火領の領主
エルンが額を押さえた。
「そういう話題が出るのだとすると、あなたが誠意について迷う気持ちは理解できました。あなたはあまり積極的に話さず、ヒルデガルド殿のお話を聞くようにした方が良いかもしれませんね」
私があまり口を挟むのも憚られますが、とエルンが苦笑混じりに言った。
「……それなのですけど、ウィル様。無理にとは言いませんが、ヒルデガルド様にそれとなく、火領の様子を聞くことはできませんか?」
アウローラの問いにフィルは瞬きをする。
「ヒルデが積極的なのは、火領で何かあったんじゃないか、ってやつですか?」
アウローラがうなずく。
「セリウス殿は、少なくとも公には統承関連で変化などは起きてないとおっしゃっていたけど。……内向きでなにか起きてないか、など」
「それこそウィルフォード様の不調とか、そういう感じの?」
「そうね。……エルン師は、火領の事情について何かご存知ではありませんか?」
エルンが首を傾げる。
「定例会議などで、四領の現状というのはある程度共有してはおりますが。セリウス殿が把握している以上のことは」
「定例会議?」
フィルの疑問の声にエルンが答える。
「年に一度、四領の領主と天氏族の代表が、神殿都市で行う会議です。領主方の領地に関する報告が主な話題ですが、何か問題が起きたときなどは、天氏族や他領に助力を要請する場にもなります。魔力の流れの傾向や魔害の発生報告なども行い、情報を共有します。領をまたぐ縁談の申し込みや縁組の相談などが行われることもありますね」
フィルは瞬きをした。
「それじゃ、ウィルフォード様とヒルデと婚約させるってのも、その会議で決まったんですか?」
「いえ、名指しの縁談であれば領から直接申し込んだのではないかと思いますよ。その方が話が早いでしょうし。仮にこじれたりすれば、天神殿が仲裁を受け持つことはありますが」
こじれた話、に思い当たる節があった。
「三十年前に火領との縁談が駆け落ちで流れたときって、天神殿が仲裁に入ったんですか?」
「フィル!」
アウローラの叱責が飛んで、フィルは首をすくめる。
「でも気になるじゃないですか。実際にどんなことが起きて、それが二領の間でどう決着したのかって」
そこでふと思い出す。
「そういえば、セリウス様が三十年前についての話をしたときの先生の反応が、ちょっと気になってたんですけど」
「私の反応ですか?」
エルンに聞き返され、フィルはうなずいた。初めてヴァレリスと対面し、身代わりの依頼をされた時のことである。フィルは次から次へと明かされる風領の事情やウィルフォードの婚約者の衝撃で、情報の処理が追いついていなかったが、
──そんなこともありましたね。
──二領間では尾を引いているのですか?
確かエルンはそう言っていた。少なくとも初めて聞いた事実、という反応ではなかった
「なんか、三十年前の破談について、詳しく知ってたっていうか、聞いてたっぽいなって」
エルンが苦笑する。
「あまり、声を大にしてはいいにくいのですが。天神殿から各領でのお役目を任じられるとき、領地の直近の事情や情勢については詳しく調べます。その地の事情や生活を知らずに、そこに暮らす人々との調和を目指すのは無理がありますから。──ただ、あまり我々が各領の事情について詳しいことが、その領に実際暮らす方々にとって良い印象になるかは分かりません。ですので、天氏族の立場で得た情報については、開示や提供に対しては慎重な取り扱いを求められるのですよ」
アウローラが、ふ、と息をついた。
「確かに、私たちが触れないように扱ってきた先代の妹君の話をエルン師が詳しく知っていたら、不信感につながりかねませんね。天のお方の事情……配慮は納得いたしました。けれど、その上であえてお願いしたいのですが、火領について、ヒルデガルド様や最近の統承について、教えていただけることはありませんか?」
エルンが困ったような顔をする。
「アウローラ殿。例えば私がヒルデガルド殿に、ウィルフォード殿は最近どうお過ごしか、と聞かれたとして、私の知ることをお話しするのは問題ないと思いますか?」
「……」
