泥ガニ取り
「いいものってなに?」
馬車から降りたヒルデガルドが尋ねるのに、フィルは赤い旗を指差した。
「あれです。カニ旗」
「カニ?」
「ええと、魔害注意かな」
ヒルデガルドが目を見開く。
「魔害って、大変じゃない!」
ヒルデガルドの反応に、フィルはにこりと笑う。
「大丈夫です。あれは大変になる前の段階ですから」
「……大変でない魔害なんてあるの?」
「いえ、大変には違いないんですが。あ、見えてきた」
スズナリの林を潜り抜け、小川に沿って進んで行くと、人だかりが見えてきた。大人は数人で、ほとんどが子どもだ。
「こんにちは」
フィルが声をかけると、大人の一人が振り返った。
「カニ旗が上がってましたけど、泥ガニ取りやってますか?」
「ああ。……どこの子だ?」
「グラスリーから来たんですけど、時間が余って。そしたら旗が上がってるのが見えたから」
男がフィルと、それからちらりとヒルデガルドを見る。
「そっちの嬢ちゃんは初めてかい?」
「カニ旗とやらは初めて見たわ」
ヒルデガルドの返事に、男はちょっと首を傾げた。
「他領者か。……二人とも小綺麗な格好だが、泥がついても大丈夫か?」
「大丈夫ですか?」
フィルも重ねて尋ねれば、ヒルデガルドは不敵に笑った。
「泥くらいで怯むと思って? ……まあ泥にも色々あるけど、見たところ、子どもが参加して問題ないんでしょう?」
ウィルの勧めだしね、とヒルデガルドがつぶやくのに、フィルはにこりと笑う。
「楽しいですよ」
そこで子どもたちの前にいた男が手を叩いて注目を集めた。
「よし、お前たち、小遣い稼ぎの時間だ。今日の範囲はこの川だ。上流の湖は狩師が担当してるから近づくなよ。下流は木立が途切れるまでだ。街に入るんじゃないぞ。追われた泥ガニが街に出ると面倒だからな。桶はここにあるのを使え。自前のを使ってもいいが、逃すなよ」
子どもたちがわっと散らばっていく。フィルはふたのついた桶を一つ借りて、ヒルデガルドに声をかけた。
「行きましょう」
川原を歩きながら、カニのいそうな草の茂みを探す。
「ヒルデ、こういう場所なんですけど」
半ば水に浸かった石を指差すと、ヒルデガルドが目を細めた。
「……いるわね。魔力持ち」
わかるんですか、とうっかり言いかけて危うく口をつぐんだ。
魔力属性の強い狩師は魔力の存在に敏感なのだと聞いたことがある。ヒルデガルドがそうなのは納得だが、ウィルフォードがあまり鈍感なことを言うのはまずいだろう。
ごまかす代わりに、風を集める。狙いを定めて石に向かって手を出せば、風を一点に受け、一抱えほどある石がゆっくりと一回転した。続いて、石がどいた地面に向かって、上から風を吹きつける。そのまましばらく待っていると、土にポコポコと空いていた穴から空気の泡がぶくぶくと上がってきた。
「出てきました、ヒルデ、捕まえて」
「……素手でいいの?」
「毒もないし魔力攻撃もしてこないです。まあちょっと周囲に風を吹かせたりはしますけど」
フィルも風の操作をやめて、穴から這い出してきた指でつまめるくらいの小さなカニを桶に放り込む。
「ねえウィル」
「なんでしょう」
「……カニ、すごく多くない?」
フィルはうなずく。周囲にあった小さな穴から、次から次へとカニが這い出してきている。
「今年の水の季はあったかかったですからね。卵がすごく孵るだろうって狩師が言ってました」
言いながらもフィルはせっせとカニを取る。この分ならすぐに桶がいっぱいになりそうだ。
「この辺の浅瀬にいるのは今年産まれたやつなので小さいし、大したことはないです。ただ、数が多いと川から溢れ出して、下手すると水路とか生活用水に入り込むので、今くらいの時期に間引くんですよ」
「ああ、あの旗はその合図? ……この辺のは小さいって言ったけど、大きいのもいるの?」
