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ウィルフォードの意思

 木登りするなんて何年振りかな、と考えながら、フィルは隼館の教えられた窓の高さまで辿り着く。

 下を見ると、木の根元に立っているアウローラがうなずいてよこした。

 風を吹かせて窓を揺らす。ガタ、ガタ、と鳴る音に、万一このガラスが割れたらいくらなんだろう、とちらりと思った。と、窓の向こうの室内に、人影が現れる。こちらをうかがう様子のそれに手を振ると、一拍置いて窓が勢いよく開いた。


「フィルさん!? どうして?」


 声を上げるウィルフォードに、フィルは身振りで声を落とすように伝える。ウィルフォードはハッと口を押さえた。


「こんな場所からすみません。……大事なお話がありまして」


 ウィルフォードの眉が不安げに寄る。


「なにか、困ったことが……?」


 フィルは苦笑しながらうなずいた。


「大変ぶしつけなお願いなんですけど、部屋に入れてもらってもいいでしょうか。ローラが見張りをしてくれてますが、バレたら大騒ぎなので」


「え?」


 ウィルフォードが慌てたように窓の下を見下ろす。アウローラ殿、とつぶやいて、それからハッと気づいたように身を引いた。


「入ってください。……あの、大丈夫ですか?」


 木の上のこちらを案じる声に、フィルはにこりと笑った。


「大鷲の背よりは低いですから」



 ◇◇◇



「あなたの名前は?」


 見下ろされながらのその問いに、フィルが口を開こうとしたその瞬間、部屋の扉が乱暴に音を立てて開いた。

 フィルとヒルデガルドが揃って視線を向けたその先には、肩で息をするアウローラが立っていた。


「何をなさっているのです」

「……それはこちらのいうことではないかしら、アウローラ殿」


 すっとアウローラの銀の瞳が細くなった。


「婚約者同士の語らいにしては、ずいぶんと物騒なのでは?」


 その視線は、相変わらずフィルの首にかかったままの――とはいっても既に力は全く入っていなかったが――ヒルデガルドの左手に据えられていた。

 ふ、とヒルデガルドが微笑む。


「婚約者、ね」


 アウローラがハッと目を見開いた。ヒルデガルドが続ける。


「私、女の子と婚約した覚えはないのだけれど」


 身代わりの露見を突きつけられ、アウローラが息を飲む。そして唇をかみしめてから、ゆっくりと顔を上げた。


「その手をお離しください、ヒルデガルド様」

「あなたね、この期に及んで――」


 微かに怒りを込めてそう続けたヒルデガルドの声が途切れる。アウローラがゆっくりと、あくまで優雅な動きを崩さず、その場に膝と手をついたからだ。


「事情は包み隠さずお話しします。その上で、いかようにもお怒りを受けましょう。……ですが『彼女』にこの件の責任はございません。私たちの命令に従っただけの、一風領の民でございます。お怒りとは思いますが、どうか、それは私に向けてくださいますよう」

