火領の怖さと天の氏族
「……それはまた」
先ほどとはまた違う方向で、頭の痛そうな表情をセリウスが浮かべている。シュナは無表情、アウローラは困惑顔だ。
「……あの方、何を考えているんです?」
アウローラがつぶやくように疑問を投げた。
「あの方ってヒルデですか?兄君ではなく?」
「兄君の危険思想については理解の外です。というより理解しようとすることがすでに危険です。……私が申し上げているのは、いくら婚約者とはいえ、他領の領主一族に、兄のそんな危険思想を漏らすヒルデガルド様の危機管理です」
「……危険思想、ですか」
これに関しては、フィルの感じるものより実際に領主一族と深く関わるアウローラやセリウスたちの感覚の方が一般的なのだろう。
セリウスが頭を掻きながらつぶやく。
「ウィル様との間の信頼関係ですとか、あえて先に軽く伝えておくことで他から漏れた時の衝撃を軽減するとか……。まあ、ヒルデガルド様なら、ウィル様から我々に伝わることも織り込み済みでしょう」
「……そうなんですか?」
「ヒルデガルド様はウィル様のことをきちんと評価していらっしゃると思いますよ。少なくとも、縁戚関係になる家族が危険思想を持っているかもしれないなんて重大なことを、大人に相談しないほど愚かとは考えないでしょう」
フィルとしては伝えるべきかどうか結構迷っていたのだが。まあそこは統承制度について理解はしても実感が薄い平民として割り引いてもらいたい。
……実感。
結局のところ平民のフィルにとって、貴族の感じる身分や領主制度、天の法などの重要性は、アウローラたちに叩き込まれて記憶はしても、それに逆らうことに対する畏れを実感できていないのだ。
──お姉様が死ねば、お兄様が一位に繰り上がるわね。
例え話とはいえ、こともなげに言ったヒルデガルドの口調には恐怖を覚えたが、それもどちらかというと、統承云々より「お姉様が死ねば」という忌み言葉に対する恐怖だった。
「危険思想の扱いに関しては、火領の領主様からアウグステラ様に対する課題なのでは」
シュナがぽつりといった。
「ゲルトルート様の気質からして、息子の危険思想を放置しておくのは不自然と思ったのですが……ひょっとすると、跡取りであるアウグステラ様が弟君に対してどのように手を打つか、確かめようとなさっているのでは?」
フィルはギョッとした。何それ怖い。
「危険思想も、火領の領主様の仕込みってことですか?」
「さすがにそれはないでしょう。リヒャルト様がそのような発言をしたというのは事実だと思います。ですが、対処に関しては跡取り殿に任せている可能性はあるのではないかと。統承二位である弟を諌めるのか、排除するのか。跡取り殿がどう判断するか見ているのでは」
何それ怖い、以外の言葉が浮かばなかった。セリウスがふむ、とうなずく。
「リヒャルト様は十七歳でしたか。成人前に片をつけるというのはありそうですね。……だとすると、アウグステラ様の判断如何によっては、ヒルデガルド様が統承二位に繰り上がると」
「……あの」
フィルは恐る恐る挙手する。
「統承とか、天の定めに異を唱えるのが危険思想というのはよくわかるんですが、それって統承を剥奪されるような内容なんですか……?」
ふう、とアウローラが息をついた。
「他の方であればそこまでにはなりませんね。神殿は個人の意見を封殺することを良しとしません。わかりあうために言葉を尽くすことを推奨しています。けれど、さすがにこの場合は……」
「持っていき方次第でしょうね。統承一位に対して領主の資質を問うことは誰にでも許されますが、それをするのが統承二位の持ち主であり、しかも理由が性別では……。自分が領主になるために、天の定めに異をとなえ危険思想を振りかざしていると、そちらの方が火領の統承に相応しくない、と天に訴えることは可能でしょう」
「それって、火領の領主様的にはいいんですか?息子ですよね?」
「今の段階では、統承を外されたとしてもそれ以上の罰はないでしょう。アウグステラ様は情に流されず危険思想について処理できる優秀な統承一位のまま。その下にヒルデガルド様も弟妹の方もいらっしゃいます。……統承に余裕があるのは羨ましい限りですね」
最後は少し自嘲気味に、セリウスがつぶやく。セリウス、とシュナにたしなめられて、セリウスは誤魔化すように咳払いをした。
「火領って……」
思わずつぶやいたフィルにセリウスが苦笑する。
「火領が特別厳しいということはないですよ。それだけ、領主という役目に課せられる責任が重いということです。……どちらかといえば、私は天の方々の方が、よっぽど恐ろしいと思いますが」
「え?」
思わぬ話の方向に、フィルはきょとんとした。
「セリウス」
シュナが小声で諌めるが、セリウスは肩をすくめて続けた。
「あなたは火領の持つ武力や統承に対する姿勢に恐れを抱くようですが。……私からすれば、あなたのエルン師に対する気安い態度が理解できない」
一瞬、セリウスが何を言っているのかわからなかった。フィルの理解を置いてきぼりに、セリウスは続ける。
「だってあの方は天属性ですよ? 我々が対抗できない火領の武力を、その気になればお一人で制圧することだって可能なんじゃないですかね」
どこか投げやりなセリウスの言葉に、フィルはぽかんと口を開けた。エルンが、一人で火領の武力に対抗できる?
