火領の心配事
泥ガニ取りの川原から街へと戻ってきた二人である。
途中、ちらりと火領の侍女が見えた。泥ガニ取りにヒルデを参加させたところも見られてたかな……とフィルは思った。まあ止めにこなかったのだからいいのだろう。
「うわ」
通りに出ている屋台を眺めていた二人の間を、にゅっと銀色の毛並みが通り過ぎた。そのルッカは振り返りもせず、ゆっくりと通りを抜けていく。行き交う人も、誰も気に留めていない。
「今のは荷運びのルッカ?」
「そうです」
銀色が人混みに紛れていくのをヒルデガルドが目で追う。
「どこに行くのかしら」
「空荷ですからね。多分、自分の駅小屋に帰るんでしょう」
ヒルデガルドが瞬きをした。
「……誰もいないけど?」
「ルッカは賢いんです。ちゃんと帰りますよ」
「逃げちゃったりしないの?」
「たまにいますね、帰ってこない迷子」
「どうするの」
「他のルッカに紛れて戻ってくることもありますし……本当に迷うやつは、そのうち探しに行きます」
「……ずいぶんとのんびりなのね」
少し呆れたような声音である。
「帰巣本能というか、巣に戻る習性が強いみたいです。風の流れで道を覚えるとか、自分の匂いを辿るんだとか、いろいろ言われてますが。丘陵の方で飼われてる風毛ルッカなんて、柵で囲ってないのもいますし」
「風毛ルッカ? 毛をとるやつと今のは違うの?」
「風毛の方は毛が長い品種です。今の時期は毛刈りが済んでますから見た目もそんなに変わらないですが、風の季になると風毛の方はもっこもこになって、別の生き物みたいになりますよ」
ふふ、とヒルデガルドが笑った。
「じゃあ今度はその時期に来ようかしら」
「今の時期でも、刈った後の短い毛が銀色に光ってきれいですよ」
フィルの言葉に、ヒルデガルドが笑う。
「そう言ってたわね。連れて行ってくれる?」
「……ええと、僕なんて書きましたっけ」
調子を合わせて適当な受け答えをするな。わからないことは忘れたととぼけろ――今さらだがそんな助言を思い出す。
というか、思ったよりヒルデガルドとウィルフォードのやり取りが親密だった様子なので、うかつに突っ込んではいけないと今更ながらに危機感を覚えた。
「風領にはルッカという動物がいるって。銀の毛並みが風に揺れる様子を私に見せたいって、そう書いてくれたのよ」
忘れちゃった? と尋ねてくる様子は拗ねたり機嫌を損ねているようではなかった。というか、それを書いた時のウィルフォードはいくつだったんだろう。
「できればお見せしたいですけど、風毛を飼っているのはもっと郊外や、丘陵の方が多くて……」
「そうみたいね。日程が取れたらいいけれど」
自領の若君と火領の姫君が視察できる風毛ルッカの牧場って近くにあるかな……とフィルは思った。もしあったら申し訳ない。
距離的にありえないが、仮にフィルの家にそんなお偉いさんが視察に来たら家族全員ひっくり返る。
話を逸らそうと、フィルは視線を巡らせた。
「ヒルデ、買い食いは大丈夫ですか?」
屋台を指差せば、ヒルデガルドは笑顔を見せる。
「魔害駆除であちこちに呼ばれると、そこの料理が食べられて楽しいのよね。風領の屋台も食べてみたいわ」
さっそく先ほどの泥ガニ取りの報酬を使って、屋台の料理を買い込んだ。腸詰を串に刺して炙ったもの、香草とハムを挟んだ薄焼きパン、団子と野菜の入った汁物。どれも風領では一般的な屋台料理だ。
昼の時間を幾分過ぎたからだろう、広場は忙しなく通り過ぎて行く人が多い。四人掛けの椅子の真ん中にハンカチを広げ、そこに料理を置いた。お茶も片付ける寸前の屋台からおまけしてもらった。
「ええと、毒味した方がいいでしょうか」
ヒルデガルドが笑う。
「一緒に食べるのだからいいでしょう。私が先に取らせてもらうわね」
腸詰の串焼きに、ヒルデガルドが豪快にかぶりつく。フィルも薄焼きパンを手に取った。
――街に商品を売りにくる時、昼によく食べた味だ。
なんとなく懐かしくなる。領主館にきて、まだ一月だというのに。
ふと、ヒルデガルドがこちらを見ていることに気づいた。
「……ヒルデ?」
薄焼きパンを持ったまま尋ねれば、ヒルデガルドはにこりと笑った。