「ある情報をについて『ここまでの範囲なら開示できる』という、それ自体がすでに情報を含んでいます。そして天氏族の私は、私の行為がどこかの陣営に利をもたらし、全体の調和に影響を与えることについては、厳に慎まねばなりません」
エルンの穏やかだがきっぱりとした物言いに、アウローラはうつむいた。
「でも先生は、私の後見はしてくれてるじゃないですか」
思わずフィルは口を出す。エルンが苦笑した。
「それは、私の役目が風領における神殿学校の教師で、あなたが教え子だからですよ、フィル。教え子が厄介ごとに巻き込まれたとき、助言や手助けをするのは私の役目の範囲です。……そして、人々の中で争いが起きないように調整をするのは、天氏族全体の役目です」
エルンのいう「役目」というやつは、なんとなくわかる。神殿は、夫婦間の揉め事の仲裁、子どもの喧嘩の仲裁、商売間での契約不履行や雇い人と雇い主のいざこざまで、「争いを止める」「仲裁する」ということをものすごく重要視している。フィルが領主館に呼ばれるに当たって、フィルに不利益がないように後見する、というのもその一環だろう。もちろん教え子に対する保護者目線もあるのだろうが。……では。
「私がエルン先生に、火領のことについて教えてほしい、と聞くのはありですか?」
エルンが微笑む。
「火領のこと、ですか。具体的にはどのあたりを?」
「……狩師について」
アウローラが、そこ?という顔をした。けれどそこは、フィルにとって大変興味深い話であったし、ヒルデガルドもとても生き生きと話していた部分でもある。
「狩師は風領にもいますが」
「火領の、他領にまで呼ばれるような狩師です。風領の狩師は、他領には行きませんよね?」
ふむ、とエルンがあごに手を当てた。
「まず、狩師が対処するのは魔害生物……魔力でもって、人々やその生活に支障を及ぼす動植物のことです。当然ながら、各領の魔害生物は各領の属性を帯びています」
「風領だったらイワダキマツとか泥ガニですよね」
フィルは思いついた例を挙げた。
「そうですね。イワダキマツが根を張ると周囲の風が荒れます。それが街道の近くで通行に支障が出るようなことがあれば、狩師が呼ばれますね」
「それは風領の狩師だけでは対処できないんですか?」
「風の魔力を相殺して、木の近くに寄るところまではできるでしょう。けれどそこで、岩に根を張ってしまった木を伐採するなり引っこ抜くのは人力です」
「……そうなんですか?」
エルンがうなずく。
「たいていの魔木は根を抜かないとまた増えますしね。木の持つ風の魔力を相殺しつつ、伐採作業をするのは大仕事です。もちろん、小さいものなら風領の狩師たちや、ときには地元の人手を集めて本体の伐採のために連れて行くこともあるそうです。ただ、木が大きくなってしまうと彼らだけでは危険です」
「そのような場合は、風領から火領に狩師の要請をしますわよね?」
アウローラが尋ねた。エルンはアウローラをチラリと見て苦笑したが、村の生徒にも教える範囲と見なしたのだろう。うなずいて口を開いた。
「そうですね。風領の狩師だけでは対処が難しい事例では、火領の狩師を呼びます。他領の場合でも同様です。知識や同属性の魔力で駆除が追いつかなければ、火領の狩師が火で焼き払うのが一番確実です」
「ヒルデが、赤……なんだったっけ、蜂の巣を踏み抜いて、出てきた蜂を隊の狩師が焼き落としたって言ってました」
「おそらく赤翅蜂でしょう。火山の近くに巣を作る、熱に強い蜂です。……巣を、踏み抜いた?」
エルンが遅れて問うてくる。フィルはうなずいた。
「巣が地面にあったのに気付かなくて馬で踏んづけたそうです。怒った蜂に追いかけられたと」
「……」
「何をやってるの、あの方」
「ずいぶん怒られたみたいです」
「それはそうでしょうね」
エルンが苦笑した。
「蜂、しかも群れに襲われたら魔術に長けていても危険です。それが不注意からとなれば怒られるでしょう」
「ヒルデは領主の娘ですけど、狩師ではちゃんと見習いから始まったんだなって」
それは同時に単なるお飾りではないという意味でもある。エルンがうなずく。
