領都見学
……なぜこんなことになっているのだろう。
「ウィル、あれは何かしら」
「あれがルッカの駅ですね。……寄ってみますか?」
フィルの腕を取るヒルデガルドが、ぱっと笑顔になった。
◇◇◇
朝食を済ませてから、ヒルデガルドに領都の郊外を案内するように、とセリウスから指示があった。
「昨日は領都のスズナリや防風林、風車街をお見せしました。要は、風領の魔力防災機構の見学ですね」
領主一族の視察っぽいな、とフィルは思った。セリウスがじとっとした目でフィルを見る。
「……なんでしょう」
「スズナリの林を一緒に歩きたいと、ヒルデガルド様におっしゃったんですか?」
フィルは仰天した。
「言ってませんが!?」
「とても残念がっておられました。ウィルが案内してくれると言っていたと。スズナリの葉擦れの音を一緒に聞こうって言っていたのに、と」
「なんの口説き文句ですか?」
呆れて口を開けたフィルを、外出の支度を手伝っていたシュナが援護する。
「……セリウス。ウィル様がそれをおっしゃったら、失礼になってでも口を挟んで止めます。アウローラ殿でしたら割って入ってうやむやにすると思います」
「そうですか……」
フィルはこくこくとうなずいた。
「婚約者お二人の親交を深めるという名目の外出ですので、お二人で話すことが増えるとは思うんですが、できるだけ私から離れないように。うかつに勢いで返事をせず、優柔不断な雰囲気を出して、なんでも私に確認してください」
「……承知しました」
みんなが口をそろえて、「うかつに返事をするな」というのはなんなのだろう、とフィルは思った。
「本当はアウローラ殿にもご一緒いただきたかったのですが……」
セリウスがため息をつく。まあ仕方ないよな、とフィルは思った。この間の野掛けではないが、婚約者との親交を深めるお出かけに義姉がついてくるのはダメだろう。
「アウローラ殿を話題に出すのは構いませんからね。病弱設定と周囲の女性に対して甘え上手なのは両立します」
「そんなものですか」
「そういうものです」
「あら、セリウスには知見がおありで?」
フィルの帯をぎゅっと絞めながらにこやかにシュナが口を挟んだ。
「……一般論だ」
「シュナ、ちょっときついです」
「失礼しました、ウィル様」
むしろ年上好きを主張したらヒルデは張り切るんじゃないだろうか、とちらりと思ったが、ここでそれ以上話を広げるのはやめた。
結局、ウィルとしてはヒルデガルドに関わりすぎないように気をつける、という基本方針はそのままだ。
「では、行きましょう」
今日の外出にはセリウスもシュナもついてくる。案内役と侍女だ。健康状態に不安があるのだから侍女がべったり付き添っているのはおかしくない、とこれまたセリウスの主張であった。……単純にセリウスがヒルデガルドを苦手なのかもしれない。
ちなみにフィルの立てた泥ガニ作戦にセリウスは渋い顔だった。やっぱり火領のお客人――それも領主の姫君を、泥の中に突っ込むという作戦は彼にとって問題が多いのだろう。
ちなみにアウローラは「構わないから頭から突っ込んでおやりになれば」と言っていた。怖い。フィルが退席した後の宴で何があったのかは聞けなかった。
そんな風に、不安と開き直りと微かなやけっぱちでもって挑んだヒルデガルドとの「領都見学」は、初手から風領側にとって計算外の事態になった。
にこやかにフィルの手を取ったヒルデガルドと市場を見物していたとき、屋台に積んであった荷が崩れたのだ。ルッカの隊が横切った際に屋台の天幕に引っかかったらしく、天幕も傾いている。
「危ないわ、ウィル、ちょっと下がりましょう」
言われるがままに路地の方に下がったとたん、腕を引っ張られた。振り向くと同時、ヒルデガルドが走り出す。
「ヒルデ!?」
「しっ」
フィルの腕を取ったのと反対側の手で、唇に人差し指を当てたヒルデガルドが悪戯っぽく笑う。その瞳の輝きに、うっかりフィルは口をつぐんだ。そしてそのまま、乗合馬車の駅まで引っ張っていかれたのだ。
そこには火領からヒルデガルドに同行した侍女が、呆れ顔で待っていた。
「……本当に風領の方を撒いてこられるとは」
「ウィルを連れてこれたら協力してくれると言ったでしょ?」
侍女はため息をつくと、フィルに向かって頭を下げた。
「ウィルフォード様、姫様のご無礼をお詫びいたします。ですが、どうか少しだけお付き合いいただけませんでしょうか。我々は近くについておりますし、護衛という面では姫様も十分に戦力ですので」
マジか、というのがフィルの正直な感想であった。一歩間違えば誘拐である。まあ先に風領側が偽物を立てている時点で、どっちもどっちではあるのだが。
「……適当なところで、セリウスに知らせてやってもらえますか」
フィルの答えに侍女は安心した顔になる。
「姫様のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」
そしてフィルはヒルデガルドと、乗合馬車でその場を離れたのであった。
◇◇◇
「どこか行きたいところはありますか?」
フィルが尋ねると、ヒルデガルドは即答した。
「スズナリの木を見に行きましょうよ」
フィルは首を傾げる。
「スズナリというだけなら街道にたくさん植えられていますが……。風路の誘導林でしたら、昨日セリウスがお連れしたのでは?」
あら、とヒルデガルドは拗ねたような顔になる。
「忘れちゃったの?手紙で、スズナリの森を案内したいって書いてたじゃない」
手紙――!!
今朝方のセリウスとの話の食い違いの正体がわかった。一昨日だって言ってたではないか、ウィルフォードがヒルデガルド宛の手紙に「ルッカ毛のショールを贈るって書いてきた」と。妙な遠慮をせず、ちゃんとウィルフォードに二人のやり取りの内容を確認しておくべきだった。
セリウスは二人の手紙は季節の挨拶程度って言ってたくせに――!
動揺を押し隠してフィルは微笑んだ。
「覚えていてくださって嬉しいです。えっと、兄上と一緒に行ったんだそうです、ローラが」
困った時のアウローラ頼み、と話を逸らそうとして、フィルは失言に気がついた。
「……ローラ?」
「……アウローラ殿が」
フィルの脳裏に頭を抱えるシュナがよぎる。せっかく忠告してくれたのにごめんなさい。
ふうん、とヒルデガルドが小首を傾げる。
「お義姉さまのことを愛称で呼んでいらっしゃるのね。あら、言い直さなくてもいいのよ?家族仲がいいって素敵だと思うわ」
「……ええ、その、色々勉強とか教えてもらってまして……兄ともども、仲はいいと思います」
そうなの、と言ったきりヒルデガルドは口をつぐんだ。
ヒルデガルドの質問が止まったのに少し安心すると同時、これで本当にいいんでしょうね、とフィルはセリウスを問い詰めたくなった。
そこで馬車が次の駅に止まった。フィルが外に目をやると、建物の隣のスズナリに、赤い旗が翻っているのが見えた。
「ヒルデ、降りましょう」
「もう?」
「いいものが見えたので」
にこりと笑えば、ヒルデガルドはわずかに首を傾げた後、微笑み返してきた。差し伸べられた手を取って、二人で馬車を降りた。




