風読みのいる鷲台
「まったく、こんな嬢ちゃんを鷲に乗せるとか、何を考えとるんだ」
セリウス来訪の翌朝、日も昇らぬうちからフィルはエルンと共にグラスリーのお屋敷よりさらに高い岩棚の上にある騎乗鷲台に向かった。そこには体格のいい髭面の老人が腕組みをして待ちかまえていた。いや、年齢的には老人で間違いないのだが、そんな言葉の似合わない存在感と、有無を言わせぬ迫力がある。
フィルは挨拶も忘れて突っ立っていたが、彼が文句を言ったのはフィルに対してではないらしい。老人の背後にいたセリウスが肩をすくめる。
「そこはまあ、様々な要因がありまして。私が乗ってきた領主館の蒼風なら、二人乗りで行けると思ったんですが。ドルフさんもいることですし」
「鷲が飛べるかを決めるのは風と鷲だ。俺でも、ましてお前でもねえ」
貴族様……それも領主館で働く偉い人に対して、お前って言ったこの人。たぶんこのドルフという人が、ここの風読みなのだろうとフィルは見当をつける。
大鷲の飛び立つ鷲台には鷲の世話をする鷲係や、鷲が離陸しやすい風と地形を整える風路整備士など、様々な専門職が勤めているが、中でも風読みは花形だ。大鷲の飛行条件を見極める、鷲台の責任者。風読みが飛べないといえば領主だろうが貴族だろうが鷲を飛ばすことはできないのだ。
「……体重はいくらだ」
ドルフが、今度ははっきりとフィルに向かって問いかける。
「え?」
「体重だ。さっさと答えろ」
「……よ、四十八キグ」
なぜみんなの前でそんなことを、と思ったが、その剣幕に押されるようにして答えた。ドルフは、フン、と鼻を鳴らしてセリウスの方を向く。
「セリウス、お前は」
「昨日、館の離陸場では六十七キグでした」
セリウスの答えにドルフは頭をガリガリとかいてため息をつく。
「……合わせて百十五か。乗せたくねえが、無理ではないな。装備はできるだけ外せ。どうせ嬢ちゃんは前だ」
「前?」
「セリウスの前に座って、身を鷲の首元にべたっと伏せるんだ。……いいか、嬢ちゃんは荷物だ。鷲を驚かせたり気を散らすような余計なことはするんじゃねえ。黙って息だけしてろ」
「……はい」
気圧されるフィルに、後ろからそっとエルンが声をかけてくる。
「やめますか?」
フィルは弾かれるように振り向いた。
「時間はかかりますが、馬でだって領主館には行けるのですよ」
一瞬、考えてからフィルは首を横に振る。
「いえ」
背筋を伸ばしてエルンに答えた。
「この機会を逃したら、多分もう鷲に乗ることなんてできないし」
エルンが苦笑する。
「飛ぶことを諦めてはいないんですね」
エルンが風読みに向き直る。
「ドルフさん、ですね。この子を安全に飛ばす手助けを、私からもどうぞお願いします。……なにせ、トビヘビを真似ようとして、スズナリから飛び降りた経験の持ち主ですので」
「ちょ、先生!」
「は?」
ドルフが怪訝そうにフィルを見た。
「トビヘビの真似って何歳の時だ。よく生きてたな」
「私が赴任してすぐのことでしたから、十歳になる前くらいですか?いろいろな要因がありまして」
まじまじとフィルを見る視線が気まずく、フィルはボソボソと反論する。
「三階の窓から枝に乗り移ったんで十モールもなかったです。……せいぜい七か八モールくらいじゃないかと」
「十分高いじゃないですか。よく生きてましたね」
セリウスの呆れ声に、ドルフの笑い声が重なった。
「いや、その感覚は大事だ。高さが二モールずれりゃ風が変わるし、一キグの重さで鷲の負担も変わる。おい!」
ドルフが鷲台の奥に向かって呼びかけた。フィルが目を向けると、岩が庇のようになった洞に、数羽の大鷲がうずくまっているのが見えた。
「領主館から来た鷲の鞍を変えろ。貴族様が子供と乗る時の一番軽いやつだ」
そう言ってドルフも奥に歩いて行く。ドルフの指示に従い、一番手前にいた大きな鷲の鞍が外され、前面が平らに長く伸びている形の物に取り替えられる。その様子を見ていたフィルに、セリウスが話しかける。
「ドルフさんは優秀な鷲の乗り手だったんですよ。一線を引いてからは領主館の鷲台管理と、後進の育成のために、学校の大鷲科の教師をずっとされてたんです。今はそちらも引退されて、グラスリーを中心に領内の鷲台管理をされているんですが、どこかで不具合があると今でもドルフさんが真っ先に呼ばれるらしいですね。上級学校にも時々特別講義を頼まれるようです」