「ちょ、ローラ」

「あなたは黙っていなさい」


 頭を下げた姿勢のまま、フィルには厳しい声でそう告げる。その雰囲気はどこかセイレアに似ていた。

 ふう、とため息が落ちてくる。


「……それじゃ私が悪者みたいじゃない」


 そう言って、ヒルデガルドはフィルの首を解放し、身を起こした。


「アウローラ殿、顔を上げて。過大な謝罪は今は不要。私は聞きたいだけなの。本物のウィルは――風領統承二位、ウィルフォード=アルカはどうしたの」


 アウローラがゆっくりと顔を上げる。フィルがヒルデガルドから少し離れた位置で座っているのを見て、ホッとしたように息をついた。それから表情を改める。


「ウィルフォード様は、隼館においでです。……二年前の魔力熱以降、属性を失っておられます。その事実を隠すため、今回このような策を講じておりました」


 フィルはギョッと目を見開いた。そこまで事情をぶちまけていいのだろうか。隣でヒルデガルドが眉根を寄せている。


「属性を失う? どういうこと」

「言葉通りです。魔力はあれど、風の魔術として放出できない状態……髪と目の色も変化しておられます」

「それ、大丈夫なの!? 魔力過多にならない!?」


 焦ったようなヒルデガルドの声に、アウローラは首を横に振った。


「魔力放出の手立ては準備しているそうですが、今現在目立った体調不良は起きておられません。多少お体が弱い印象はありますが、ご無事に過ごしていらっしゃいます」

「……そう」


 安心したように、ヒルデガルドがため息をついた。


「ヒルデガルド様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「なに?」


 ヒルデガルドがアウローラを見る。アウローラもまた真っ直ぐにヒルデガルドを見返した。


「申し上げたように、現在のウィルフォード様は属性のない状態です。……それでも結婚を望まれますか?」

「どういう意味かしら」

「火領統承三位の方の配偶者として、魔力を使うことのできないウィルフォード様を受け入れていただけるのか、という意味になります」

「そんなの――」


 当たり前じゃない、とヒルデガルドは続けようとしたのだと、フィルは思った。けれど「火領統承三位」の立場がそこで言葉を止めた。


「……ウィルの状態を、直接確認させてもらえるのかしら」

「恐れながら、属性を失うという事態は非常に稀であると天氏族の方もおっしゃっておられました。確認とは、どのようなことを指すのでしょうか?」


 ヒルデガルドが押し黙る。属性の消失、そしてその状態の相手との婚約を継続するかの判断は、流石にヒルデガルド一人には余るのだろう。というか、このアウローラの挙動や迷いのない情報の出し方は、彼女の独断ではない気がする。


「……あの」


 フィルはおずおずと切り出す。ヒルデガルドがフィルを振り向き、アウローラから再び「黙ってらっしゃい」と叱責が飛ぶ。フィルは肩をすくめ、けれど思い切って発言した。


「まずは、ウィルフォード様の意思を確認されるというのはいかがでしょうか」



 ◇◇◇



 そんなすったもんだを経て、フィルは隼館の庭に生える木に登ったわけである。 


「ウィルフォード様。一つお伺いしたいんですが」


 枝伝いに窓から部屋に入り込む。未だ事情がつかめていないだろうウィルフォードに、フィルは切り込んだ。


「ヒルデとの婚約破棄、どう思ってますか」


 ウィルフォードが目を見開く。


「えーと、ぶっちゃけますと、バレました。ヒルデに。身代わりが」

「えっ!?」

「ヒルデはウィル様のこと、すごくよく知ってます。付け焼き刃で身代わりとか、無理でした」

「……」


 ウィルフォードの目が泳ぐ。フィルはため息をついた。


「思うんですけど、ウィルフォード様だって、今回会ったヒルデが、髪と目の色が同じだからって、お淑やかで虫とか怖くて、ルッカを見たら大きくて怖い!て泣き出すような姫君だったらどう思いますか」

「……それは、ヒルデ姉様じゃないですね」


 ですよね、とフィルはうなずく。


「二年で人間ってそんなに変わらないです。まして、お二人ってお手紙のやりとり、すごくしてたんですね。儀礼に則った季節の挨拶とかじゃなくて、もう恋文」


 ウィルフォードの頬が赤くなる。


「そんな、恋文なんて」

「ルッカの群れの銀の毛並みが風に揺れる様子をあなたに見せたいは恋文です」

「……」

「あなたにスズナリの森を案内したいです。葉擦れが音楽のようですは恋文です」


 顔を真っ赤にして俯く彼に、フィルはため息をついた。自覚があったのかはわからないが、どちらにしても末恐ろしい。


「あのですね、ウィルフォード様。あなたの恋文の内容を、どうして私が知ってると思います?」

「え?」

「ヒルデに聞かされたからです。……ヒルデが、あなたの恋文をちゃんと読んで、あなたに会うのを楽しみにしてたからです」


 ウィルフォードがハッとしたように顔を上げる。


「どう思います?」


 あんなに一生懸命に、あなたに会いたいと書かれた恋文、十四歳の自分だってもらったことがない。というかフィルの周囲にそんなこと言えるやつは大人の中にだっていない。もしシュルクにそんなことが言えたなら、リアはとっくにシュルクと結婚している。


「もういっぺん聞きます。ウィルフォード様はヒルデとの婚約破棄を……いえ、ヒルデのことを、どう思ってますか」


 ウィルフォードの返事を待ちながら、フィルは思う。自分としては、二人には友としても民としても末長くよろしくやってほしい。というかこのまま自分がウィルフォードとの間の障害物とヒルデガルドに見なされたとしたら、待っているのは控えめに見積もって身の破滅ではなかろうか。

