幕間 ─ヒルデの疑い─
ウィルフォードとの領都見学――という名の泥ガニ取り体験――を終えて、風領の客用館に戻り。
さて、とヒルデガルドは考える。前から時々違和感はあったが、今日のやりとりでヒルデガルドの中ではほぼ確信に変わった。
あれは、ウィルではない。
少なくとも、風領統承二位として育てられた、ウィルフォード=アルカではない。
火領統承三位として教育を受けたヒルデガルド=フェルンベックにはわかる。もし統承の繰り上がりなんて事態が起きて、領主を継がなければならない状況になってしまったら。それがどんなに重荷でも、放り出して市井に隠れるなんて発想は、自分たちにはできない。天から与えられた領主の役割とは、そう簡単に放り出せるものではないのだ。
それに、単純に以前のウィルフォードとの手紙のやり取りから感じる彼の考え方と比べても違和感がある。
「姫様?」
火領からついてきた侍女に、なんでもないと手を振り、今日はもう休むからと下がらせた。
寝台に身を投げ出す。寝台は柔らかく、毛布は薄くて軽いのに暖かかった。
――風領のルッカの毛は、風の魔力を含んでとても温かいです。いつか、ヒルデ姉様に似合うショールを送らせてください。
――あれがルッカです! 今は毛刈りが済んでるから短いですけど、毛刈りの時期になるともこもこになって別の動物みたいになるんですよ!
手紙のウィルと、実際に風毛ルッカについて詳しく教えてくれたウィル。
似ているけど、どこか違う。なんというか、地に足がついているというか、つき過ぎているというか。
領主の息子のウィルフォードなら、取り寄せたショールの質や魔術効果についての解説はできるかもしれない。でも、多分毛を刈る前と後の違いについては、あんな見てきたようには説明しないだろう。あのウィルの物言いは、ルッカという動物そのものに慣れ親しんだ者のそれだ。
これが貴族たちの乗る大鷲についてだったらそれほど違和感はなかったかもしれないが、風領でもルッカを育てているのは主に平民たちのはずだ。
……平民。
あのウィルの所作や言葉遣いを思い出す。一生懸命丁寧に接しようとはしているが、やはり生まれながら貴族の中で育ってきた立ち居振る舞いとしては違和感がある。どちらかと言えば、赤翅蜂の大量発生の駆除部隊に加わった時、見習いのヒルデガルドについてくれた地元の平民たちの所作の印象に近い。
ふう、とため息をついた。ウィルフォードが平民出身とは、どういうことだろう。
元々、ウィルフォードは平民として育てられていた?
例えば風領領主が市井の娘との間に婚外子を儲けたとして、当時第一夫人の産んだ二人目の子を失ったばかりの風領としては、婚外子にも統承を受けさせざるを得なかった、とか。
違うな、とヒルデガルドは首を振る。第二子が亡くなったのはウィルフォードが生まれる前のはずだ。もしその子の代わりというなら、ウィルフォードは早々にセイレアの元で養育されていただろう。
それに病になる前に実際に顔を合わせたウィルフォードの物腰は、大切に育てられた領主の子に相応しいものだった。水混じりのあの見た目も、彼がレイネシアの実子であることはほぼ確実だ。
では、二年前の病の時点で、ウィルフォードが実は死んでいたとか……
想像に、背筋に寒気が走った。ウィルが、もうこの世にいない?
嫌な思いつきを振り払うように天井を睨みつけ、思考を深める。
……たぶん、それもない。
確かにこの縁談は風領からは断りにくいだろう。以前の因縁からも、火領統承三位の自分を断ることになるのも。
けれど、さすがに本人が病で亡くなったというのを隠す意味はない。統承が一人のみになるのは確かに風領としては痛手だろうが、それならさっさと領主が第三夫人を娶るなり、いっそファビアンに年上の女性をあてがうというのも手だろう。
しょっちゅうウィルフォードとの間に割って入る、次期領主の婚約者を思い出す。彼女もまた、領主夫人として教育を受けているのだろう。もし領主の子が一人しかいなくて、次の世代が早急に必要となれば、たぶんファビアンが他所で子を作るのを飲み込むよう言い含められるはずだ。
そして彼女は――そうたくさん話したわけではないが、腹の中で嫌だと思っていようとも、未来の夫が他の女に子を産ませるのも、おそらく自分がその子を引き取って養育することになるのも、覚悟しているとヒルデガルドは思った。
――それは、いやですね。
――もしそんなことになれば、風領に来てしまえばいいとおもいます。
――一緒に。
昼間の、あのウィルの言葉が蘇った。やっぱりあれは、統承を持つ領主の息子の言葉ではない。けれど――
……嬉しかったのかしら。
ヒルデガルドはそっと毛布を引き寄せた。暖かくて、軽く、柔らかい。
あの子がくれた言葉みたい。
……あの子は、だれ?
