急報
ひとまず反省会を終えると、セリウスは明日以降の流れを確認するために、シュナは就寝の支度を整えるためにと退出した。
「ウィル様もお疲れでしょう。魔術の制度について復習するならこの辺りかしらね。読んでおくように」
「……」
アウローラがフィルの教科書用にと、分厚い本を数冊持ってきた。
「……ここら辺も、上級学校で教わるんです?」
「上級学校でも教わりますね。私はグラスリーの家と、ここでセイレア様から教わりました。貴族の中には教師を雇ったり親から教わるものもいます」
――上級学校にいけば、いずれわかるよ。
あれはどういう意味なのだろう。フィルに教えるのは早いと言った、シュナの真意も。
「ローラは私がこれを学んでも、問題ないと思います?」
「……知識はただの知識です。特に魔術に関することは。ただ、知識に触れることで世界が広がると、そうセイレア様はおっしゃいました」
それはいつもエルンが言っていることと同じではないだろうか。
フィルが首を傾げた時、館の外から何やら声が聞こえてきた。
「……?」
なんとなく、ヒルデガルドが初めてきた日のことを思い出す。アウローラも同じことを考えたのか、顔をしかめて窓の外を見に行った。その表情が驚きに変わる。
「ローラ?」
そのとき、外から呼びかけが聞こえた。
「失礼します、至急ウィル殿にお目にかかりたい」
エルンの声だ。どことなく焦りというか、緊張のにじむ声にフィルは窓から顔を出す。
「せん……エルン師?」
フィルの顔を見てエルンがホッとしたような表情を浮かべる。けれどすぐに、再び緊張をにじませた。見慣れぬ様子に胸騒ぎを覚え、フィルはエルンを招き入れる。
「エルン師、どうされたんですか?」
エルンが一つ深呼吸をして、それから言った。
「フィル、イルゼさんが産気づきました」
「え……?」
突然出された姉の名にフィルは一瞬呆けるが、次の瞬間ハッと気がついた。
「早くないですか!?」
確かに、領主館に来てからもう一月が経っている。とは言え、まだ産月まで余裕はあったはずなのだが。じわりと、不安の波が押し寄せる。
「だ、大丈夫でしょうか……?」
「予定よりは少々早いですが、早すぎるという事はありません。慣れた助産師も呼ばれました。彼女は全力を尽くすでしょう。……ただ」
エルンの口調は落ち着きを取り戻していたが、それが逆に嫌な予感をかき立てた。
「先生?」
「どうも、お腹の子が火の属性を持っているのではないかと、助産師が」
――属性違いの子の出産は、母体に負担をかけやすい。
すっと目の前が暗くなった気がした。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「フィルは水混じりでしょう?そのお姉様の子が、火の属性なんですか?」
どこか焦ったようなアウローラの声が遠い。フィルはのろのろと答えた。
「ソールさん……義兄が、火混じりなんです。本人は風なんですけど……」
義兄の、赤みがかった銀の髪を思い出す。彼と寄り添う、水色がかった髪の姉の姿も。
「大事をとって、神殿に運ぶよう助産師が指示を出しました。……産月のこともですが、魔力熱に関しては神殿の方が出来ることが多いので」
魔力熱。ここ一月で教わった、魔力に関するあれこれが脳裏に蘇る。
知らず、拳を握っていた。
「……先生、私、姉さんのとこに行きたい」
ぽろりと言葉がこぼれ落ちた。
エルンがうなずく。
「では、私は領主殿に事情をお伝えしてきます。あなたは支度をしてください」
支度、とつぶやいたところで、パチン!と扇子を鳴らす音がした。
「何をモタモタしてるんです、さっさと着替えてきなさい。……エルン師、こちらには大鷲で?」
「はい、グラスリーの鷲台をお借りします。神殿にフィルが鷲で降りるのは、さすがに目立つでしょうから」
「フィル、ルッカに乗る練習用の服があったでしょう。大鷲に乗るならあれが一番動きやすいです」
そう言ってアウローラが動き出す。そして、大鷲館へと向かうエルンをぼんやりと目で追っていたフィルを振り返った。