「なんでもないわ。……ウィルの方こそ、私に何か、聞きたいこととかはないの?」
ヒルデに問われ、まずは落ち着いて口の中のパンを咀嚼する。飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「聞きたいことというか、その……ちょっと気になってはいるんですけど」
「なにかしら」
「ヒルデは、その、婚約者が他領の僕でいいのでしょうか」
「どうしたの、急に」
「僕はその、年下ですし、あまり体も丈夫でなくて。ヒルデみたいに強力な魔術を使ったり責任のある仕事をしたりもしていないし」
「あなたはまだ十二でしょう。そんなに焦らなくてもいいと思うわ」
ヒルデガルドが首を傾げる。
「そうでしょうか……」
頼りなげに見えるだろうか、とフィルはあいまいに視線を落とす。パンを食べ終わっていてよかった。隣で、ふう、とヒルデガルドがため息をつくのが聞こえた。
「……ウィルは、うちのお姉様とお兄様のことは知ってる?」
唐突に聞かれ、フィルは姿勢を正してヒルデガルドを見た。大丈夫、姻戚関係はアウローラに叩き込まれた上、ちょうど昨日、エルンが復習の授業をしていったところだ。
「長姉のアウグステラ様と、次兄のリヒャルト様、ですよね」
ヒルデガルドがうなずく。
「お姉様は弓が得意なの。鏃と矢羽に火の魔力を乗せて、谷を跨いだ先にいる火山トカゲだって射抜いて爆散させるわ」
「爆散」
火の魔力を武器に乗せるだけでどうやって爆散させるのだろう。さすが火領の一の姫……というかヒルデガルドにも同じことができるのだろうか。
顔に出たのか、ヒルデガルドがくすりと笑った。
「同じことは無理ね。魔力を使うことで矢を遠くまで飛ばすこともできるけど、お姉様は単純に使っている弓も強いの。私にはまだ無理」
それは近距離のトカゲなら爆散させることができるということだろうか。しかもヒルデガルドは「まだ無理」と言った。いずれはできるようになるのだろうか。
「お母様の名代として火領の各地も回って、領主の補佐もされているのだけど。……お兄様は、女性の身で火領の領主という重責を負うのには無理があるのではないかなんて、度々おっしゃるの。狩師の職だって、女性には負担が大きいだろうって。どこまで本気なんだか」
「……へ?」
そんな話は初めて聞いた。四領は長子相続が原則だ。領主家と比べ物にはならない規模だが、フィルの家だって次代は姉のイルゼが家長だ。
「火領は武勇を尊ぶ土地柄と承知していますが……男性の方が後継者に優先されるのですか?」
「そんなわけないでしょう。領主の認定は神殿法に則るものよ。領地で変えることなんてできないし、神殿だってそんな跡取りは認めないでしょうね」
「ですよね……。というか、その理屈で言えば、火領では最も武勇に優れたものが領主になるのでは」
ふふ、とヒルデガルドが笑う。
「神殿に怒られるわよ、ウィル。後継を決めるために争うなんて調和が乱れる元だって」
「そうでした。でも、一番強い者が領主になるのでなければ、他に男性が跡を継ぐ方がいい理由ってあります?」
ヒルデガルドが軽く首を傾ける。
「男性領主の方が複数の子を持ちやすいというのは、まあそうよね」
確かに、女性領主が一度に産める子は基本一人かもしれない。けれど。
「ですが、それじゃうちだって、セイレア様とレイネシア様だってお子は一人ずつで」
「……ウィル」
何やら意味ありげにヒルデガルドがフィルを見つめる。フィルが見つめ返すと、ヒルデガルドはふう、とため息をついた。
「わからないわよ、風領のどこかにあなたの異母弟や異母妹がいるかも」
「そんなこと……!」
ないです、と反論していいのだろうか、これは。フィルは判断に迷う。というか実際そういうことはあり得るのだろうか。どっちにしろ認めてしまうにはまずい気がするから、やっぱり否定が正解だろうか。
動きを止めたフィルに、ヒルデガルドが声をあげて笑った。
「ごめんなさい、からかいすぎね」
「ヒルデ……」
「あなたのお父様がそういうことをしているといいたいのではないわ。……仮に、どこかにお子がいたとして、統承を受けなければ領主の後は継げないのだし」
統承、とフィルはアウローラと昨日のエルンの講義を思い出す。
