大鷲の誘惑と母の心配
大鷲に乗っていくという話に、正直ぐらりと心が揺れた。
シュルクほどではないが、フィルだって空高く飛んでいく大鷲の姿には憧れがある。まして実際に大鷲に乗るなんて、風の領でも一握りにしかできない栄誉だ。
フィルはちらりと父を見た。呆れたような顔をしているが、それでもちょっと考えるような表情になっている。
「あの……」
「フィル!」
フィルの声は母の厳しい声に遮られた。母はフィルと父と、ついでにシュルクのことも睨みつけるように見回す。
「あなたたち何を考えてるの! 大鷲につられて、フィルをお館に行かせるつもり!?」
「いや、そんなことは……」
慌てる男二人を尻目に、母はつかつかとセリウスに歩み寄ると、そのまま勢いよく頭を下げた。
「セリウス様。娘がお役に立てることがあると、大変光栄なお申し出ですが、フィルを一人でお館に行かせるなんて無理です。このように事の重大性もわかっていない子どもでして、お偉い方々の前でどのような無礼を働くことか」
うーん、とセリウスが頬を掻いた。
「こちらが無理を申し上げているのは百も承知で……もちろん作法の足りなさを咎めることなどは決してしません。とにかく、話だけでも聞きに来てもらえませんか?」
あ、とフィルは思った。
この人は、平民の自分達に対してすごく丁寧だし話も聞いてくれているけど、でも譲るつもりはないのだ。
何があるのかわからないが――本当に見当もつかないが、とにかくこの人は領主様の命で、フィルを連れて行こうとしている。
「母さん……」
フィルが頭を下げ続ける母の肩に触れたとき、柔らかな声が割って入った。
「では、私がフィルに付き添うことは可能でしょうか?」
母が弾かれるように声の主を――エルンを見る。フィルも同様に、にこにことした表情を崩さないエルンを見た。
「エルン師」
セリウスの声に被せるようにエルンが言葉を継ぐ。
「何か、簡単に話せない事情があるのはお察しします。ですが、このままでは平行線でしょう。……ですので、親御さんの代わりに私が同行し、フィルの安全と権利に責任を負うというのはいかがでしょうか」
「エルン師が? ……失礼ですが、師はこちらの家族となにかご関係が……?」
セリウスがいぶかしげに尋ねるのに、エルンはうなずいてみせた。
「フィルは私の担当する神殿学校の生徒です。教師として生徒の悩みに向き合い、可能であれば解決のお手伝いをするのは天から任じられた私の役目です。もちろん今回の件に関しては、親御さんから任せられればではありますが」
セリウスが案じ顔になる。それを見た父は顔を上げて、エルンの前に立った。
「エルン先生。フィルのことをお願いできますでしょうか」
「あんた」
いまだ不安げな母の声に、父は首を振る。
「無理を言って付いていかせてもらってたところで、俺たちには領の難しい話なんてわかりゃしねえ。先生がフィルに同行して一緒に話を聞いてくれるなら、それが一番安心で、フィルにとってもいいはずだ」
エルンが、父に向かって頭を下げた。
「頂いた信頼に応えるよう全力を尽くします。エルン=メナ=ルミナエルが、領主館に呼ばれたカルデンのフィルの安全と権利を守りましょう」
エルンの言葉に父と母が揃って頭を下げた。フィルは呆然としていたが、慌てて両親に倣う。
顔を上げると、セリウスが困ったように――多分先ほどまでよりも、本気で困った色のため息をついた。
「……一緒にきていただけますか、エルン師。ただ、事情をどこまで説明させていただくかは、領主様の判断になります」
「もちろんそれで構いません。そしてフィルの安全と権利が保障されないお話のようであれば、そのままフィルを連れ帰ります」
フィルはギョッとした。領主様の遣いにそんなこと言っていいんだろうか。
「その旨も領主様に伝えます。……エルン師は、大鷲にはお乗りになれますか」
フィルの口から「え?」と声が漏れた。エルンがうなずく。
「風領に赴任した際に手解きを受けております」
「では明朝、フィルさんとエルン師でグラスリーの騎乗鷲台まで来てください。鷲を借りて、領主館に向かいます」
「あの、私たちは……」
おずおずと尋ねる母に、申し訳ありません、とセリウスは言った。
「できるだけ人目を避けていただきたい。付き添いはエルン師のみでお願いします。……フィルさんは、髪をまとめて布を巻いて来てください。鷲に乗る時はその方がいいので」
髪、とフィルは青色の混ざるあたりを押さえる。
セリウスはそのフィルの動きを見てにこりと笑った。
「それでは明日、お待ちしています」
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