ウィルフォードによく似た色を持ち、おそらく市井の育ち。ルッカに詳しくヒルデガルドを泥ガニ退治に駆り出し、一緒に泥だらけになって笑ったあの……女の子は。
改めて考えるとしっくりきた。泥だらけの服を着替える時の、妙に気安いかと思えば、自分の番にはあわてたように別室に下がった。それにヒルデガルドの兄の、男性の方が領主に向いてるという言い分を教えた時の、呆れたような顔。
兄の言い分を聞いた時の反応は、男女で妙にはっきり分かれる。男性は、その言い分に対して一瞬だけ「一理あるのでは」というような顔をするのだ。武勇、妊娠出産の負担と子の数――理屈だけでいうなら、男性が領主を務める利点は確かにある。けれどすぐに、統承は天の定めるものだと思い直すように口を閉ざす。
逆に火領の女性たちは、だいたい呆れた顔をする。
現にヒルデガルドの母は領主として火領を治め、姉は次代として誰より期待されている。その二人を見てなお「女性は領主に向かない」と言う兄は、いったい何を見ているのだと。
アウグステラの信奉者である令嬢たちなどは尚更だ。兄の縁談がなかなかまとまらないのも、そのあたりが理由だろう。
少々思考が逸れたが、とにかくあのウィルの反応は火領の女性たちとそっくりだった。女であることそのものが資質の不足と取られることに対する、反発と呆れ。
……やっぱり、ウィルフォードとは別人ね。
ヒルデガルドは確信を強くする。
では、彼女はだれだ。
少なくとも、風領の上層部がこのことを把握していないはずはない。何か……ウィルフォードと自分の縁談に支障をきたす何かが生じたとして、それを隠す、時間稼ぎとして影武者を用意したのなら、それは風領としての方針であり、領主の決定であろう。
仮にウィルフォードの母であるレイネシアの独断とするには、周囲への影響が大きすぎる。それに、おそらく彼女の指導役としてつけられているのだろうアウローラは、次期領主ファビアンの婚約者であり、その母のセイレアから直々に薫陶を受けている。
……風領領主、第一夫人、第二夫人……それに次期領主の婚約者と、おそらく次期領主も。
では、風領の上層部が……もしくは領主一家が家族ぐるみで隠さねばならない、ウィルフォードの瑕疵とは、一体なんだ。
気になるのは二年前の魔力熱だ。大きくなってからかかる魔力熱は、重篤な転帰を辿ることがある。けれど、ウィルフォードが死んでいるという線は薄いだろう。身体的な障害が残ったという線も。
そうであるなら事情を詳らかに火領に伝えれば、同情と惜しまれこそすれ、無理にでも縁談を成立させろとか過大な賠償をしろとかの話にはならないだろう。
……縁談を成立させるのが不可能とまではいかないが、そのままでは風領にとって不利になる事態……?
ヒルデガルドは一つため息をつき、目を閉じた。これ以上は、推測の上に推測を重ねることになる。確実性が薄いし、何より自分には向かない。
情報が足りないなら、まずは集めなければ。
閉じたまぶたの裏に、青が一筋流れる銀の髪がよぎる。
……私のことを騙してたなんて。
あんなに楽しかったのに。
一番の手がかりは、やっぱり彼女だ。
覚悟していなさい、と決意するヒルデガルドの口元は、けれどほんの少し上がっていた。




