エルンの訪問
「それでは、ヒルデガルド殿は今日は領都へ?」
翌日、体調不良の言い訳のもと、フィルが雲雀館の部屋にこもっているところに、ちょうどエルンがやってきた。
なんとなくエルンの顔が見づらくて、フィルは無言でうなずく。エルンは一つ瞬きすると、アウローラに向かって問いかけた。
「ヒルデガルド殿がかなり積極的にウィルフォード殿と距離を縮めようとしていると伺いましたが、領都にはウィル殿と一緒に出かけたかったのでは?」
アウローラはうなずく。
「宴でもそのようなことをおっしゃってましたけど。ただ、ウィル様は領都には不案内でしょう? 領都の施設や街並みなどを見る分にはセリウスの方が詳しいからと、領主様が押し切って」
「なるほど……。ウィル殿、実際にヒルデガルド殿とお話しされてみて、いかがでしたか?」
「お話というか……」
昨日のことをつらつらと語る間、エルンはずっと無言であった。そしてフィルの話が終わると、ため息を一つ大きくついて天井を仰いだ。
「……思ったより、あなたが綱渡りをしているようで、肝が冷えました」
その表情は、フィルがあまり見たことのない、深刻そうなものである。
「ええと、そんなに危なかったでしょうか」
「そもそもなぜ問題の姫君と、そんなにしっかりと関わっているのです」
挨拶で顔見せするだけではなかったのですか、と問われて、そう言えばそうだった、と思い出した。
「それはまあ、ヒルデが規格外だったせいといいますか」
婚約者の館に直接乗り込んでくる姫君を風領の誰も想定していなかったし、そのまま昼食に連れ出されるとも思っていなかった。
「なぜその規格外と渡り合っているんです」
「ウィル様も規格外だったからですわ」
アウローラが投げやりに答えた。
「エルン師にお伺いしてみたかったのですけれど、この子は村というか、学校でもこうなんですの? 女の子に対して綺麗になったねとかショールを見立てるとか調子よく答えて」
エルンが額を押さえた。
「学校というか行商でしょうか。フィルの家ではルッカの毛で作った小物も扱ってますし……」
と、喋りすぎたと思ったのか、エルンはこほん、と咳払いした。
「まあ、女性のお客様に商品を売り込んだり、小物を見立てたりする経験はあるようです」
「私、装身具を納める商人に、綺麗になったなんて言われたことないですが」
「それはおかしいでしょう。女性のお客様に身につけるものを売るなら、まずお客様の魅力を見つけて、それを引き出す商品を紹介するのが鉄則です。まあ、ローラに向かって綺麗になられましたね、とか言うのも今さらな感じがあって気後れするというならわかりますが」
「……こういうところなんですが」
「ご家庭の教育が良いのでしょう」
エルンとアウローラの間でだけ何か通じ合っている気がしてフィルは口を尖らせる。アウローラがため息をついた。
「ご家庭の教育の成果をヒルデガルド様にも発揮しているのが問題なのです。……ただ、それをおいても、あちらの態度がだいぶ積極的なのですが」
「そのようですね」
「先生、どうしたらいいと思います?」
「どうしたら、とはまた焦点の曖昧な問いかけですね。ウィル殿、あなたはどうしたいのですか?」
「……」
報酬を得るために、また、風領の安定の手助けとなるように、無難に過ごすつもりだった。ウィルフォードの属性消失を隠して、穏便な婚約解消に繋げるつもりだった。
「……誠意って、なんでしょうね」
おや、とエルンが瞬きをする。
「難しいことを聞きますね。字義的には、嘘偽りやごまかしなく、他人と向かい合う気持ち……そんなところでしょうか」
でも、とエルンは続ける。
「あなたが今聞きたいのは、そういうことではないのでしょう?」
フィルは少し考えて問いかけ直す。
「……誠意のある行動って、どういうことでしょうね」
「何に対する誠意か、というところにもよりますね。誰かに対しての誠意が、他者に対してもそうであるとは限りません」
フィルは唇を噛み締める。フィルが誠意を向けるべき、と考えて一番に思いつくのは風領だ。フィルの故郷であり、居場所。でも、そのために、ウィルフォードの居場所やヒルデガルドの気持ちを後回しにするのは、なんだかすごくモヤモヤする。
パチン、とアウローラが扇子を鳴らした。
「ウィル様、お悩みなのはわかります。けれど、今はそこに時間を割く余裕はありません。……もし、どうしても、ヒルデガルド様との対面が負担なようでしたら、昨日のように、調子のいいことを言いながらかわすことが難しそうであれば、そうおっしゃい。後のことはなんとでもします。そんな顔であの方の前に出す方が心配でしてよ」
そんな顔、とフィルは自らの頬に手を当てた。
「……バレたらどうなりますかね」
「おそらくあの方、ウィル様のことを素で気に入ってらっしゃると思うのですよね。……お怒りになるでしょうね」
フィルはゆっくりと深呼吸した。今の段階で誠意についての答えは出ない。そして誠意は大事だが、身の安全も同じくらい大事である。次に、成功報酬一万五千シル。
まずは目の前のことを、明日を無難にやり過ごす方法は――。
「とりあえず明日は、ヒルデを泥ガニ退治に誘ってみます」
「……」
「……そっちの方向なの?」
エルンが無言で額を押さえ、アウローラは呆れたような声を出した。
「自分なりに振り返った結果です。考えすぎるのはよくないと」
「フィル、思考を放棄するのはおやめなさい」
「放棄してるわけではないです。なんというか、ヒルデが積極的に、ちゃんと会話をしてくれるので」
「……当たり前ではないの?」
アウローラの疑問にフィルは首を横に振る。
「年下の男の子を適当にあしらうという感じではないんですよね。ちゃんとこちらの意見を聞く姿勢というか」
例えば弟のリィヤが集めている拾った石ころについて姉たちに熱く説明するとき、途中からついつい聞き流すような――ちなみに気付かれると後で機嫌を損ねられる――、興味はないけど一応相手してやらないと、みたいな雰囲気がまったくない。その結果何が起きているかというと。
「過去の手紙のやり取りやこちらが教わったばかりの話題を振って、そこに食いつかれて深掘りされると、付け焼き刃がバレそうになります」
ふむ、とエルンがうなずいた。
「ちゃんと会話をしてくれる、つまりウィル殿の話をよく聞いているからこそ、ウィル殿の詳しくない範囲や迂闊な話題を振るのが危ういという事ですか」
アウローラが眉根を寄せる。
「でもあなたはあなたで、ルッカの話を始めると喋りすぎるそうじゃない。シュナが頭を抱えていたわよ」
フィルはうなずく。
「結局、『私』の話になっちゃうと危なっかしいってことですよね。なので泥ガニ退治に誘って、目の前のことを話題にするほうが、将来の話とかにならずに済むかと」
「将来の話、ですって?」
アウローラが深々とため息をついた。
「本当に、どんな話をしているの……」