特別講義、とフィルは口内でつぶやいた。そのうち上級学校に行っている兄も彼に教わる日も来るのかもしれない。
ピューっと高い音がした。ドルフが笛を咥えている。手綱を引かれ、鞍を変えた鷲が崖に向かって岩の通路をのしのしと歩き出す。途中、わずかに開けた場所で鷲が足を止めた。鷲は一度崖に向かって首を巡らせてから、その場に伏せた。
「行きますよ」
セリウスに促されフィルは伏せた鷲に近づく。伏せた状態でも近づくとやはり大きい。通路脇の、少し高く盛ってある部分に登って鷲のすぐ横に立つと、鷲はキョロリと金の目玉を動かしてフィルを捉えた。フィルは思わず生唾を飲む。ドルフが首をポンポンと叩くと、鷲は再び前方に視線を向ける。そして首をさらに低く伏せた。
「この縄を体に巻け。腰と腕に通して、鷲に乗ったら端っこの鉤を鞍に繋げ」
「は、はい」
とはいっても、どうやって乗ればいいのか。よじ登るにしても、変なところをつかんだら嫌がられないだろうか。ためらっていると再び声が飛んだ。
「ぼさっとすんな、鷲が迷う。鞍のそこの取っ手をつかめ。……足はこっちだ、固いところにひっかけて、一気にまたがれ」
言われるがままに足で岩を蹴って鷲をまたぐ。なんとか鞍に尻を乗せたが、よろけてべたりと鷲の首にかじりつくような体勢になった。
「よし、いいぞ。そのまま動くな」
言いながらドルフがフィルの体から伸びた縄の先を鞍に取り付けた。
「……」
本当にこれでいいのだろうか。なんというか、すごくかっこ悪い体勢のような気がするのだが。
不意に鷲が後ろにのけぞり、フィルは慌てて取っ手を握る手に力をこめる。背後にセリウスがまたがったのだ。セリウスは鷲の首にべったりと貼り付いたままのフィルの背の上に屈むような体勢で、鷲の頭巾から伸びる手綱をにぎる。
ふと、頬の下の温度に意識が向いた。温かい。微かに鷲が身動ぐ。生きている、と思った。何の気なしに、右手を取っ手から離して首筋の羽毛に触れる。思ったよりも固い、しっかりとした感触だった。手のひらでそっと押してみると、跳ね返るような弾力がある。思い切って力をこめると指が羽根の隙間にずぶりと沈んだ。
(うわ……)
羽毛の中に埋まった指先は表面より温かかった。熱い、と感じる一歩手前の温度。その下に固い感触がある。しっかりと締まってしなやかな筋肉のそれだ。埃っぽいような獣の匂い、ルッカの毛刈りをする時とどこか似た匂いが鼻先に届く。
「何しとる!!」
ドルフの怒鳴り声に、フィルの背筋が伸びて取っ手を掴み直す。ドルフがずかずかとフィルの頭の脇にやってきた。
「首の辺りの刺激は鷲の気が散る。言っとくがその縄は気休めだ。こいつが空で首を振り回したら嬢ちゃんは振り落とされるぞ」
「す、すみま……」
「もう一度言う。お前は荷物だ。いいと言われるまで取っ手を離さず息だけしていろ」
フィルは必死にこくこくとうなずいた。ふん、とドルフがセリウスを向き直る。
「嬢ちゃんが落ちる前にさっさと行け!」
「いえ、私はいいですが」
セリウスが振り向いた先ではエルンが鷲の手綱を受け取っていた。
「ああ……あっちは大丈夫だろう」
え、とフィルは視線だけを巡らせる。どうにか視界の端にとらえたエルンは、意外にも軽やかに鷲にまたがった。
「準備はよろしいですか?」
セリウスが声をかけると、エルンは鷲の首筋をポンポンと叩きながら振り返った。
「大丈夫です。セリウスさんから行かれてください。フィル、ドルフさんに言われたことを忘れないように」
エルンにも念を押されて、フィルは荷物荷物、と口の中で繰り返しながら視線を前に向けた。
「よし、降り口に進め」
ドルフの合図で鷲が再び歩き出す。しばらく進んだところで鷲が立ち止まり、前傾姿勢になった。フィルの視界が広がる。気づけばそこは崖の端っこだった。思わず息を呑む。背筋が寒くなるような高さのその下では、帯状に植えられたスズナリの並木が三方向に伸びている。
伏せたフィルの背の上に影が落ちる。セリウスもかなりの前傾姿勢をとっている。フィルの体の脇で手綱がピンと張った。
「……待て、まだだ。三呼吸後に吹く風に合わせろ。右のスズナリだ」
崖のぎりぎりで風を待つ鷲の足元で、カラ、と小石が転がる音がした。
一拍。
……二拍。
「行け!」
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