「魔害駆除には知識と、それからやはり魔術――火領であればなおさら、大抵の魔害を焼き尽くせる強い火の属性が求められます。火領の狩師には伝統的に領主一族が所属していますね。他領とのやり取りの際にも、領主の後ろ盾があるとやりやすいのでしょう」
「今の火領の領主様は女性ですけど、やはり魔害駆除に出られていると聞きましたが」
「そのようですね。火領は昔から国中の魔害駆除を引き受ける立場ですから、火領を率いる領主にも魔害に対する知識、可能であれば陣頭に立てるくらいの武力が求められます」
「でも、今の火領の領主様みたいに女性だったり、男性でもお年を召してこられたら、魔害駆除は難しいですよね?あと、流石に領主が他領にまで魔害の駆除にはこられないと思うのですけど」
アウローラの疑問にエルンがうなずく。
先生、乗ってきてるなとフィルは思った。アウローラはフィルへの教育係を任されるだけあり、知識も豊富だし自分の考えを説明することも上手い。そしてエルンは生徒の疑問や考えを聞くこと、それについてさらに思考を促したり一緒に考える形の授業が大好きだ。
この二人の相性は悪くないだろうな、とアウローラの授業を聞きながらフィルは思ったものだ。
「先ほどのヒルデガルド殿の話ではないですが、魔害駆除において突発的な事態というのは起こり得ます。領主自ら危険な場所で役目を果たすというのは大変立派な姿勢ではありますが、その結果、領主がいきなり不在になるような事態は困るわけです。統承制度はそれを補う意味合いもあるわけですが」
「……しかもそれが他領で起きたりしたら大変ですよね」
「大変です。ですので流石に今は火領の領主殿も他領に出てはいないはずです」
「……今は?」
思わずフィルは問い返した。
「彼女が領主を継ぐ前は、統承一位の身で狩師を率いて他領に出たこともあったはずです」
「え!?」
「周りは止めなかったんですか!?」
うーん、とエルンは唸った。
「昔はもっと、領主という立場に危険が想定されていたこともある。……万一のことがあっても火領には頼りになる統承二位がいる。そういう論で突破されたそうです。火領の狩師を呼んだ土領が」
「……火領の周囲は?」
「統承一位、次代の領主とともに魔害の討伐に参加できるとは、火領狩師の誉れ……皆そう感極まっていたとか」
フィルもアウローラも言葉が見つからなかった。なんというか、文化が違う。
「実際、火領の領主……ゲルトルート殿は、傑物です」
「傑物」
ヒルデの母だ。
「自ら魔害駆除の陣頭を取り、火領での人気も高い。子を長子のアウグステラ殿筆頭に五人持たれています。領内も安定し、他領からの魔害駆除依頼にも腰が軽い。今、火領で狩師隊の長を務められているのはゲルトルート殿の第一配偶者で、ヒルデガルド殿のお父上だったと記憶しています」
「第一配偶者?」
「下の二人のお子様のお父上は第二配偶者で、他領の出ですね。確か土領の領主の係累の方で、火領でも農作物の収穫が増えるように研究をされているとか」
「……」
「あの、先生」
「なんでしょう、フィル」
「男性の領主様に複数の奥様がいるのは分かるんです。お子を持つとか、えっと属性混じりの子が有利な場面があるとか。でも女性領主の場合、複数の配偶者がいても産むのは自分ですよね?」
フィル、と小声でアウローラがたしなめてくる。エルンはゆっくりうなずいた。
「もちろんです」
「……すごく大変じゃないですか?」
「すごく大変だと思いますよ。ですから、ゲルトルート殿は傑物と評され、領内でも人気が高いです」
ちなみにフィルも五人兄弟だ。だが、母は末っ子のリィヤが乳離れするまでは子育てにかかりきりだったし、父も一人だ。……いや、領主なんて忙しいお仕事をするのであれば、複数の夫にそれぞれ仕事を割り振るというのはありなのかもしれないが。
「まあ、みなが同じことをできるとは思いませんが」
「ですよね」
アウローラが恐る恐るといった風情で口にする。
「あの、跡取りの方は……」
「アウグステラ殿は、お母上によく似た頼もしい跡取りという評判ですね」
「…………」
そしてその妹がヒルデガルドなわけである。
火領の領主家族はどうなっているんだ、とフィルは思わず天井を仰いだ。