「数年超えると急に大きくなりますね。そういうのは上流の湖とか、もう少し深いところにいます。ある程度の個体数のうちは水をかき混ぜてきれいにしてくれるんですが、多分今年は狩らないとダメだろうって言ってました。狩師の人たちは泥ガニが生息してる地域を巡回して、必要に応じて大きいのを狩ったり、そこの子どもに手間賃出して間引かせたりするんです」
「なるほど。……小遣い稼ぎって言ってたけど、よそ者が混じっちゃってもいいの?」
「早い者勝ちです」
しれっといえばヒルデガルドが笑った。
「確かに獲物の譲り合いなんてしてられないわね」
「まあ、あんまり小さい子たちには多少手心も加えますが」
フィルは、少し離れた場所で泥ガニを追い回している、兄弟だろうか、まだ十にもならないくらいの子どもたちに視線をやった。
「ちゃんと捕まえろよ!」
「だってこわいよ!」
弟が逃げ腰になっているのを兄が叱っているようだ。
「今年が初めてかな」
フィルは苦笑する。転がした石の下から這い出してきたカニをあらかた取り終えたと判断し、フィルは兄弟に近寄った。
「ケンカするなよー」
弟を威嚇してハサミを振り上げている泥ガニを、背後からひょいとつまみ上げて桶に入れてやった。
「ハサミとか足をつかむと切って逃げていくから気をつけなよ。……うん、まだかなりいそうだね」
「ここは俺たちの場所だぞ!」
兄の方が大声を出すのに、フィルは身をかがめる。
「でもまだあの辺、泥の下にいっぱいいるのわかる?」
「……」
「兄ちゃん風吹かすの下手だもん」
弟が告げ口のように言いつけてくるのをフィルはたしなめた。
「そういう言い方はケンカになるよ。神官様に泣かれる」
途端に二人とも口をつぐむのに、フィルは苦笑してヒルデガルドを振り返る。
「新しい桶をもらってきましょう。いったんこれも預けて」
「そうね」
ヒルデガルドの持つ桶の中でガサガサ音が聞こえた。
「ちなみにこれはどうするの?」
「狩師の人たちが目方と魔力量に応じて手間賃をくれます」
ヒルデガルドが軽く桶を上下させる。
「まあまあの稼ぎになるんじゃない?」
「そこそこですね。ただやっぱりしばらくすると浅いところにいるのは取り尽くしちゃうので、そのあと奥の方まで深追いするか、生活排水の入り口まで手伝うと結構まとまった額になります」
「ああなるほど。狭いところを子どもたちに追ってもらうのかしら」
「そんな感じです。下流は街に近いので、狩師の人たちがしっかり見張ります。逃がすと家の水道の中とか、下手すると台所で干し魚にたかってたりするので」
「……それはいやね」
顔をしかめるヒルデガルドにフィルは笑った。
「ヒルデはこういうのに有効な手段とか持ってないですか? 火の魔術で出てきたとこを一気に焼いちゃったりとか。あ、灰にならない程度に」
ヒルデガルドが苦笑する。
「そんなことしたら怒られちゃうわ。許可も取ってないのに」
「許可?」
首を傾げると、ヒルデガルドが瞬きをする。
「火の魔術で何か物を燃やすには、申請と許可がいるのよ」
「そうなんですか!?」
フィルは思わず声を上げる。魔害駆除の場面で危険な目にあったとしても、火領の狩師たちなら炎を出して颯爽と切り抜けるのかと思っていた。
「うかつに火を出して、建物や人の物を燃やしちゃったりしたら大変だもの。もちろん炊事の時にちょっと火を起こすくらいはやってもいい……というか目こぼしかしらね。道具で着火する範囲を自分の魔力でやるくらいなら。でも薪や炭に火をつけるとしても、ずっと自分の火で食べ物を焼いたりはしないわね。魔力効率も悪いし」
それはそうかもしれない、とフィルは思った。食事や風呂のたびに、いちいち魔力切れを起こしてはいられないだろう。
「風領でも、さっきあなたがやったみたいに石を転がすくらいならいいんでしょうけど、木を薙ぎ倒したり、生き物を吹き飛ばすような風は規制されてるんじゃないかしら。……要は、周囲に与える影響によって制限がかかるのよね。魔害駆除に出るときは前もって、何を駆除するのに誰がどの程度の火を使うって申請しておくの。他領ならなおさら厳しいわ。……火の魔力が、恐れを呼ぶのは良くないから」
