責めるつもりは全くなくて!」
ちぢこまるウィルフォードにあわててフィルは言う。
「目の色が変わったのがいつからかは、わかる?」
ヒルデガルドが尋ねる。
「それもはっきりとは……すみません。ただ、熱のあるうちは、領都の神官医師様がよく来てくださってました。髪の色が抜けたのも、熱が下がってからだと思います」
「風の魔術が使えなくなったのも?」
「それに気づいたのは、もう少し経ってからだと思います。魔力熱の時は、あまり自分で魔力を操作しない方がいいと言われていたので」
「体内の魔力が乱れているのだからそうでしょうね」
「あの、今は風の魔術とか、何か他の魔術が使えたりしないんですか?」
フィルの質問に、ウィルフォードが困ったように首を傾げた。
「なんというか……。熱を出す前には自然に使い方がわかっていたはずの魔力が、体の中で迷子になってしまったみたいな……。どこに出口があるのかわからないような……」
アウローラが瞬きをする。
「確か、体調のよろしくない時には凪咲花や、水領の流水藻をお使いになっているという話ではありませんでしたか? 流水藻には知見がありませんけども、凪咲花に魔力を吸われると、なんとなく体内魔力の動きが感じ取れませんか?」
そうなのか、とフィルは思った。平民では、動きを感じ取れるほどの魔力が体内にないのかもしれない。なんとなく総量として、魔力が満ちている、減ってきた、のような感覚はわかるけれど。
一方、ウィルフォードはやはり困った顔だった。
「だるさで体が重いような熱っぽいような感じがする時は、それらを母上が使ってくれるのですけど……。楽にはなるのですが、魔力の動く感じは、あまりわからなくて」
「魔力自体が枯渇しているような感じはないと思うのだけど」
ヒルデガルドが首を傾げる。
「魔力枯渇なら、それだけで動けなくなったりするものね。……やっぱり、天の神官様にて診ていただかないと、どうにもならないのじゃないかしら」
「そうですよね」
フィルはうなずく。領主一族の教育を受けているとはいえ火と風の属性の二人と、魔力の動きすら意識していない自分では、天属性かもしれない人の状態なんてどうにもできない。
「領都の神官様を呼んだりってできるのかしら」
ヒルデガルドの問いに、アウローラが顔を曇らせる。
「今までも、天神殿にお伺いをたてると言う話が出たことはあったのですが……。その度に、レイネシア様が強硬に反対なさっていて」
ヒルデガルドとフィルは揃って瞬きをした。
「なぜ? 仮に症状が単なる属性の消失だったとしても、属性関連の異常ならまずは天神殿に診ていただく……と言うより、統承二位の異変なら、天神殿への報告は必須ではないの?」
ヒルデガルドの疑問の声に、フィルはうなずく。さっきからウィルフォードとアウローラの話を聞くにつけ感じていたが、まるでレイネシアがウィルフォードの状態把握を拒んでいるようではないか。
いや、子に異変が起きた時、母としてそれを認めることができない心理がないとは言わないが。
──なぜ、魔力熱にかかったのが、私のあの子なの。
数日前に聞いた、あの悲痛な嘆き。もし、それを取り戻す手段があるならなんでもする、とでも言うようなあの声の持ち主が、子の変化を認められず治療につながる手段を拒絶するとは思えなかった。
「ウィルフォード様は、どう思われます?」
困ったようなアウローラの声に、フィルははっとウィルフォードを見る。ウィルフォードは少し考えるように目を伏せ、それからヒルデガルドを見た。
「やっぱり、僕の状態を僕がちゃんと知らないと駄目だと思います。僕に何ができて、何ができないのか。……そうじゃないと、僕がヒルデに何がしてあげられるのかもわからないから」
フィルはさりげなくヒルデガルドを見た。少しうつむき加減の彼女の口角がわずかに上がっている気がする。手紙でとはいえ、これと真正面からずっと向けられてきたのであれば、そりゃ好感度も上がるだろう。
このウィルフォードの気持ちが、レイネシアにちゃんと伝わるといいな、とフィルは思った。