「しっかりなさい。助産師様もエルン師もついているんです。あなただって、この一月、魔力と属性について多少なりとも学んだでしょう」
叱り飛ばすようなアウローラの口調に、ふ、と緊張が緩んだ。
「はい、ローラに叩き込まれました。」
「得た知識をどう使うかが肝心です。不安がる暇があるなら倉庫から凪咲花でも持ってきなさい。……いえ、神殿ならここから持っていかなくても準備されているかしら」
「エルン先生が戻ってきたら聞いてみます」
アウローラも少し動揺している様子である。フィルのことを心配してくれている、それが伝わって少しくすぐったかった。
◇◇◇
エルンより先に、雲雀館に戻ってきたのはセリウスだった。難しい顔のファビアンも同行している。
「エルン師から事情は聞きましたが、フィルさん、今の状況で勝手に動かれては困ります」
「申し訳ありません、セリウス様。でも、行かせてください」
ファビアンが、いつも「ウィル」にするように、優しく語りかけてくる。
「お姉さんが心配なのはわかる。でも、今はお姉さんは神殿で、助産師様もついていてくれるんだろう? 君が戻っても、できることはあるのかい?」
ぎゅっと手を握りしめるフィルの前に、アウローラが庇うように進み出る。
「ファビアン様は黙っててください」
「……ローラ?」
おそらくアウローラからそんな口調を向けられたことがないのだろう。ファビアンがどこか呆気に取られたように名を呼んだ。アウローラは真っ直ぐにファビアンを見て続ける。
「フィルが、お姉様のそばにいたいから帰るんです。役に立つことがあるかなんて、お姉様の顔を見てから考えればいい」
「アウローラ殿」
セリウスがほとほと困ったという顔をする。
「明日からヒルデガルド様のお相手はどうするんです。流石に不在は困りますよ」
「それをなんとかするのがセリウスの役目でしょう」
後ろからシュナの声が飛んだ。視線を向ければ、シュナとエルン、それからセイレアが立っている。
「行かせておあげなさい。ヴァレリス殿から許可は取りました」
「母上……」
「セイレア様まで……」
そもそも、とセイレアがフィルに視線を向ける。
「そんな顔で館内を歩いたりヒルデガルド殿の前に出たりしたら、怪しいことこの上ないでしょう?」
もっともらしいことを言うセイレアは、フィルを案じる目をしていた。顔を上げたフィルに力強くうなずくと、セイレアはセリウスに向けて穏やかに笑う。
「風の民であるフィルと、その家族の安全と権利を守るのがヴァレリス様の役目ですから。セリウス、補佐はよろしくお願いしますよ」
そう言って、セイレアはフィルに歩み寄ると、そっと頬に触れた。
「大鷲で行くなら、髪もまとめた方がいいでしょう。これを使いなさい」
そう言って、肩にかけていたショールを手早くフィルの髪に巻きつけた。ルッカの高級品の手触りだ、とぼんやり思う。
「セリウス、ウィルフォード殿は熱を出したのでしばらく雲雀に篭ります。万が一、火領のお客人にうつしたら大変ですので」
「……承知しました」
セリウスが頭を下げる。
「アウローラ殿、ヒルデガルド殿に予定の変更をお知らせして。……埋め合わせに花見にでもお誘いしましょうか」
「泥ガニ取りより、楽しい催しになるといいのですが」
「ルッカの毛織物にご興味がありそうとのことでしたけど、編み物などはされるかしらね」
「あら、いいですわね。不得手なら教えて差し上げましょう」
フィルさん、とシュナがフィルの手を握る。
「お姉様とお子に、良き風が吹きますように。気をつけていってらっしゃいませ」
そう言って、フィルをそっとエルンの方に押し出した。
「ヒルデガルド様は先ほど客用館にお戻りになりました。火領の供の方も、今は皆そちらにいます。念のため、大鷲館を通らず裏から鷲台に上がってください。案内は必要ですか?」
「大丈夫です。行きますよ、フィル」
「はい」
フィルは、セイレアの巻いてくれたショールの端をギュッと握りしめ、エルンの後に続いた。