「天の氏族は四領の調停者です。それはつまり、四領に言うことを聞かせられる『力』があるということに他ならない」
「それは、そうかもですけど」
……そう答えた瞬間、蘇ったのは、ぐんぐんとせまる地面。一瞬、時間が止まったような感覚を覚えた後、宙でひっくり返ったフィルの体。
――とっさにその勢いの風を吹かせるには、かなり属性が強くないと……
奇しくも今日、ヒルデガルドに話した場面を思い出す。木から落ちた子どもをとっさに受け止めるだけの風の魔術を行使できる、その力。
しかも天属性である彼は、他の三属性も同様に使えるはずだ。文字通り、自分たちを吹き飛ばすだけの強さがあるというのは、その通りなのだろう。
「……でも、先生は、先生です」
それでもきっと、転がり落ちたその言葉が、フィルのエルンに対する全てだ。
セリウスが苦笑する。
「ええ、そうです。調和を掲げるあの方々は、平和に生きる者を害することなどしません。ただそれでも、あれだけの力を持ちながら、あなた方に慕われ領地に溶け込んでしまう天のお方を、逆に恐ろしいというか……理解できないと思うことがあるのですよ」
「いい加減になさい、セリウス!」
シュナが目を釣り上げて立ち上がる。
「天のお方に対してそのような……他領の方を危険思想などと言っている場合ですか!」
「フィルさんは上級学校に入るんだから、いずれわかるよ」
呆気に取られていた頭の隅で、そんなもう進学が決まったみたいに……とフィルは思った。というかセリウスの物言いが引っかかる。上級学校に入ったら、天氏族の何がわかるというのだろう。
「余計に悪いです!まだ何も知らない子どもに言うことですか!」
なんとなくアウローラを振り返った。フィルの視線に、アウローラは困ったように頬に手を当てる。……フィルに教えるのは早いと、アウローラも思っているのだろうか。
「ええとですね、フィルさん」
「はい!?」
いきなり名を呼ばれ、フィルは上擦った声で返事をした。セリウスが咳払いを一つする。
「私は上級学校では秀才で鳴らしていましたが、鷲に関しては落第スレスレでした。乗り手を引退して鷲科の教鞭をとったばかりのドルフ先生がいなかったら、卒業できず、ここにいなかったかもしれません」
「…………」
いきなり何の話が始まったのかと思った。
「鷲は人を見ます。腰が引けている乗り手の言うことは聞かないし、学生たちなんて最初はてんで舐められています」
「セリウス様は舐められてたんですか」
「ものすごく」
重々しくうなずくセリウスに、フィルは押し黙った。
「ドルフ先生につきっきりで補習をしてもらって、どうにか形になりました。今も領主館の大鷲たちには挨拶回りを欠かしません。もし緊急で飛ばなくてはいけない時、大鷲との間に信頼関係があるかで話が変わってくるからです」
大鷲に挨拶ってなんだ、とフィルは思った。
「……大鷲って賢いんですね」
一つ分かったのは、自分を大鷲に乗せたのは落第スレスレの乗り手だったという事実である。
どうにか絞り出した感想に、セリウスは力強くうなずいた。隣のシュナは頭痛を堪える顔をしている。
「ところが、エルン師は、風領に赴任した際に『手ほどき』を受けただけで、五年経ってほぼ初対面の鷲と、あっさり飛んでみせる。ドルフ先生も『大丈夫だろう』ってそれだけで」
フィルは瞬きをした。
「……それが、セリウス様がエルン先生を、理解できないと思う理由ですか」
「そうです」
セリウスが真剣な顔で肯定するのに、フィルはなんと言ったらいいかわからなくなった。
助けを求めるようにシュナを見る。シュナはフィルの視線に気付くと、そっと首を横に振った。