領主家の子供は一歳になると生まれ順に統承認定を受ける。性別も、親の出身や肩書きも関係ない。天の神殿に後継候補として届けてあるその順番通りに跡を継ぎ、領主や外戚の恣意で後継順を覆すことはできない――
「ん?」
フィルは眉を寄せる。
「あの、ヒルデ」
「なあに?」
「今さらですが、アウグステラ様が、火領の統承一位ですよね?」
「そうよ」
「リヒャルト様が二位で、ヒルデが三位」
「その通りね」
「……統承順を覆すことなんてできるのですか?」
「そうね、病気や怪我で領主の任に耐えないと天神殿に申請して変わった例はあるそうよ。ただ神殿側からも人が来て、実際にどの程度の症状か確認されるそうだけど」
それはそうだ。領側の申し立てだけで済むのであれば、統承順を変えることなんて簡単だろう。それをさせないために神殿側の制度があるのだから、それは四領において不可侵に近い。
ふっとヒルデガルドが笑う。
「まあ、そんなまだるっこしいことしなくても、お姉様が死ねばお兄様が一位に繰り上がるわね」
「ヒルデ!?」
突然の忌み言葉にギョッと叫んだフィルの口に、ヒルデガルドが人差し指を当てる。
「そのための統承順位よ。後継者に何かあった時に混乱しないように」
ヒルデガルドの笑みが深くなる。
「だからね、もしお兄様が本気で言っているなら、だいぶ迂闊だと思うの。だって、統承を覆すようなことを公言している中で一位に不幸があれば、自分がやったと言っているようなものじゃない?」
「ヒル、デ」
「仮に偶然だったとしても、疑いは向くでしょうね。それこそ神殿だって人をよこすかもしれないわ」
ヒルデガルドが真顔に戻って肩をすくめる。
「脅かしてごめんなさいね。たぶんお兄様は、そこまで悪辣な方ではないわ。むしろ悪気なく思ったことを言ってるだけなんじゃないかと思うの。……考えが足りないには違いないけど」
ふう、とヒルデガルドがため息をつく。
「お兄様も来年で成人なのよね。今までは子どもの戯言と見逃してもらえたけど、そろそろ落ち着いてもらいたいわ」
そしてヒルデガルドはフィルに意味ありげな視線を向けた。
「万が一のことがあったらどうなると思う? 私が繰り上がるとかいう最悪の目がありうるのよ」
「最悪、ですか?」
フィルは首を傾げる。ヒルデガルドは領主になるのがいやなのだろうか。と、ヒルデガルドが冗談めかして笑った。
「だって領主になってしまったらあなたとの結婚が遅くなるじゃない」
「あ……」
領主の第一子には、同属性の子が望まれる。つまり、ヒルデが領主になったとしたら、最初に産む子の父親には同属性の……火の領の出身であることが求められるのだ。
それは法で決まったことではないけれど。
「それは……いやですね」
自然に言葉が滑り落ちた。ウィルフォードならそういうと思った。そして、フィルとしても、嫌だと思った。
自分はヒルデガルドを騙している。ヒルデガルドの向けてくる親愛は、「フィル」に対するものではない。
それでも、フィルはこの数日でヒルデガルドのことが好きになった。フィルなりに友情を抱いていると言ってもいい。貴族様たちが政略結婚をするのは必要なことなんだろうけど、それでも友達には、ちゃんと好きな人と幸せになってほしい。
「万が一よ」
「万が一でもです。……もし、万が一でもそんなことがあれば、風領に来てしまえばいいと思います」
「え?」
「市井に降りて暮らせばいい。ヒルデなら大丈夫です。強いし、物知りだし、色々なことができるし。……僕も、助けますから」
ヒルデガルドが瞬きを繰り返す。フィルはそっと顔を背けた。気恥ずかしいようでもあったし、彼女の目が誰を見ているのか気になった。
スッと手が伸びて、フィルの手に重なる。
「そんなことを、言ってもらったのは初めてよ」
ヒルデガルドが、フィルの顔を覗き込むようにして言った。
「もちろんあなたも一緒なのよね?」
「はい」
初めて明確に嘘をついたとフィルは思った。そんなことを風領が許すはずもないし、そもそもヒルデガルドが一緒にと望む相手はウィルフォードであって自分ではない。
申し訳なさを表情に出さないように、フィルは一生懸命笑顔を作った。