最後は少し小声だった。フィルは浅慮を悟る。
「でも、行った先で別の魔害に出くわすとか、思ってもみなかった事態になるとか」
「新米が赤翅蜂の巣に突っ込んだりね」
ヒルデガルドはくすくすと笑った。
「さすがにその辺りは融通を利かせてくれるわね。狩師隊の隊長には、魔術使用条件を見極める権限もあるし」
「魔術使用条件……さっきおっしゃった、周囲に与える影響ってやつでしょうか」
先ほどヒルデガルドの言った例を思い出し、あれ、とフィルは思う。
「あの、ヒルデ」
「なに?」
「……例えば、三十キグくらいの物体を浮かせるような風って、許可なしで使えるんでしょうか」
ヒルデガルドが瞬きをする。
「場所や条件にもよると思うけど。でも三十キグが飛ぶならそこらへんの岩とかも飛んでいきそうね。どこで、なにを飛ばしたの?」
「……木から落ちた子どもを、地面に激突しないように支えました」
ヒルデガルドはゆっくりと首を傾げた。
「……人としても魔術の使い道としても、正しい力の使い方だとは思うけれど。ただ、威力だけで考えるなら、許可なく使ってはいけない規模の風じゃないかしら。というか、風の魔力のことはよくわからないけど、とっさにその勢いの風を吹かせるのは、かなり属性が強くないと難しいわよね?」
「……そうかもしれません」
「ウィルが落ちたの?」
「違います」
嘘ではない。スズナリから飛び降りたのはウィルフォードではないから。
「ふうん」
ヒルデガルドは意味ありげに相槌を打った。
「ねえ、ウィル」
「なんでしょうか」
「私だってあなたが危険な目にあったら、許可なんて待たずに魔術を使うわ。……まあ、木から落ちたところを火の魔術で助ける方法については、ちょっと考えておくけど」
「ですから、落ちたのは僕ではないです」
そこでカニの提出場所に着いた。桶一杯分の手間賃と、新しい桶を二つ持って元の場所に戻る。
「まあ、それはそれとして、特に申請もせずに他領でカニを燃やしましたって言ったら、たぶん始末書ね」
「……考えなしなことを言って、すみません」
ヒルデガルドが悪戯っぽく目を輝かせる。
「要は、派手に火を出したり生き物を燃やしたりしてはいけないのよね。……これくらいなら、『目こぼし』の範囲内かしら」
ヒルデガルドが、カニの隠れる穴のたくさん開いている地面に手を当てた。
「ヒルデ?」
フィルと先ほどの兄弟が見つめる中、一瞬、ヒルデガルドの束ねた髪が浮き上がったように見えた。
「……なんだか、蒸し暑くない?」
弟の方が兄に尋ねる声が聞こえる。フィルは地面を凝視していた。ぬかるんだ地面が、陽炎のように揺らいで見える。
……いや、陽炎というより、湯気?
「兄ちゃん、あれ!」
子どもが指差す。
まず一匹、そして次々と、泥ガニがわらわらと這い出してくる。
「捕まえて!」
フィルが声を上げると兄弟たちはハッと気づいたように泥ガニを捕まえ始めた。あっという間に桶がいっぱいになっていく。
「おい、どうした?」
周囲の子どもたちも異常に気づいたようだ。
「なんかここだけ暑くね?」
「地面も熱い……あ、カニ!」
「桶ちょうだい!」
狩師の大人が様子を見にきたところで、ヒルデガルドは何食わぬ顔で立ち上がった。狩師は温度の上がった泥の上で眉をひそめて、一瞬こちらを――布を巻いてはいるが、赤い髪を完全に隠しているわけではないヒルデガルドを、ちらりと見た。
「ウィルはもういいの?」
どことなく得意げに、ヒルデガルドが尋ねてくる。フィルははっと気がついて桶を取りに走った。狩師はフィルにも意味ありげに視線をよこす。
「たくさん取れそうか?」
「そうですね」
余計なことを言わずに笑顔を向ける対応は、ここ数日でめっきり鍛えられた気がする。狩師はため息混じりに「あんまやりすぎるなよ」と言って新しい桶をくれた。
結局、最初の分と合わせて五個分の桶を満杯にして、十シル硬貨五枚を手に入れた。