 ふと、フィルの脳裏を隠れていた泥ごと干上がって蒸し焼きにされた泥ガニが過ぎった。


 ……今さら気づいたが、いくら必要があってとはいえ、ウィルフォードの部屋に忍び込んで二人きりの時点で結構まずいのではないだろうか。

 無表情でウィルフォードの返事を待つフィルの背筋を冷たいものが滑り落ちた時、ゆっくりとウィルフォードが顔を上げた。


「……僕はヒルデ姉様より年下で、力もなくて。風の属性がなくなって風領統承二位の肩書きさえ失えば、ますます姉様の婚約者に見合う相手ではなくなるのかもしれない。……でも僕は」


 フィルの目を、ウィルフォードの橙を帯びた瞳が真っ直ぐに見つめる。


「ヒルデ姉様を……あの人との将来を、諦めたくないです」

「ウィルフォード様」

「僕は統承二位だけど、水混じりです。……水混じりでした。兄上が父上の跡を継いでお子が生まれたら、領境の管理者になると思っていました。もちろんそれは大事な領主一族の仕事なんですけど……でも、統承二位なら、普通は領主の補佐をするのにって。もっと直接兄上の役に立てるのにって。そうしたら、父や母とも離れずに済むのにって」


 フィルは黙って聞いている。四領の次子以下にとって、兄姉が家を継いだ後の身の振り方は身近な問題だ。

 跡を継いだ長子の補佐をするのか、自分で家を立てるのか。フィルにも遠くない未来にやってくる選択肢。自分のやりたい事と、家族や周囲に求められる役割。


「でも、ヒルデ姉様と会って……あの人も統承三位で、しかも第一配偶者のお子なのに。……すごく目を輝かせて、火領のことを話してくれて、僕の話も聞いてくれて。大鷲を見て喜んで、狩師の話もしてくれて」


 フィルにもわかる。ヒルデガルドと話していると、世界が広がる。もちろん彼女は火領の出身で、単純に風領で暮らす自分と見ている世界が違うのだけど、それだけでなく、彼女が世界を見る目は、とても明るい。

 彼女だって色々と制限のかかる立場だろうに、知らぬことに出会うのを楽しんで、どんどん進んでいく彼女のそばでは、いつも新しい風が吹いているような心持ちになる。


「大人になってヒルデ姉様の隣にいられるだけの力をつけたら、一緒にいろんなところに行って、いろんなものを見たいって思って」

 

――スズナリの音を聞きに行きたいです。

――ルッカを見に行きたいです。

――あなたと、一緒に。

 

 ウィルフォードはいつもそんな思いを、ヒルデと一緒にしたいことを、手紙にしたためていたのだと腑に落ちる。


「ウィルフォード様」

「ウィルでいいです」


 その瞳が、色合いも真っ直ぐさもヒルデガルドと似ていると、そう思った。


「僕は、ヒルデ姉様との婚約を解消したくないです。……協力してもらえませんか」

「喜んで」


 フィルはにこりと笑った。


「ひとまずヒルデもウィル様のことを心配してるので、どうにか会える機会を作りたいんですが……」


 ヒルデガルドならフィルと同じように木を登ってこれそうだけど、とフィルの入ってきた窓を振り返る。日が出てきたのか先ほどより外がまぶしい。ヒルデの髪は目立つし布を巻いてもらおうか、と考えながらフィルはウィルフォードを振り返る。ウィルフォードもまぶしそうに目をすがめていた。


「ウィル様、ヒルデもここから――」


 入ってこれるんじゃないか、と続けようとして、フィルはぽかんと口を開けた。


「フィルさん?」


 ウィルフォードが首を傾げた。頭の動きに合わせて、髪がさらりと流れる。二年前までは銀髪にレイネシアと同じ青の髪が一房混じっていたというその髪。今は青の色が抜け、全体が同じ色味を――陽の光を受け、淡い金の輝きを持っていた。


 その色をフィルは知っている。邪魔にならないようにとまとめて布を巻いたそれが、いつだったか駅のルッカに食まれていたのを思い出す。エルンによく似た、薄い金色の髪。


 それは、天の属性の色だった。

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